イーロン・マスク、スティーブ・ジョブズ、ジェフ・ベゾス……。天才的なイノベーターが生み出したイノベーションはそれぞれ異なりますが、「思考の型」は共通しています。第一原理思考、アナロジー思考、パラノイア思考、物語思考、反逆思考、情熱思考、SF思考など、傑出したイノベーターに共通する「10の思考法」を、本人たちへの取材や100冊以上の書籍から得た知識を基に解剖した書籍『天才思考 世界を変えるイノベーションを生む10の思考法』から一部を抜粋・再編集してお届けします。連載の第3回では、スティーブ・ジョブズの思想やシュンペーターのイノベーション理論に、ニーチェの哲学が与えた影響を読み解きます。=敬称略

 スティーブ・ジョブズは「自分は特別な人間、選ばれた人間、悟りを開いた人間だと考えており、力への意志や超人のような概念を感じる」。米伝記作家のウォルター・アイザックソンは著書『スティーブ・ジョブズ』でこう述べています。

 「力への意志」「超人」とは、ドイツの哲学者、フリードリヒ・ニーチェの思想の核心ともいえる概念です。誤解されがちですが、力への意志とは、他者を支配したいといった権力欲ではありません。それは、「自己を超越して、より強く、より高まろうとするような生命の根源的な衝動」を指します。また超人とは、能力が高い人間ではなく、新しい価値を自ら創造できる存在を意味します。アイザックソンは、このようなニーチェの哲学をジョブズの思想と重ねていました。

 実はイノベーション理論で知られるオーストリア・ハンガリー帝国出身の経済学者ヨーゼフ・シュンペーターも、ニーチェの思想から強い影響を受けていました。

 2021年にフランスの政治哲学者のナタナエル・コラン-ジェゲールとエティエンヌ・ヴィーデマンは「起業家という概念の曖昧さのニーチェ的起源について:ニーチェの読者としてのシュンペーター(Aux origines nietzschéennes des ambiguïtés du concept d’entrepreneur : Schumpeter lecteur de Nietzsche)」(Revue de philosophie économique/Review of Economic Philosophy Volume 22, Issue 2, July 2021, p.89-124)という論文で、シュンペーターがニーチェから受けた影響を分析しています。

 2人はニーチェとシュンペーターの文章の類似点が顕著であることを指摘したうえで、次のように述べています。

 「シュンペーターはニーチェから概念的な要素、特に習慣に支配された静的な世界にダイナミズムと革新を導入する創造的な個人の姿を取り入れている」「ニーチェとシュンペーターには、優れた創造的な個人の特徴を定義する人類学という共通点がある」「ニーチェの創造の考え方を経済理論に統合することによって、シュンペーターはまた、資本主義の文化的および道徳的正当化を目指している」

 ニーチェの「創造的な個人」「超人」といった言葉にインスピレーションを得て、シュンペーターは「行動の人」というイノベーター像を“創造”した、という主張です。

 シュンペーター研究の第一人者である一橋大学名誉教授の塩野谷祐一も『シュンペーター的思考―総合的社会科学の構想』でニーチェの影響について言及しています。

 「シュンペーターの人間類型の二分法は彼の時代の哲学的思潮を反映していた。ニーチェの超人論、ベルクソンの生の飛躍論、バレートのエリート循環論、タルドの模徴論、ウェーバーのカリスマ論、オルテガの創造の哲学などは、人間類型論のさまざまな変種である。シュンベーターはこれらの人間類型論から学んだに違いない」。シュンペーターは、ニーチェを筆頭に当時脚光を浴びていたさまざまな人物の思想の影響を受けていた、と塩野谷は指摘しています。

 そして「シュンペーターが抱いた企業者のイメージは、アナロジーとして、浪漫的、英雄的な騎士のイメージと重なり合うものであった。彼が企業者の動機として挙げた王朝建設の夢想、勝利のための勝利、創造の喜び、反快楽主義的、英雄主義的なものとして謳い上げられた」「シュンペーターにとって、躍動する文明としての資本主義は、単なる技術革新の世界ではなく、企業者精神の世界でなければならなかった。しかも単なる企業者精神の世界ではなく、英雄主義の世界でなければならなかった」とも塩野谷は述べています。

 塩野谷が指摘するように、シュンペーターはさまざまな思想を学んでいましたが、とりわけ目立っていたのが、ニーチェの超人論などの影響でした。

強固な意志と飽くなき挑戦心を持ち、限界を突破する

 「イノベーションを科学する」といった触れ込みで、必要条件を提示して、計算式のような組み合わせによってイノベーションを実現できるかのように紹介する本は少なくありません。

 しかし、シュンペーターは、「新しい結合はいつでも思いつくことができるが、欠かすことができない決定的なものは、(人間の)行動であり、行動力である」と指摘しています。異なるアイデア同士を組み合わせて画期的な新しい商品やサービスを発明することは可能でも、それを社会に実装し、経済的なダイナミズムを生み出すには、起業家の行動力が欠かせないと考えたからです。

