日本人は英語が苦手とよく言われるが、なぜなのか。どうしたら英語が上達するのか。認知科学者の今井むつみ氏が探る。AIを活用した新しい英語学習法を提案する新刊『 アブダクション英語学習法 認知科学者がAI時代に伝えたい独学の技法 』(日経BP)から、抜粋してお届けする。その第6回。
ところで「英語をシャワーのように浴びていれば、英語が身につく」という人がいます。これは本当でしょうか?
英語をシャワーのように浴びる学習法の典型は、多聴です。意味がわかっても、わからなくても、とにかくたくさん聞く。乳幼児に英語の動画をたくさん見せたり、大人なら英語のラジオを流しっぱなしにしたり。
そういう学習法を否定するわけではありません。
ただ、そうやって英語の音声をずっと聞き続けたとしても、流れてくるテキストに知らない単語がいくつも含まれていたら、テキストの内容を理解することはできません。どれだけたくさん聞いたところで、右の耳から左の耳に通り抜けていくだけです。いくら聞き続けても、語彙が増えることは基本的にありません。
言語の習得は、語彙がなければ何も始まりません。
これは多読も同じです。どんな文章でも、知らない単語がたくさんあったら、その内容を理解することはできません。知らない単語が、1行に1つくらいの割合で、あるいは1つのパラグラフに2個か3個くらいあると、人の頭の情報処理はほぼ止まってしまいます。話題になじみがない場合、もうてきめんに停止し、何も頭に入ってこなくなります。
「知らない単語が多いと情報処理がほぼ止まる」とは、どういう状態でしょうか?
日本語で試してみましょう。
試しに「知らない単語が多い文章」を日本語で読む
次の文章を読んで、「何がテーマ」なのかを、考えてみてください。 ■を使って伏せ字にしている部分は、日本語の初学者にとってはやや難しく、語彙にない可能性が高い単語です。
「①■■」というと、ちょっと理解しにくいかもしれません。②■■■を出して、説明していきましょう。
あるテレビ番組で、讃岐うどんを作る達人を取り上げていました。うどんの材料は、「小麦粉、塩、水」だけです。③■■はこの材料の④■■の仕方と、足で生地を踏む力⑤■■や時間で変わります。毎日同じ味と③■■のうどんを作るためには、毎日同じ④■■で、同じ力⑤■■で生地を作ればよいのでしょうか? 実は違うのです。毎日、気温や湿度は違います。それなのに、毎日同じことをすると、出来上がるうどんの味や③■■は違ってしまうのです。
このうどん作りの達人は、「その日の気温や湿度によって、塩と水の分量を毎日微妙に変える」と言っていました。生地を踏む力⑤■■も調節するそうです。それらの⑤■■を決めるのは、①■■だけが頼りです。
出所:今井むつみ『AIにはない「思考力」の身につけ方』筑摩書房(2024)
この文章のテーマは何なのか。
すぐにわかった人は少ないと思います。「うどんの話」ではありません。この文章のテーマは「直観」です。けれど、この状態で読むと、「うどんの話」と思ってしまう人が多そうですね。なぜでしょうか。
もちろん、伏せ字があるからです。伏せ字にしたのは「日本語の初学者にとってはやや難しく、語彙にない可能性が高い単語」でした。語彙が不足したまま外国語の文章を読むというのは、こういう感覚なのです。
ちなみに、■で伏せ字にした部分に入るのは、「①直観」「②具体例」「③コシ」「④配合」「⑤加減」です。「力⑤■■」は「力加減」となります。
これらのキーワードは、難易度が高いだけでなく、繰り返し出てきます。繰り返し登場する単語がわからなければ、文章の内容を理解することはかなり難しくなります。
英語初学者の多聴・多読は、このような伏せ字のある文章を繰り返し読んだり、聞いたりするようなものです。それで本当に、英語が「使える」ようになるでしょうか。
さらにいえば、文章の理解に必要なのは、単語の知識だけではありません。その内容の背景にある体系的な知識──認知科学の世界では「スキーマ」と呼ぶもの──も必要です。

例えば、先ほどのテキストにあった「うどんのコシ」について、うどんに関わる身体的な経験をほとんど持たない外国の人が、多聴・多読だけで理解できるようになるのは無理でしょう。
コシがあるうどん、コシがないうどん。
うどんのコシは「ある」「ない」という2つのことばを知っていれば、わかるわけではありません。実際にうどんを何回も何回も食べることで「ちょっとコシが足りない」「まったくコシがない」など、ことばでは表しきれない微妙な違いが、感覚的にわかってきます。
それが「記号接地」した状態で、「うどん」について、質の高い豊かなスキーマを持っている状態といえるわけです。
多聴・多読が向くのは、どんな人?
もちろん私は、多聴・多読に意味がないといっているわけではありません。このような学習方法を否定するつもりはないというのは、最初にお断りした通りです。ただ、「初学者には向かない」ということなのです。
多聴・多読が効果を発揮するのは、あるレベルになってから。つまり、語彙が十分にあり、多聴・多読する英語のテキストがすらすらと読めて、耳から頭に入ってくるようになってから。
例えば、日常レベルの英会話ができて、テレビのニュースぐらいであれば英語で聞き取れる。そういったレベルからさらに上を目指し、語彙をもっと増やしていきたい。より速く、より的確に読めるようにしたい。ボリュームのある文献の要点を斜め読みだけで汲み取れるようにしたい。そういったハイレベルな目標を持つ方であれば、ぜひ多聴・多読のトレーニングをしていただきたいと思います。
しかし、語彙が十分でない初学者が、どんなにたくさん英語を聞いたり、読んだりしたところで、自然と英語が口から出てくるようにはなりません。まして、ネイティブにとって自然で的確でわかりやすい英語を話せるようになることもなければ、書けるようになることも決してありません。
繰り返しになりますが、言語の習得は、語彙がなければ、何も始まらないのです。
[日経ビジネス電子版 2026年4月6日付の記事を転載]
今井むつみ(著)/日経BP/1980円(税込み)
