人間には、思考、学び、言葉などすばらしい能力が備わっている一方で、「分かっていても間違える」「偏った視野から抜け出せない」「何回言っても伝わらない」をはじめ、日々の悩みに直結する特徴もあると語り、数多くのベストセラーを生み出しているのは、認知科学者の今井むつみさん。今井さんの書籍をきっかけに、認知科学への興味が高まった方も多いのではないでしょうか。本連載では、認知科学をさらに広く深く理解したい人に向けて、今井さんが考える「次に読んでほしい本」を紹介します。2回目は、私たち人間の「ものの見方」について。どこまでも客観的に見ることができない人間の性質を深く知るための本を紹介します。
人の数だけ「見ている世界」がある? ものの見方の主観と客観
今回紹介していくのは、連載「 今井むつみさんが語る【今井むつみの本】の世界 」の中でも特に1回目「 【今井むつみの本】の世界の入り口となる3冊 」でお話しした「人間の視野の偏り」、5回目「 【今井むつみの本】の世界 言葉と思考をめぐる3冊 」に興味を持たれた方におすすめしたい3冊です。
まず1冊目は、『 なぜ世界はそう見えるのか 主観と知覚の科学 』(デニス・プロフィット、ドレイク・ベアー著、小浜杳訳、白揚社、2023年)を紹介します。
私は慶應大学SFCで28年間、認知心理学という講義を担当していました。その授業では、面白い認知科学関連の本に出合ったときには学生に積極的に紹介し、時にはその本を踏まえた課題も設定していました。本書はまさに読んだときに「すごく面白い!」と思い、学生への課題にした一冊です。
たいていの人は、「私は客観的に世界を見ている」と思い込んでいます。しかしこの本が教えてくれるのは、「そうではない」という現実です。大げさな言い方ではなく、私たちが見ている世界には、「本当の客観性」というものは存在しません。存在するのは至って主観的な、その人なりの世界だというのです。
それはどういうことなのか。そして、どういうところが主観的なのか。それを明らかにしてくれるのが、この本です。
重い荷物で、いつもの坂も急角度になる
では、私たちのものの見方が主観的であるとはどういうことなのでしょうか。その分かりやすい例として本書で紹介されているのが、私たちは「坂の傾斜」をどのように知覚するのかという実験です。
この実験は、ダンベルの入ったバックパックを背負った被験者と、バックパックを背負わない被験者それぞれが、同じ坂の傾斜を見積もる、という方法で行われました。すると分かったのはバックパックを背負った被験者は、背負わない被験者よりも、つねに坂の傾斜をきつく見積もるということ。また、バックパックの有無にかかわらず高齢でなおかつ不健康な人は、そうでない人よりも常に坂が急であると判断しました。
さらに、同一人物でも、重い荷物を背負っているときと背負っていないときでは、背負ったときのほうが同じ坂を急だと感じていました。つまり重い荷物を背負っていると、いつもの坂でも「より急に見える」のです。

このように、同じ坂の前に立っていても、その坂の傾斜の見え方は「人それぞれ」であることが、各種の実験や研究で示されています。人が認識するものは、現実のものとは「ずれ」があり、私たちは非常に主観的に認識し、理解しているのです。
同じ坂道なのに、感じ方は人によって、状況によって違うというのは、なんだか不思議なことだと思いませんか?
どこまでも主観的な「感覚」に無自覚に振り回される私たち
客観的な職業の代表ともいえる裁判官であっても、残念ながら客観的に世界を見ているとはいえません。
イスラエルで行われた面白い研究があります。「裁判官がおやつやご飯を食べた後は、仮釈放が認められやすい」ことを示したものです。「仮釈放」とは刑務所に収容されている受刑者が、更生の様子が見られるなどの条件がそろった際に刑期の満了前に社会復帰を許可される制度です。
仮釈放を求める申請は基本的には棄却されることが多いそうですが、もちろんなかには許可されるケースもあります。その許可されたケースが「いつ判断されたか」を研究チームが調べたところ、朝一番、休憩後(おやつの時間)、昼食後の割合が高かったというのです。言い換えれば、食後で血糖値が高い時間帯や疲れていないタイミングに検討されれば仮釈放される可能性がアップするということです。反対に、空腹だったり疲れていたりすると、仮釈放は許可されにくいことになります。社会の安全性と囚人自身の人生を左右する重大な決断が、空腹か否かに影響を受けているとしたら、なんともやるせないことです。
これが意味しているのは、本来客観的に判断されるべき仮釈放を求める申請に対して、客観的な判断のトレーニングを積んでいるはずの裁判官であっても、本当に客観的には判断できていない、ということです。いわんや日々客観性を求められているわけではない私たちをや、ですね。
裁判官に限らず、「自分は客観的に物事を見ている」と思っている人は多いでしょう。そして「自分が見ている世界と、人が見ている世界は同じだ」ということを疑わない人は、きっと多いはずです。
しかしそれは、あなたの「主観」でしかありません。
目の前に広がるこの世界が「ありのままの世界である」と信じて疑わない人たちに対して、「そうじゃない」ということをこの本は教えてくれます。それはあなただけが見ている主観的な世界なのです。
「見えないゴリラ」を見抜くことができますか?
