2019年に世間を震撼(しんかん)させたのが「リクナビ問題」だ。学生の「内定辞退率」を企業向けに販売したことで個人情報の取り扱いが問題視され、利用した有名企業の名前も公表され波紋を呼んだ。原因はトップが素人であるにもかかわらず新規ビジネスに挑むという負の方程式だった。『企業不祥事の真相 「普通の人」を悪者に仕立てる歪んだ構造(日経プレミアシリーズ)』(秋山進著)から抜粋・再構成してお届け。

問われる経営トップの危機管理能力

 企業が新たなビジネスを立ち上げる際、スピードや収益性を優先するあまり、法的・社会的リスクへの対応が後回しになり、大きな不祥事へと発展する事例が相次いでいる。

 ここでは「リクナビ問題」を取り上げ、その背景を整理しながら、企業が学ぶべき教訓として、ITやデータ活用が進む社会において、経営トップの専門知識や危機管理能力がいかに重要であるかを浮き彫りにする。

企業側の論理優先による失態

 リクナビ問題とは、リクルートキャリア(現・株式会社リクルート)が運営する就職情報サイト「リクナビ」において、学生の「内定辞退率(予測スコア)」を算出し、それを企業向けに提供していた一連の事例である。

 2019年、個人情報保護委員会からリクルートに対して勧告が出され、さらにサービスを利用していた有名企業の名前が公表されたこともあり、社会的に大きな波紋を呼んだ。

 リクナビは学生にとって新卒就活の主要なプラットフォームのひとつであり、その運営会社が個人データをどのように扱っていたかが厳しく問われる事件となった。

学生の「内定辞退率」を企業に販売し問題に(写真:paru/stock.adobe.com)
学生の「内定辞退率」を企業に販売し問題に(写真:paru/stock.adobe.com)
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社会的インパクトを見誤る

 まず、問題の核心は「内定辞退率」を企業に販売していた点にある。リクルート側の説明によれば、内定辞退率はCookieや閲覧履歴、企業側から提供された応募情報などを組み合わせて算出した“確率”であり、個人を特定できない形で企業に提供しているゆえ法的に問題ないと主張していた。

 しかし実態としては、企業側がもともと把握している学生の「応募管理ID」などを突合すれば、どの学生が高い辞退率なのかを類推できたのである。

 個人情報保護法では、第三者提供を行う際、原則として本人の同意を得ることを求めている。リクルートは「自社からみれば個人を特定しないデータである」としていたが、「提供先(企業)で個人を結びつけられると知りながら提供しているのは法の趣旨を潜脱している」と個人情報保護委員会から判断され、勧告に至った。

 さらに学生視点に立てば、自分の就職活動に関するデータ、とくに閲覧履歴や入社意思に対する情報がどのように使われるのかを知らされないまま数値化され、「辞退率が高い学生」として企業に知られるかもしれないというのは大きな不安をもたらす。

 リクナビを信頼して登録した学生ほど、「自分の個人情報が適正に扱われていないのではないか」という疑いを抱く結果となった。

 法的には個人情報保護法の「第三者提供」に関わる問題であるが、企業倫理や社会通念の観点からも深刻である。

  リクルートは、この機能を「研究開発サービス」と位置づけていたためチェック体制が甘くなっていたことや、「内定辞退率スコアは採用合否に直接使われるはずがない」という内部認識を背景に、リリース時の社会的インパクトを見誤ったと説明している。

 しかし、これはあくまでリクルート側の論理であり、実際には企業が辞退率スコアをどのように利用するかをリクナビ側が十分に制御できておらず、利用目的の逸脱を防ぐ仕組みが欠けていた点が大きな問題であった。

「内定辞退率」は合否に影響しない、という社長の思い

 以下は、経済誌による社長(A氏)インタビューである(「〔独占〕リクナビ「内定辞退率」問題、社長が語った真因」(「日経ビジネス」2020年1月21日)

ただ、多くの関係者が「リリースまで短期間で進んだ」と証言しています。

A社長:いや、今のリクナビの価値でこれからも勝負できるとは思っていなかった、というのはその通りです。DMPフォロー(当該商品の名称)も含めて、次のサービスの価値を生むものを積極的に仕掛けていくんだという気持ちは強く持っていました。DMPフォローがそうした位置付けだったことは確かです。そういう意味で、今のビジネスが安泰だとは全く思っていませんでした。

会見でも直接、質問させていただきましたが、このサービスをリリース段階で知ったとき、A社長は「モラル面で問題になることを見積もれなかった」と答えています。今、振り返って、なぜ予想できなかったと考えていますか?

