仕事の負荷や責任、人間関係などビジネスパーソンの周りにはストレス要因があふれている。メンタルヘルス不調の予防や休職者のリワーク(職場復帰支援)が重要になる中、帝京平成大学大学院教授で日本キャリア・カウンセリング学会長の馬場洋介氏は長年、心理カウンセリングにキャリア・カウンセリングを組み合わせてビジネスパーソンを支援。リワークの現場で多くの人と向き合った実務経験や企業で働いた経験から、より良く生きてもらうために心理とキャリア形成の両面で寄り添う意義を説く。

社会にアンテナ、相談者の内面とつなぐ
――心理臨床家を育成しつつ、リワーク(職場復帰支援)にも取り組んでいます。
東日本で唯一の臨床心理分野専門職大学院で教えています。心理臨床家は相談者の内面のサポートをするわけですが、私は大学院生に新聞を読むなどして社会の動きにアンテナを張った「心理職」になるよう伝えています。ビジネスパーソンは組織や企業の中で生きているので、抱える問題を成育歴や親子関係だけでなく、外部環境との相互作用の視点からも捉えることが大切です。社会の変化が激しさを増す中で、仕事に関して強い不安やストレスのある人が8割を超えました(※1)。彼らを支援する重要性がますます高まっていると感じます。
企業で従業員のワーク・エンゲージメントが重視されるようになり、ネガティブな状態にある人を元に戻すだけではなく、状態をさらに引き上げる発想も求められています。その人がキャリアビジョンを描き、可能性を発揮できることは所属先の組織や社会にとっても望ましいからです。心理カウンセリングとキャリア・カウンセリングの領域は重なり始めており、キャリアコンサルタント資格を取得する大学院生も増えています。
リワークの現場では、一時的にその人らしさや強みを見失っていたとしても、誰もが成長する力を内に秘めていると常に実感します。リワーク・プログラムを卒業する人の多くは、元の状態に戻るというより「新しい自分」になって職場に戻るのです。プログラムにあるグループワークでは、同じ境遇にある受講生がフラットな関係で互いの話をよく聞き、承認するうちに表情に力が戻ってきます。カウンセリングで問題が整理され、グループワークで内在する成長力や回復力が刺激される。このようにキャリア・カウンセリングを組み合わせ、生き生き働けることを支援しています。

出世が暗転、職業人生の岐路に
――40歳手前でメンタルやキャリア支援の道へと舵(かじ)を切りました。
中学生の頃から人間の心理に関心はありましたが、大学では心理系の専攻に進まず、卒業後は成長実感を持ちたくてリクルートに入社しました。当時の就職情報誌の営業では成績も良く、同期の中でも比較的早くマネジャーに昇格し、その後、自治体と連携した地方活性化事業などを手掛けました。飲食や理容業界などの予約・集客支援サービス「ホットペッパー」事業の立ち上げにも関わりました。いずれ会社経営にも関わりたいとぼんやり考えていましたが、40歳手前は社内における人間関係に悩むなどして、キャリアが見通せなくなりました。
当時は事業展開のスピードが速く、仕事は山積していて、ストレスに耐え切れず適応障害を起こすメンバーもいました。しかし、当時の私はメンタルサポートするスキルもなく手をこまねくだけでした。マネジャーとしてこれでいいのだろうか、という疑問もありました。自分の境遇と重ねながら考えるうちに、どうやら私は人をサポートするのが好きだし性に合っていると思えたのです。マネジャーとしてのやりがいは商品そのものを売って業績を上げることではなく、メンバーの成長にあることに気づきました。
霧中を進む行動力 進路決めた「1時間の出会い」
――キャリアに悩みながらも、その時できることから行動してみた。
今後のキャリアを考えるため社内のコーチング研修を個別受講し、臨床心理士に転身した後輩にも相談しました。その過程で次第に心理カウンセラーという対人支援職への興味が湧き、そもそも社会心理学を学びたくて大学に入ったという「初心」を思い出しました。
当時はまだ「計画された偶発性理論」という有名なキャリア理論を知りませんでしたが、今振り返ると、理論が提唱するように好奇心を持ち、オープンマインドで行動することで偶然の出来事をつかんで進路を大転換することができたと思います。後輩が会社員から転身したある心理学系の大学教員を紹介してくれたので、都内の店で一時間ほど会いました。するとどんどん話に引き込まれ、店を出る頃には、その方が指導する大学院で学ぶことを決意していました。