2冊目に紹介するのは、『 錯覚の科学 』(クリストファー・チャブリス、ダニエル・シモンズ著、成毛眞解説、木村博江訳、文春文庫、2014年)です。『錯覚の科学』の原書は『The Invisible Gorilla(見えないゴリラ)』というタイトルで2010年に出版されました。初めて邦訳が出版されたのはその翌年です。
この「見えないゴリラ」というのは著者のクリストファー・チャブリス氏とダニエル・シモンズ氏の2人が行った、有名な「ゴリラの実験」にちなんだタイトルです。この実験は2人がハーバード大学にいた頃に行ったもので、2004年には「イグ・ノーベル賞(人々を笑わせ、そして考えさせるような研究に対して贈られる賞)」を受賞するなど大きな話題となりました。
この実験は「見ているのに、気づかない」という人の「注意」のあり方に着目したものでした。被験者はあるビデオを見ます。そこには白いTシャツを着たチームと、黒いTシャツを着たチームが、それぞれバスケットボールでパス回しをする様子が映っています。被験者は「白いTシャツのチームがパスをする回数を数える」ように指示されます(ご自身で試したい方は、まず https://www.theinvisiblegorilla.com/IGvideos.html で、白いTシャツのチームのパスの数を数えてみてください)。
ビデオを見て、被験者はパスの回数を報告するのですが、実はその数にはあまり意味がありません。注目すべきはビデオの途中でゴリラ(の着ぐるみを着た人)が横切ったことに気づいたかどうかです。著者の実験では約半数の人が「ゴリラに気づかない」と報告されています。私も毎年、認知心理学の授業を受講している学生に取り組んでもらっていましたが、そこでの結果も同様でした。学生の半数が、画面を堂々と横切り胸をたたくゴリラに気づかないのです。これは驚くべきことです(その詳細は、拙著『 人生の大問題と正しく向き合うための認知心理学 』(日経BP)で紹介しています)。
なぜ私たちは「目の前の異物」を見逃してしまうのか
それにしても、なぜゴリラという明らかな異物を、私たちは発見することができないのでしょうか?
その理由にもまた、人間の認知の特徴が関係しています。外界には私たちにとって「多すぎる」くらいの情報があふれています。すべての情報を受容したらとうてい処理などできるはずがありません。そのため私たちの脳には、「注意を向けたもの」の情報しか入らないようになっているのです。ゴリラの実験のように、白いTシャツの人たちのパスの数に注目していると、変なこと(ゴリラが途中で立ち止まって胸をたたきながら画面を横切る)が起こったとしても、気づかないのですね。

私たちは「スキーマ」というおのおのが持つ知識や思考の枠組みのフィルターを通して、自分が見たいものだけを選択して見ているのだと分かります。見ようと思わなければ、目の前を通り過ぎるゴリラにも気づかないのです。
メモをするほど正答率が低下する? 記憶と言葉
この本では、錯覚を起こすものとして、目だけではなく「言葉」も紹介されていました。それを示すのが、「メモ」を使った実験です。
この実験では、犯人の顔が映っている銀行強盗のビデオを30秒間見せられたのち、何人もの顔写真を見せて「犯人の写真はどれですか」と尋ねる形で実施されました。一方のグループの人たちは「犯人の顔の特徴を詳しくメモする」ことが求められ、もう一方のグループは特にメモなどはとりません。どちらのグループが、より犯人を言い当てられたと思いますか?
