人間には、思考、学び、言葉などすばらしい能力が備わっている一方で、「分かっていても間違える」「偏った視野から抜け出せない」「何回言っても伝わらない」をはじめ、日々の悩みに直結する特徴もあると語り、数多くのベストセラーを生み出しているのは、認知科学者の今井むつみさん。今井さんの書籍をきっかけに、認知科学への興味が高まった方も多いのではないでしょうか。本連載では、認知科学をさらに広く深く理解したい人に向けて、今井さんが考える「次に読んでほしい本」を紹介します。1回目は、知性の進化のすばらしさと、それゆえに待ち受ける罠(わな)について。今井さん一押しの本を通して考えます。

私たちの知性はいかにして進化したのか?

 私はこれまで、思考や学び、言葉を中心としたテーマで何冊か書籍を執筆しています。詳細は連載「 今井むつみさんが語る【今井むつみの本】の世界 」をご覧いただければと思いますが、今回は、この連載の中でも特に、2回目「 【今井むつみの本】の世界 学びを理解するための3冊 」のテーマである「学び」と、そもそもの人間の「知性」への理解をさらに深めたい方におすすめの本を紹介していきます。

 まず私自身が最近読んだ本としておすすめしたいのは、『 知性の未来 脳はいかに進化し、AIは何を変えるのか 』(マックス・ベネット著、恩蔵絢子訳、新潮社、2025年)です。500ページを超える大著ですが、1年をかけてでも読む価値があります。

マックス・ベネット著、恩蔵絢子訳『知性の未来 脳はいかに進化し、AIは何を変えるのか』(新潮社刊、2025年、書影提供=新潮社)
マックス・ベネット著、恩蔵絢子訳『知性の未来 脳はいかに進化し、AIは何を変えるのか』(新潮社刊、2025年、書影提供=新潮社)

 本書が扱うのは、「脳の進化」。生命の発生から人工知能の誕生までを、ていねいになぞっていきます。
 著者のマックス・ベネット氏によると、脳の進化にはこれまでに、5つのブレイクスルー(「操縦」「強化」「シミュレーション」「メンタライジング」「発話」)があったといいます。それぞれについて説明するだけでなく、これから起こる人工知能という「第6のブレイクスルー」がどのようなものになるかに迫る一冊です。本書の原著の出版は2023年ですから、新しい情報もしっかり含まれています。

 ベネット氏は、マーケティングのAIシステムを手掛ける企業の創業者であり経営者です。自分で「欲しい」と思う前に、「将来欲しいと思うであろうもの」を予測する機能は、みなさんにとってもなじみのものでしょう。私もそのようなAIのマーケティングに従って、何冊も本を購入してしまったことがあります。ベネット氏はそうしたAI関連技術の特許を複数保有しているだけでなく、進化神経科学と知性をテーマにした研究論文を多数発表しています。2016年には、「フォーブスの30歳未満の30人のリスト」に選ばれるなど、信じられないほど頭がいいことは確かです。

起業家が追い続けた「知性とは何か」という問いの結晶

 ベネット氏はAIの起業家でありながら、本書は人工知能に関して、いいことばかり・すごいことばかりが書いてあるわけではありません。

 「知性とは何か」「脳はどのように進化してきたか」を考え続け、生命の誕生から、脳の進化を追う中でたどりついた「未来の知性」が描かれているのが本書の特徴であり、私がおすすめしたいポイントでもあります。「AIが人間を凌駕(りょうが)する」という立場ではなく、「あくまでも人間がAIをつくる」という立場で書いていると感じます。もちろんそこには仮説が含まれているのですが、論理の組み立て方がうまいので、面白く読めます。知的啓蒙書としても読み物としてもとても優れた本です。

「学者ではなく起業家が書いているからこそ気づきが多い」と語る今井さん。
「学者ではなく起業家が書いているからこそ気づきが多い」と語る今井さん。

 エピソードとして興味深かったのは、自動運転の話にまつわる「ロボットの模倣」の話です。AIを開発していく上で、大きな跳躍となった出来事です。
 自動運転の難しさは、障害物を避けて進むことだけにあるのではありません。そもそも、そこにある物体を「障害物として認識する」こと自体が難しいのです。私たち人間が当たり前に行っている、障害物を避けながら運転するということは、実はすごく高度な認知の働きを伴うものなのですね。