 強固な意志と飽くなき挑戦心を持ち、限界を突破していく──。そんな英雄的な人物が「行動の人」だとシュンペーターは述べています。

 「私たちにとって特別に重要なのは、私たちの『行動の人』にとっては、示すことのできる休止点も、彼を休止状態にとどめる経済様式も限界効用水準も存在しないことである。疲労に配慮しても、また快楽主義的な欲求が充足されても、彼の活動意欲は失われない」「こうした個人が望むのは、つねに新たな行動であり、つねに新たな勝利である」(『経済発展の理論(初版)』)

 行動の人=イノベーターこそが経済を飛躍的に変化させるダイナミズムを生み出す、とシュンペーターは信じていました。イノベーターが経済を発展させる源泉であるという考え方はシュンペーターが強い影響を受けて尊敬していた経済学者、レオン・ワルラスの批判という側面もあります。ワルラスは限界効用理論を学問体系として確立した経済学者の1人で、数理経済学の発展に大きな影響を与えました。

 あえて「限界効用」という言葉を使い、それを否定しているところにも、シュンペーターのワルラス批判が透けて見えます。ワルラスは経済学の分析に数学的な手法を使ったことで知られますが、そのような数字では割り切れない、人間としてのイノベーターが経済発展に与える影響にむしろ注目すべきだという主張ともいえるでしょう。

 シュンペーターとワルラスをテーマにした論文「ワルラスからシュンペーターへ―アントレプレナーシップの歴史的・思想的背景」(『組織科学』2022年56巻 2号 p4-14)において、滋賀大学経済学部教授の御崎加代子は『経済発展の理論』について、こう指摘しています。

 「初版(Schumpeter, 1912)では、このような企業者の機能よりもむしろ、企業者の行動類型や心理学的な説明に重点がおかれていた。すなわち『企業者』となりうるのは、従来の経済学が前提にしていた『快楽主義的な行動類型』とは根本的に異なる『精力的な活動の行動類型』を有する少数の人間であることが論じられており、シュンペーターの考える企業者は、新古典派経済学が想定する合理的経済人とは異質の人間類型であることがわかる」

「創造的人物」が事実上、究極の原理

 御崎が指摘する「合理的経済人とは異質の人間類型」として、シュンペーターは『経済発展の理論(初版)』で、ニーチェの「超人」のイメージをまとう、経済社会を進化させ、発展させるダイナミズムを生み出す強い意志と行動力を持つ個人を描いています。

 「変化をもたらす刺激を絶えず生み出す源泉は、彼その人である。経済における変化の変わらなく発信源である限り、彼は発展の一つの原動力である。彼は経済そのものから発して経済の変化をもたらすが故に、経済的発展の原動力そのものである」

 「私たちにとっては、この『創造的人物』が事実上、究極の原理なのである」

 「創造的人物が中心になってはじめて本来の発展過程、つまり継続性を中断して新しい段階へ移行する過程が現れるのである」

 このような言葉に触れると、ニーチェ的な思想にかぶれすぎではないかと感じる読者の方もいらっしゃるかもしれませんが、1912年当時のシュンペーターはまだ20代後半の気鋭の経済学者でした。シュンペーターが青春時代を過ごした19世紀末~20世紀初頭はニーチェの思想が強烈な光を放ち、多くの若者の心を捉えていました。

 もちろんコラン-ジェゲールとヴィーデマンが指摘するように、シュンペーターが描く起業家の概念は“曖昧”で、ニーチェ的な色彩を帯びる形で、極端に理想化されすぎているようにも感じます。

 それでもシュンペーターが思い描いた起業家のイメージは強烈で、多くの人の心を揺さぶる力を持っていました。強い信念とあらゆる困難に負けない飽くなき意欲を持ち、自ら行動し続けて、世界を変えていく。そんな英雄的な存在として、起業家を描いたからです。

 ニーチェの文章形式を決定づけることになるアフォリズム(警句)集の第一作は『人間的、あまりに人間的』でした。その核心となったテーマは「自由精神(freier Geist)」で、伝統や権威をうのみにせず、常識を疑い、真理を探究し、孤独を恐れないような人間です。あらゆる「偉大な作品は、人間の鍛錬や試行錯誤から生まれる」とニーチェは信じていました。

 シュンペーターが行動の人という言葉で説明したイノベーションを起こす人物も「人間的、あまりに人間的」な存在です。シュンペーターは、人間が起点となるイノベーションに強い関心を示していました。

スティーブ・ジョブズからは「(ニーチェの)力への意志や超人のような概念を感じる」と伝記作家のウォルター・アイザックソンは指摘した(写真=Tom Coates)
スティーブ・ジョブズからは「(ニーチェの)力への意志や超人のような概念を感じる」と伝記作家のウォルター・アイザックソンは指摘した(写真=Tom Coates)

日経ビジネス電子版 2026年3月24日付の記事を転載]

天才になれなくても、天才の思考法は誰でも学べる。イーロン・マスク、スティーブ・ジョブズ、ジェフ・ベゾス……。天才イノベーターの成功は「思考の型」から生まれています。『天才思考』では、第一原理思考、アナロジー思考、パラノイア思考、物語思考、反逆思考、情熱思考、SF思考など、傑出したイノベーターに共通する「10の思考法」を、本人たちへの取材や100冊以上の書籍から得た知識を基に詳細に解剖します。

山崎良兵(著)/日経BP/2640円(税込み)