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均等法施行40年、立案に携わった立場からのメッセージ

厚労省時代に局長として関連施策を指揮 21世紀職業財団特別顧問の伊岐典子氏

多様性時代の上司力
公益財団法人21世紀職業財団特別顧問で、東証プライム上場企業の社外取締役も務める伊岐典子氏

日本の女性の参政権行使から40年となった1986年、一つの法律が施行された。

「雇用における男女平等」に光を当てた、男女雇用機会均等法(以下、均等法)だ。

均等法は長い議論の末、1985年5月に成立。その後も改正を重ねながら強化され、「守備範囲」を拡大してきた。例えば、セクハラ防止のための措置義務を企業に課しているのも、この法律だ。

今、あなたの周りには「就活セクハラ防止の体制整備で忙しい」という人がいるかもしれない。2025年6月、改正均等法が成立。2026年10月施行予定で就活セクハラの防止措置を講じることが、企業の新たな義務となるからだ。

2026年4月、均等法は施行40年を迎える。そこで今回は、均等法立案に携わった女性リーダーにご登場いただく。

20代で均等法立案を担当→後に局長として関連施策指揮

いき・のりこ 1979年3月東京大学法学部卒、同4月労働省(現厚生労働省)入省。女性労働、職業安定、労働基準局の行政に従事。男女雇用機会均等法、育児休業法(現育児・介護休業法)の立案・施行に関わる。厚労省の雇用均等・児童家庭局長、独立行政法人労働政策研究・研修機構統括研究員、厚労省東京労働局長、駐ブルネイ特命全権大使を歴任後、2018年6月、公益財団法人21世紀職業財団会長に就任。2023年6月から現職。現在は大和証券グループ本社、富士急行の社外取締役を務める

話をうかがったのは、公益財団法人21世紀職業財団(東京・文京)特別顧問の伊岐典子さん。大和証券グループ本社、富士急行の社外取締役としても活躍している。

伊岐さんは20代の頃、労働省(現厚生労働省)で均等法立案の職務に従事した。

その約四半世紀後には、厚労省の雇用均等・児童家庭局(当時)の局長に就任。同局は均等法の担当部署で、トップとして同法に関わる国の施策を指揮した。

ちなみに、特別顧問を務める21世紀職業財団は、均等法施行を機に設立された「財団法人女性職業財団」が前身。均等法の趣旨を企業や社会に根付かせ、女性の能力発揮をサポートすることを目的に、様々な事業を手掛ける。

今回は均等法施行40年の特別版。本題の前に1つクイズを(正解は次ページ冒頭)。

[問題]内閣府の世論調査(2019年実施)の結果で、正しいものはどれか。

①均等法は、女性活躍推進法より周知度が高かった
②均等法は、女性活躍推進法より周知度が低かった
③均等法は、仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)より周知度が低かった
④均等法の男女別周知度は女性が10ポイント以上高かった

◇     ◇     ◇

「ずっと働き続けたい」 母に影響を受ける

1985年版『ダイヤモンド就職ガイド』(許可を得て画像に加工。赤線は編集部が付けた) ※編集部注:「58年」とあるのは昭和58年(1983年)

――かつては、新卒採用でも多くの企業で男女差が見受けられました。時代を遡ると、日本には女性に「結婚したら退職するという念書を書け」と求める企業や、女性だけ若くして退職する「若年定年制」としていた企業もあったそうですね。そんな中で、小さい頃から「結婚しても、子どもを持ってもずっと働き続けたい」とお考えだったとか。そのお考え通り、転勤や単身赴任もこなしながら定年まで勤め上げ、今はお孫さんもいらっしゃいます。キャリア観の理由やきっかけは。

伊岐さん(以下、敬称略) やっぱり、母の影響ですね。

母は(戦後に誕生した)新制大学を卒業した1期生です。その頃、(大卒女性を)採ってくれる民間企業はほとんどなく、中学校の教師になった。結婚して私を産んだ後も、仕事を続けるつもりでいたようです。

けれど、子どもを見てもらおうとあてにしていた、自身の母親(伊岐さんの祖母)の体調に問題が生じてしまった。保育所も十分には整備されていない時代のこと。母は教師の仕事を辞めざるを得なくなったんですね。

ところが、そこで諦める母じゃなかった(笑)。

父の転勤でも諦めない 頑張って仕事をしていた母

「母は音楽が好きでしたから、私にも早い時期からピアノを習わせたり音楽教室に通わせたりしました。そして、言うんです。『ピアノの先生になれば、結婚しても仕事を続けられるかもしれないわよ』って」。伊岐さんはこう話し、「今にして思えば、様々なライフイベントがあっても仕事を続けていくことの価値を母の何気ない言葉から感じ取っていたのかもしれませんね」と笑った

――お母様のキャリアは続きがあるのですね。

伊岐 はい。当時、大手楽器メーカーが子ども向けの音楽教室を始めていました。母は、自分でその講師の仕事を探してきたんです。レッスンは毎日でもないから、時間をやりくりしやすい。

父は銀行員で、転勤もありました。父の転勤で福岡県から東京に引っ越すと、母は諦めずに、また音楽教室の講師の仕事を探してきて、ピアノの個人レッスンも始めた。そして、自分の子どもが育つにつれ、徐々に生徒さんを増やしていきました。

母は、かなり頑張って仕事をしていたんです。情熱というのでしょうか。ピアノの発表会をやったりクリスマス会を開いたり、生徒さんのことを考えて一生懸命、取り組んでいた。そんな母の姿から、人生で「仕事を続けることの意味」みたいなものを感じたんだと思います。

進路選択 「なるべく差別されない方法」を考える

――ご自身は1979年、労働省に入省されました。職業選択の背景は。

伊岐 割と小さい頃からニュースなどを見ていたので、世の中には仕事を巡る男女差別があると分かっていました。

素直な思いとして、「(女性であることで)差別を受けないで平等に扱われたい」という気持ちが強まっていった。大学受験での学部選びも含め、「なるべく差別をされないで済む方法」を考えて進路を選択していきました。

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