A社長:ここは率直な考えをお話しさせてください。

 我々も含め、今、DMPフォローの問題はこういう整理をされていると思います。まず、学生はどの企業に内定をもらえるか不安におののいている。

 そんなときに、自分たちがよく知らない状態で、自分たちの合否に影響するかもしれないデータが企業に渡されている。しかも、それが「内定辞退率」だった。辞退率が高い学生は不利になるかもしれない。それが原因で落とされるかもしれない。

 こんな構造で捉えられています。こうした捉え方が、少なくとも私には当時、できなかった。

 それにはいくつかの背景があります。まず一番のベースとして、企業が合否を決めるときに、そもそも内定辞退率が高いか低いかで決めるはずがない。私は本当にそうだと思っているんです。

 だって、どんな人材がほしいかということが先にあり、辞退する確率が高そうな学生であれば(内定を出した後で)どうフォローするかを議論する。それが通常のフローだと思っているからです。「内定辞退率が高そうだから落とす」ということが我々には想像できませんでした。

 それから、このサービスは企業の実際の採用活動を通して実験しているような段階だったので、まだ白黒判定に使用されるような段階ではないという感覚もありました。

率直にリスクを指摘する人材や仕組みを欠いていた

 おそらくA氏は言い逃れをしているのではなく、本心から「内定辞退率が高いか低いかで合否を決めるはずがない」と考えていたのであろう。しかし、だからこそ問題なのである。

 A氏は1991年にリクルートに入社したが、長く広告・販促領域を歩み、人材ビジネスに携わったのは2017年4月のリクルートキャリア社長就任以降である。

 内定辞退率予測サービスは2018年度卒(2019年3月卒業)向けであり、本商品の企画は社長就任直後に始まったとみられる。

 そのため、「辞退率が高そうだから優先順位を下げられるかもしれないという就活生の心理」や、「実験段階であっても許されない採用領域のデータ利用に対する社会の厳しい目」を十分に把握できなかったのだろう。

 経営トップのこうした理解不足は、法的な違反要件の有無を超えて、社会的信頼を失う危うさをはらんでいた。

 また、さらに残念なことに、「『内定辞退率が高そうだから落とす』ということが“我々”には想像できませんでした」とA社長は述べている。

 しかし、人材ビジネスを長年経験してきた周囲の専門人材が、そうした利用可能性を想定できないはずはない。要するに、トップに率直にリスクを指摘し、真実を語る人材や仕組みを欠いていたことが想像される。

 結果としてリクナビは社会的信用を大きく損ない、就活生や大学関係者から激しい批判を浴びるに至った。

 個人情報保護委員会からは2019年8月および同年12月に「勧告」の行政対応を受け、このサービスは停止。同時にリクルートは、研究開発段階のサービスにも標準化されたコンプライアンスチェックを適用するなど、統制体制の刷新を余儀なくされた。

複雑な問題ではなく想定できた事案

 「ルールを破った社員はいなかったのに大きな問題が起きた」という事態に対し、経営陣は「ルール設計そのものが不十分だった」という総括を示している。

 このリクナビ問題は、個人情報保護法の適用が厳格化する時代において、「データ活用と本人同意」のあり方を問い、新規サービス開発に際しては提供先での再特定リスクまで考慮すべきことを示した象徴的な事件である。

 しかし、こうもいえる。この事件は高度な法解釈や複雑な技術論に問題を転換することも可能だが、実のところ、そんな複雑な問題ではない。

 経営トップが顧客である学生の心理を最低限理解し、また採用市場の実情を多少なりとも知っていれば、あるいはその誤った前提を正す一言を発する社員が周囲にいれば、これほどの大事には至らなかった可能性が高いのである。

リスク管理を軽視するトップ人材の危険性

 リクナビ問題は、大企業が新規ビジネスを進めるなかで、法的・技術的あるいは社会的リスクを過小評価し、結果的に重大な不祥事へ発展した事例である。そこには以下の特徴がみえる。

 第1に、経営トップや事業責任者の専門知識不足である。リクナビ問題では個人情報保護法の解釈や学生への影響を軽視していた。

 第2に、スピードと収益性を優先した結果、リスク評価が後回しになった点である。リクナビの内定辞退率予測サービスは研究開発段階の名目で通常の審査を経ずに導入され、新規事業拡大が目的化し、安全性やユーザー保護が後ろに退いた。

 第3に、不祥事発覚後の対応で説明責任を果たせなかった点である。リクナビ問題では学生視点の欠如が指摘された。

 総じて、大企業であっても専門性を要する領域に十分な準備なく参入し、短期的成果を急げば、重大なリスクが顕在化する。

 経営トップは最低限の法務・セキュリティー・業界固有の知識を持ち、必要に応じて専門家を配置する体制を整えなければならない。

 スピードやリスクテイクを否定するものではないが、一度の不祥事がブランドと事業基盤を大きく損ない、その回復には長い時間とコストを要する。

 この事例は、「急成長を狙う企業ほど、リスク管理を軽視してはならない」こと、そして「その重要性を理解できるトップ人材の配置が不可欠であること」を示している。

参考資料:リクルート「『リクナビDMPフォロー』の問題点と再発防止策について」
ニュースでは報道されない「普通の組織」に潜むわなを、コンプライアンス問題のプロが解説。

宝塚歌劇団、オルツ、小林製薬、三菱自動車、フジテレビ、リクナビ、セブンペイ……本書は、第三者委員会報告などをもとに話題になった企業不祥事を多方面から分析。不祥事が起こる組織にありがちな「本当の問題点」を浮き彫りにしていく。

秋山進著/日本経済新聞出版/1100円(税込み)