直観もありましたが、ここまでいろいろ考えて機が熟していたのだと思います。営業での成功体験やマネジャーとしての1on1で培ったカウンセリングマインドもあり、学びの意思とやり切る自信がありました。そして事業のマネジャーからメンタルヘルスを担当する人事に職種を変え、40歳を過ぎてから大学院に通いながら産業カウンセラーとキャリアコンサルタントの資格を取得しました。
ここから「60歳の定年時に自分はどうなっていたいのか」をイメージしながら新たなキャリアプランがスタートしました。リクルートでは学びの成果や対人支援の資格を十分生かす場がなく、40代半ばからはグループ会社のリクルートキャリアコンサルティングで再就職支援のキャリアカウンセラーとして活動しました。そこでの出会いが現在の医療法人での職場復帰支援の仕事や大学教員への転職につながりました。
自分の「錨(アンカー)」を知る 違和感と対話を大切に
――転機で決断することに迷いや不安はありませんでしたか。
キャリア理論で「キャリアアンカー」という概念があります(※2)。人生の転機や選択の際に絶対に譲れない価値観や欲求、能力のことを指します。私の場合は社会貢献がそれに当たると考えています。一つ一つの出来事を表面的に捉えると選択や判断に迷いますが、自分の軸を理解することでブレなくなります。これまでのいろいろな経験に通底するものに気づくと進んでいる方向に確信が生まれ、発想も広がってくる。大学教員への転身は、それまでの自分とこれからの自分のつながりの中で自然なことだと思えました。
昨今、キャリア自律の重要性が指摘されていますが、なかなか難しい取り組みでもあります。他からの指示で取り組めばそもそも自律ではありません。また、自分と向き合うことが欠かせないので、ポジティブな体験よりはむしろ、ネガティブな体験や違和感がきっかけになりやすいのですが、不快な体験や感情にとどまりながらひとりで自己理解を深めるのは難しいものです。そこで身近な人やカウンセラーに相談したり、グループワークに参加したりしながら対話することが大切です。キャリア自律は自分の心が動いたことを大事にしながら自分で進めますが、他者の問いかけや支援があるから促進される逆説的な営みでもあるのです。
会長職を任されている日本キャリア・カウンセリング学会は個人や組織、社会の持続的な成長と幸福に貢献することを目指しています。メンタルとキャリアの両面でビジネスパーソンをはじめ、様々な領域で働く人を支えることは今後、ますます重要になると思います。その意義と重要性を広く認知してもらうためにも、心理臨床家やキャリアコンサルタント、研究者らが交流と研さんを促進し、支援の質を追求していきます。
(聞き手は入江学)
ストレスフルな社会では、ビジネスパーソンに対する心理カウンセリングとキャリア・カウンセリングの両面支援の重要性が高まるとともに、カウンセリングの持つ予防的・開発的な機能にも注目が集まりつつある。
カウンセリングは大きな悩みや症状といった問題が生じた際しか役立たないわけではない。自分の思考のクセや価値観、組織が求める役割、期待を理解しながら心理社会的に発達する機会となり、キャリア自律やウェルビーイング(心身の健康と幸福)を促進する(開発的機能)。また、肯定的な未来展望を持てるようになり、異動や人事評価、リストラなどの転機がもたらすストレスへの耐性が高まり、抑うつ状態などを回避し得る(予防的機能)。
馬場洋介氏はカウンセラーとしての臨床現場と日本キャリア・カウンセリング学会での活動を通じてカウンセリングのこうした多面的機能を発信し、カウンセリングを社会のインフラにすることを目指している。
(※1)2023(令和5)年の労働安全衛生調査(実態調査)によれば、現在の仕事や職業生活に関することで強い不安、悩み、ストレスとなっている事柄がある労働者の割合は過去最高の82.7%だった。
(※2)キャリアアンカーは組織心理学者エドガー・シャインが提唱した概念。キャリア選択の際に譲れない価値観や欲求、環境が変化しても揺るがない自分軸を船の錨(アンカー)に例えた。アンカーは「専門・職能別能力」「全般管理能力」「自律・独立」「奉仕・社会貢献」など8カテゴリーある。
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