 この問題を最初にクリアしたのが、カーネギー・メロン大学で構築されたALVINN(Autonomous Land Vehicle in a Neural Network)というAIシステムでした。この成功のキーワードは「模倣」です。
 研究者は自分の車にカメラを搭載しひたすら運転することで走行中の外の景色とハンドルの位置を記録して、それを道路の画像と対応付けました。つまり、人間の運転を模倣させたわけです。それにより、自動運転の質が格段に上がったといいます。人間の模倣により、AIの学習が進んだのですね。
 「細かく分析し、要素に分解してAIに教える」という方法ではなく、「人間の行動そのものを与え、模倣させる」というアプローチを取ったのです。

 このアプローチによって、実験施設のサーキットでの自動運転が可能になったのですが、しかしその後、すぐに次の問題に突き当たります。実際の道路で自動運転を試してみたところ、これが全くうまくいかないのです。なぜだと思いますか?

「模倣による学び」の限界

 実際の道路での自動運転が失敗に終わった理由の一つには、環境変化の問題がありました。実験施設のサーキットのような場所は、環境が整えられており変化がありません。「同じように整った環境で同じことをさせる」ことはできたものの、リアルワールドの変化し続ける環境に対しては、AIは小さな軌道修正さえうまくできなかったのです。

 そしてもう一つの理由としては、模倣させた人間の運転データが、「熟練したドライバー」のものに限られていたということがありました。熟練したドライバーは、サーキットでの運転では失敗もミスもしません。環境が同じであれば、毎回ほとんど同じ、最適なパフォーマンスだったでしょう。AIが最適なパフォーマンスのデータだけを模倣し、学習していたというわけです。

 一方、リアルワールドでは条件は全く違います。道路がデコボコだったり、ときにものが落ちていたりもします。歩道以外を歩く歩行者もいれば、未熟なドライバーが運転する車も走っています。実際の道路で運転すると、思いもかけないことがたくさん起こり、自動運転システムの模倣の幅を簡単に超えてしまうのです。

 その結果、自動運転システムはどうしたらいいかが分からなくなってしまい、停止するしかなくなってしまった。理想的な環境で、理想的な運転のみを模倣していたために、その状況から少しでも逸脱すると、全く対応できなかったというわけです。

自動運転の事例から見えてきた「学びの本質」と危機感

 逸脱した状況から、どのように回復できるか。
 失敗から、どのように修復できるか。
 この自動運転の研究から分かったのは、これらのことが、学習においていかに重要かということです。良いパフォーマンスだけを材料にした学習は、現実に対応できないというのは、AIに限らず、私たち人間の学習を考える上でも同じでしょう。
 子どもや社員の教育において、失敗させないように先手先手を打つやり方をとっていいのか。そうした疑問へとつながる、すばらしい示唆だと感じています。

 先ほど、リアルの環境では自動運転は全く歯が立たなかったと書きましたが、この話には続きがあります。その後、テレビゲームの「マリオカート」を使って、「研究者とAIが交互に運転をコントロールする」というやり方をとったところ、AIの運転技術が向上したというのです。
 人がマリオカートを運転して見せたあと、AIにコントロールを委ねる。その際、AIが失敗したらすぐさま人間が軌道修正する。この、教習所と同じ「積極的に教える」というやり方がAIにも効く、というのには驚きました。

 ここでご紹介したのは、本書で取り上げられているなかでも「AIの自動運転の話」ですが、これは将来的には「自動運転に慣れてしまった人間の話」にもつながっていくと思います。
 基本的にすべての運転をAIに任せる未来がきたとしても、AIの開発段階で想定されなかったアクシデントが起きた場合には、自分で対処するしかありません。
 それができるだけの力を、自動運転に慣れた人間が身につけておくことはできるでしょうか。アクシデントが起きた瞬間に機能が停止するAIに、自分の命を預けていいのでしょうか。

 そこまで考えて、「よい判断とは何なのか」「よいとはそもそもどういうことなのか」を考えるべきだと思います。

知性の進化の先に待つ大きな落とし穴

 次におすすめするのが、『 知性の罠 なぜインテリが愚行を犯すのか 』(デビッド・ロブソン著、土方奈美訳、日経ビジネス人文庫、2025年)です。本書は『The Intelligence Trap(インテリジェンス・トラップ)』という2019年に刊行された原書を、2020年に日本語訳して刊行、2025年に文庫に収録されたものです。

『The Intelligence Trap なぜ、賢い人ほど愚かな決断を下すのか』(デビッド・ロブソン著、土方奈美訳)。「賢さ」の裏側には、たくさんの落とし穴が潜んでいる。
『The Intelligence Trap なぜ、賢い人ほど愚かな決断を下すのか』(デビッド・ロブソン著、土方奈美訳)。「賢さ」の裏側には、たくさんの落とし穴が潜んでいる。

