(写真=猪俣 博史)
(写真=猪俣 博史)

※日経ビジネス電子版の連載企画「書店再興」を基にした新刊『書店再興 まちの本屋さんのゲームチェンジのために』が2026年3月27日に発刊しました。このコラムには同書のベースとなった記事をセレクトして転載しています。その第15回。

東京・池袋で2017年に「本と珈琲 梟書茶房」をプロデュースした栁下恭平さんは、2006年に東京・神楽坂で校正を専門とする会社「鷗来堂(おうらいどう)」を設立。14年には書店「かもめブックス」をオープンと、多面的に本と関わっています。今回はその経緯を聞かせていただければと思います。

栁下 恭平さん(以下、栁下):家族や親戚に本好き、語学好きが多い環境で、僕自身も子どもの頃から本を読むことが大好きでした。学校を卒業した後は大学に進まず、世界放浪の旅に出て、4年をかけてオセアニア、南米、ヨーロッパ10カ国で暮らしました。

おお。

栁下:その放浪から帰国して、初めて住んだところが、西東京市の田無でした。

西武新宿線の沿線ですね。

栁下:はい。ただ、田無駅から南に歩いて20分という場所でしたので、西武線沿線とも言えず、かといって中央線の武蔵境駅沿線でもないという立地だったのですが(笑)。

いずれにしても、世界から東京都下に降り立ったのですね。

栁下 恭平(やなした・きょうへい)
栁下 恭平(やなした・きょうへい)
鷗来堂(おうらいどう)代表取締役社長、「かもめブックス」店主。 1976年生まれ。20歳で海外放浪に出て、4年間、オセアニア、南米、欧州など10か国で旅暮らしをする。帰国後、編集プロダクション勤務を経て、2004年に校正・校閲の専門会社「鷗来堂」を東京・神楽坂で設立。14年、書店「かもめブックス」を開業。17年、シークレットブックの専門書店「ふくろう文庫」を併設したドトールコーヒーの新業態「本と珈琲 梟書茶房」をプロデュース。(写真=猪俣 博史、以下同)

猫が連れてきた縁

栁下:僕が借りた部屋は年季の入った木造アパートで、そこに引っ越した翌朝、ポストに手紙が入っていたんです。

翌朝?

栁下:ええ。引っ越し先はまだ親にも教えていないくらいで、誰も住所は知らないはずなのに何で? と開けてみたら、「猫2匹を探しています。こんな猫を見たらご連絡ください」と、書いてありました。

 差出人はこの部屋の住人だったご夫婦で、引っ越した先で飼い猫がいなくなったらしく、もしかしたら元のアパートに戻っているのではないか、という話でした。他にやることがなかった僕は、そのご夫婦と一緒に猫を探すことにしました。

村上春樹の短編のような始まりですね。

栁下:猫が行くであろう、ありとあらゆるところを一緒に探している時に、「きみ、仕事、何やってんの?」「何もやってないっす」という話になって、「じゃあ、ここで仕事をしたら?」と、知り合いの編集プロダクションを紹介してくださる流れになったんです。

 それが本に関わるようになったきっかけです。その時にタクシー会社を紹介してもらっていたら、タクシーの運転手をやっていたと思います。

人生の展開が、青春小説的といいましょうか。そこから、どのような経緯で校正の専門会社を立ち上げたのでしょうか。

栁下:編集プロダクションでは文芸誌の編集に携わりました。僕は子どもの頃から、ありとあらゆるジャンルの本を読んでいましたから、活字に関わることは、割と自然でした。その会社を辞めた次はIT業界に行って、大手のソフトウエア会社で営業を担当しました。

いきなり理系になったんですか?