実はメモをしたグループのほうが正答率は低くなりました。言語的に特徴を記述することで正答率が下がったのです。なぜこのようなことが起こったか。それは、メモに書いた特徴に当てはまるかどうかに引っ張られてしまったためです。例えば「(犯人は)メガネ 短髪……」とメモしておくと、提示された写真の中で「メガネ」で「短髪」の写真を選びやすくなります。犯人がいつでもメガネをかけているとは限りません。髪形だって時間がたてば変わるでしょう。それなのに、「メガネ」で「短髪」の誤った人を犯人として選んでしまうのです。このような現象は珍しいことではなく、「言語隠蔽効果」という名がつけられています。
この実験が示しているのは、画像で見たものをいったん言語化してしまうと、多くの情報が捨てられて、それを元の画像に還元しようとしたとしても難しいという現実です。画像を画像のまま記憶しておいたほうが、(短期的には)オリジナルの情報を維持できるのです。
この本もまた、学生に読むようにすすめた一冊です。学生たちは残念ながら「学術書」をなかなか読んでくれませんが、ゴリラの実験を含めユニークな実験が盛り込まれた本書なら、楽しく読めると考えたからです。しっかりと基礎研究を行っている著者2人が、一般向けに書いてくれた本ですから、初めて認知心理学に触れる方にもおすすめです。
目撃証言はなぜ「決定的証拠」にはならないか?
今紹介した「言葉が私たちの認識を惑わせる」ということをもっと知りたい方に薦めたいのが、『 目撃者の証言 』(エリザベス・F. ロフタス著、西本武彦訳、誠信書房)です。日本で単行本になったのは1987年。かなり古い本になりますが、人間の記憶についての本質をついた古典中の古典の本で、今でも読む価値のある一冊、というより今でこそ読んでほしい本です。
エリザベス・ロフタス氏は、認知科学の分野のスーパースターです。記憶の研究者としても知られています。ロフタス氏の一連の仕事によって、司法において、証拠の扱い方が変わったほどです。
たくさんの有名な研究がありますが、ここでは「言葉」を使った実験を紹介しましょう。自動車事故の写真を見せて、「車がぶつかった(hit)ときのスピードはどれくらいか」、もしくは「車が激突(smashed)したときのスピードはどれくらいか」を尋ねました。すると、「激突(smashed)」という単語が使われたときに、車のスピードが「速い」と証言されることが分かったのです。見た映像は同じでも、質問に使われた言葉(ぶつかる、激突するなど)によって、違うイメージがつくり出されてしまったわけです。
いったん言葉によってイメージがつくられてしまうと、私たちは、それが動画を見たときのものなのか、言葉によってつくられたものなのかが区別できなくなってしまいます。その事件を目撃したときのイメージなのか、取り調べの際の言葉によってつくられたイメージなのか、分からなくなってしまうのです。
人間の認知の限界と言葉の功罪
このように人間の記憶は、「言語や解釈によってつくられる」ことがあります。それは人間が、画像などの情報量がとてつもなく多い情報を、そのまますべて記憶することができないからです。意味を解釈して記憶すると、その時点で、他の多すぎる情報は捨て去られます。この記憶の制約を緩和するのが「言語」です。言語は、情報を圧縮してくれるツールなのです。非常に便利で役に立つことは間違いありません。
一方で、違う人の写真を犯人だと指摘する、言葉によって事故の規模のイメージがすり替わるといった間違いや誤解を生んでしまうのも言語です。功罪含め、認知科学的にも言語は非常に面白い分野だと思います。
『 「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策 』(日経BP)でもお伝えしましたが、言語で伝えることができる内容は、ものすごく限られています。ほとんどの人は、それを意識していないし、分かってもいないと思います。どちらかといえば、「言語は万能だ」と過信している人が多いのではないでしょうか。
その背後にあるのは、自分のスキーマ(知識や思考の枠組み)と相手のスキーマが同じであるという思い込みです。自分の見ている世界を、相手も見ていると思い込んでいる。そんな楽観的な想定のもとで言語情報をやりとりすれば、意識的に虚偽の情報を伝えようとしていなくても、「真実」は伝わらないかもしれません。そもそもその「真実」がお互いの世界で違うかもしれませんし、「真実」が一つであるという保証もどこにもないのです。
言語は有用なものですが、限界がある。
その認識からスタートすることが必要です。
(構成=黒坂真由子、写真=稲垣純也)