 本書のテーマは、「なぜ優秀な人々が愚かな行動をとるのか」「なぜときにはふつうの人よりも過ちを犯しがちなのか」。
 成功した人というのは、どうしても「成功のルーチン」を繰り返してしまうものです。その成功に至る過程には間違いなく失敗があったはずなのに、一度成功してしまったばかりに少しの失敗にも耐えられなくなってしまうのです。

 先ほど、AIの学習においては失敗からの学びが必要だという話をしました。「失敗からの修復」というのは、人間でいう訓練です。やってみて、うまくいかないところを改善してまたやってみる。こうした訓練のプロセスは「失敗からの修復」の連続です。
 バレリーナは「1日練習を休むと、元の勘を取り戻すのに1週間かかる」といわれますが、認知的な行動も似た部分があります。意思決定や判断は、練習をし続けなければ、その質を保てない。一度ピークに達したとしても同じです。

 にもかかわらず、会社でも大学でも、高い地位につきリスペクトされるようになると、役割が「管理者」になってしまい、自分で失敗し修復をする機会は減ってしまいます。なかには自分でやらず、人に任せてしまう人もいるでしょう。そうなれば、意思決定や判断の能力はどんどん減衰していきます。

 トップに立ったアスリートでもトレーニングをしなければ衰えていくように、意思決定の力も現場を離れれば衰えていくものです。ピークであり続けるためには、それを保とうとするのではなく、自身のピークを自身で壊して先に進み続けなければなりません。

天才ほど陥りやすい? アインシュタインの苦しい晩年

 本書では様々な「インテリジェンス・トラップ(知性の罠)」の例が紹介されていますが、なかでも印象的だったのが、アルバート・アインシュタインの例です。

 アインシュタインといえば、いまや「天才」の代名詞です。しかしどうやら晩年は、苦しい日々を送ったようです。その理由は、量子力学、特殊相対性理論、質量・エネルギー等価の原理、一般相対性理論を生み出した若き日の「ひらめき」から逃れられなかったから。

 自らの理論の否定につながる見解を無視し続けてしまう。そうと自覚しながらも変えられない。その葛藤が伝えられています。彼が残した「おそらく私は、邪悪な量子を見るまいと、相対性理論の砂に頭を突っ込んだままのダチョウのように見えるのだろう」という言葉は象徴的です。

 こうした事例だけでなく、『知性の罠』の著者デビッド・ロブソン氏の言葉にもはっとさせられる人は少なくないはずです。

 知能も教育水準も高い人は、自らの過ちから学ばず、他人のアドバイスを受け入れない傾向がある。しかも失敗を犯したときには、自らの判断を正当化するための小難しい主張を考えるのが得手であるため、ますます自らの見解に固執するようになる。さらにまずいことに、こうした人々は「認知の死角」が大きく、自らの論理の矛盾点に気づかないことが多い。

 やはり大切なのは、失敗をどう修正するか、どう乗り越えるか。教育の目的は、失敗を修正し乗り越える方法と、失敗に負けない自信の獲得にあるのではないでしょうか。

「このままでいい」は危険なサイン

 1回目の最後にもう一つ、本書からさらなる「インテリジェンス・トラップ」を紹介しましょう。それは「慢心」です。

『The Intelligence Trap』は現在、『知性の罠 なぜインテリが愚行を犯すのか』に改題して日経ビジネス人文庫に収録されている(書影提供=日経BP)。
『The Intelligence Trap』は現在、『知性の罠 なぜインテリが愚行を犯すのか』に改題して日経ビジネス人文庫に収録されている(書影提供=日経BP)。

 成功や地位、能力に慢心し、「このままでいい」と思ってしまえば、自らを省みなくなってしまいます。省みないまま突き進んだ先に待っているのは「成功のルーチン」。失敗を認めず学びのない、閉じた世界です。

 「専門知識があるという錯覚は、視野を狭める可能性もある」と著者がいうように、専門性は時に自らの知識を過大評価し、他人の意見を受け入れることを拒否する態度につながります。

 最近、私のもとには誰もが知る日本を代表する大企業や司法、経済に関して意思決定をする行政機関からの講演依頼が相次いでいます。もしかしたら、「インテリジェンス・トラップ」の危険性に気づき始めた人が、増えているのかもしれません。

(構成=黒坂真由子、写真=稲垣純也)