理系一家で育ち、校正の会社を立ち上げる

栁下:僕の家は両親ともに理系で、僕自身も高校生の頃からコンピューターをいじることが好きで、ITにもなじみがあったんです。

 ソフトウエア会社の営業は、クライアントと社内のSE、プログラマーをつなげる役割でした。その2つは、両極とも言えるほど言語の違う世界で、橋渡しをするには、文系、理系両方の知識と、さらにコミュニケーション力が必要でした。僕自身、文系、理系と2つの世界を行き来することを楽しんでいましたね。

海外放浪に出かけてしまう好奇心に加えて、文理の知識とコミュニケーション力を持っておられるんですね。となれば、いずれ独立することは自然な流れだったのでしょうね。

栁下:いろいろな仕事に携わった後、30歳の時に校正を専門に行う会社を立ち上げました。それがざっとした流れになります。

校正、もしくは校閲は、活字文化の砦(とりで)であり、書籍制作には欠かせない仕事ですが、30歳前後の方は、なかなか目を付けないところではないかな、と。

栁下:校正が持つ意義も、もちろんありましたが、もう一つ、校正というのは編集と同じく無形の知財サービスですので、設備投資なし、運転資金なし、在庫なし、赤エンピツと辞書があれば、若くても始めることができる仕事だったんです。

なるほど。

栁下:売り上げも順調で、数年たったら、銀行から融資のお誘いも来るようになりました。

神楽坂にある「かもめブックス」には、校閲・編集に関する棚もある。
神楽坂にある「かもめブックス」には、校閲・編集に関する棚もある。
こちらは校閲者が使うシート。文字の級数などがプリントされていて、マニア好みのアイテム。
こちらは校閲者が使うシート。文字の級数などがプリントされていて、マニア好みのアイテム。

すごいですね。現在、鷗来堂は何人体制ですか。

栁下:正社員41人で、そのうち校閲部が18人で、それに加えて外部校閲が150人います。
「かもめブックス」は、別体制で正社員5人に、アルバイト6人で回しています。

書籍校正という、かなりな専門分野で、しかもアウトソースが可能な職能でも、正社員率が高いですね。

栁下:会社の核となる校正技術については、高品質を念頭に置いています。スタッフは、経験、年代、得意とする分野や地域など、すべてをカバーできるグラデーションで採用しています。

そうやって本業をきちんと回した上での新刊書店の開業だったんですね。

言いようのない悲しみに襲われて

栁下:僕が鷗来堂を構えたビルは、昭和時代に大家さんが「ブックス・ミヤ」という本屋さんを開いておられました。大家さんがその店を畳んだ後は、「文鳥堂」という本屋さんが入りました。文鳥堂は神楽坂、飯田橋で数店を展開し、界隈(かいわい)の文化の担い手だった本屋さんで、僕もしょっちゅう、そこで本を買っていました。

 ある日、開いているはずの店にシャッターが下りていて、そこに閉店を知らせる貼り紙がありました。それを見た僕はすごく混乱して、「どういうことだ」と、夢中でネット情報を集めたのですが、その時に言葉にならないような感情が湧いてきて。

悲しみ、ですか?

栁下:ネットには閉店を惜しむ声があふれているんですよ。僕にしても、全く同じでした。でも、そうやって、みんなが一時、センチメンタルな気持ちを表明する中でも、まちの本屋さんはなくなっている。自分も含めて、それを惜しむ人たちは、どうしてその状況を変える何かをしてこなかったのか、と。

 あの、ブラッド・ピットが主演した映画「セブン」を観たことはありますか?

「セブン」ですか……いえ、観たことはありません。

「梟書茶房」で本、映画を語る柳下さん。話題は枝葉を伸ばし、どんどん広がっていく。
「梟書茶房」で本、映画を語る柳下さん。話題は枝葉を伸ばし、どんどん広がっていく。

栁下:ブラピとモーガン・フリーマンの刑事コンビが、キリスト教の7つの大罪になぞらえた連続殺人を追っていく名作ですが、僕は決して観ることをお薦めしません。

え、聞くだけでも面白そうな作品なのに、お薦めしない? 

栁下:最後に……これ以上はネタバレになるので言いませんが、痛切な結末があるんです。僕はもちろん観客として、フィクションを観ていたわけですが、映画のつくりがめちゃくちゃ優れているので、その結末に言いようのない悲しみを感じて、すぐに立ち上がることができないほどだったんですよ。それに近い感情が湧いてきて。

栁下さんが書店を開く前段として、その言いようのない悲しみに近い感情があった、ということですか。

栁下:そうです。そして、悲しむよりも行動しよう、と。ちょうど銀行から融資のお誘いもあったし、すぐに物件を押さえにかかり、貼り紙を見た3日後には手付けを打っていました。

書店は「やめよう」と思えばやめやすい

「文鳥堂」から「かもめブックス」という名前の流れも、何だか物語めいていますね。ちなみに「かもめブックス」の開業資金はどのくらい必要だったのでしょうか。

栁下:2000万円ほどです。

書店再興シリーズの初回で、作家の今村翔吾さんは、書店を始めるには、だいたい1500万円から2000万円ほどの資金が必要だとおっしゃっていましたが、その通りなんですね。(「直木賞作家・今村翔吾氏が神保町に上げる『本屋さん』再興の狼煙」)

栁下:この時、僕はなぜまちの本屋がなくなっていくのかについても、あらためて考えました。

 それで、前の店主さんとお話をする中から、なるほど、と思えることがありました。一つに、まちの本屋は開業にまとまった資金が必要だけど、同時に“退職金”が担保されている。だから、やめようと思ったら、やめやすい業態なんです。

ん、どういうことなのでしょう?

栁下:まちの本屋さんの在庫って、つまり2000万円ぐらいあるわけです。本は委託制度に守られているので、店を仕舞う時に、それらを全部、取次に返品すれば、在庫高分がまとまった金額として返ってきます。それがいわゆる“退職金”代わりになります。

そうか。

栁下:この点は、経営者にとってはポジティブなものですね。で、2つ目の理由は後継者難というネガティブなものです。過去を振り返ると、昭和時代に本屋って、リスクが少ないいい商売だったんです。

それこそ委託制度があり、再販制度(再販価格維持制度)によって価格が守られ、さらに背景には雑誌がばかすか売れた時代があった。本だって、ベストセラーが次々と誕生して、よく売れました。

栁下:ところが20年前に比べて今は雑誌や本が、本屋の店頭で売れにくくなっています。前の店主さんいわく、息子さんに事業継承をしようと思っても、会社員になった方がはるかに安定して、実入りもいい。そこに、そもそもやめやすい業態だという要因が重なって廃業に至るんですね。

まだ本当のデジタルネイティブは生まれていない

栁下さんは、あえてその撤退相次ぐ業態に飛び込んだわけですが、だとしたら、勝機はどこに見出したのでしょうか。

栁下:日本ではこの先、人口減少とともに、日本語人口が減っていくので、本屋の環境は過去と同じではなくなります。そのことはよく分かっています。情報を摂取する際は、すでにネットが主戦場だということも、よく分かっています。そもそも僕自身がIT好きですので、これは実感としてありますよね。

神楽坂にある「かもめブックス」は、入り口にカフェ、奥にギャラリーを併設。
神楽坂にある「かもめブックス」は、入り口にカフェ、奥にギャラリーを併設。

 とはいえ、それでも書籍というパッケージ自体は消えないと考えているんです。これは文脈が深い問題ですので、うまく説明できるか分からないのですが、僕がそう考える根拠の一つとして、日本にはまだ本当の意味でのデジタルネイティブが登場していないと思うところがあります。

生まれた時からスマホがあるZ世代はデジタルネイティブ世代と目されていますが。

栁下:その通りですが、彼らにしても、義務教育で使った教科書は紙の本がメインなんです。現在の小学生にしても同じでしょう。ですので、この先当分、公教育での教材がいきなり全部デジタルということはない気がするんですね。完全にデジタルに移行するとしても、10年、20年は時間がかかると思うんです。

なるほど。

栁下:これはあくまで自分の感覚ですが、情報パッケージとして紙の本という形は、やっぱり便利で使い勝手がいい。特に何かを勉強する際には、とても適しているんです。そのあたりで、物理的な本は消えない。で、もしそれが消えるとしたら、制作サイドではなく、取次か、書店のビジネスモデルの変化が関わってくるのだろうと推測しています。

次回、そのあたりをうかがっていきますね。

「かもめブックス」での栁下さん。
「かもめブックス」での栁下さん。

(次回に続きます)

日経ビジネス電子版 2025年3月13日付の記事を転載]

「本屋さんがなくなる」悲観論ばかりが叫ばれる書店業界で、直木賞作家・今村翔吾氏を初め、個人が、企業が立ち上がる。経済産業省や地方自治体も黙っちゃいない。昭和の発想を切り替えて、書店を「頑張れば稼げる」ビジネスに変えていく具体的な試みはいくつもある。これらの発想は異業種にも応用可能だ。

清野由美(著)/日経BP/2530円(税込み)