棋士の勝又清和七段の『キホンからわかる 東大教養将棋講座』(日経プレミアシリーズ)と、青野照市九段の『職業としての将棋棋士』(小学館新書)が刊行されたのを記念し、NIKKEI LIVEで「将棋界トリビアトーク 青野照市九段×勝又清和七段」がオンライン開催されました。2026年1月22日に逝去した加藤一二三九段の思い出や、将棋界の歴史やトリビアについて語りました。

観る将にお薦めの2冊の将棋本
2025年秋に、棋士による一般向けの新書が2冊刊行された。勝又清和七段著『 キホンからわかる 東大教養将棋講座 』(日経プレミアシリーズ)と青野照市九段著『 職業としての将棋棋士 』(小学館新書)である。その刊行を記念し、2026年2月、NIKKEI LIVEで勝又七段と青野九段の対談が開催された。
勝又七段は東京大学大学院総合文化研究科客員教授を務め、2013年から11年間にわたって、東京大学の学生に将棋の授業を行ってきた。書籍はその講座をまとめたもので、将棋の基本的なルールや戦術、文化的な側面の歴史に加えて、藤井聡太六冠や将棋AIの発展を盛り込んだ内容になっている。
青野九段は2024年に71歳で引退した。日本将棋連盟の理事を長く務め、『職業としての将棋棋士』では、50年の現役生活で見聞きした将棋界の事情やエピソードをまとめている。目次を見るだけでも刺激的だ。「天才・奇才・奇人・変人」や「何か変だよ将棋連盟」など、まるで酒場でこっそり聞けるような話が掲載されている。
名棋士「ひふみん」の破天荒エピソード
対談は、2026年1月に86歳で逝去した加藤一二三九段の話から始まった。加藤九段は数々のタイトルを獲得した名棋士で、77歳11日の現役棋士最年長記録を持ち、藤井六冠のデビュー戦の相手を務めた。晩年は「ひふみん」として、テレビで活躍したことでも知られる。加藤九段のエピソードは個性的なものばかりで、勝又七段と青野九段の話が弾んだ。
勝又七段は小学校3年生のときに加藤九段の著書『将棋の初歩入門』(1972年、大泉書店)で将棋を学んだ思い出がある。「飽和状態」など大人向けの言葉が使われ、辞書で読み方や意味を調べながら読んだ。難解な文章でも大好きな将棋の本なので、苦にならなかったそうだ。青野九段は加藤九段とトップリーグの順位戦A級でしのぎを削ってきた。

青野九段と勝又七段は、ともに修業時代から加藤九段の将棋を勉強し、プロになってから何度も盤を挟んで、大先輩の迫力を身をもって感じた。例えば、加藤九段は若いときから昼も夜も同じ食事を頼む傾向があり、青野九段は「注文を考えるのが面倒だからではないか」と推察している。対局に全力で集中するため、少しでも他のことに気を取られたくないためだったのだろう。年を重ねれば食が細くなるものだが、加藤九段は還暦を超えても、うな重などスタミナがつくものを好んで頼んだ。勝又青年が食事の当番で出前の注文を取りにいくと、顔も見ずに「うな重」と一言だけつぶやいて、お札と小銭を出してきたという。「うな重」といっても松竹梅で違うが、金額を数えてみるといちばん高級な松の値段とぴったり一致したそうだ。
また、加藤九段は敬虔なキリスト教徒(カトリック)として知られる。対局中の外出が許された当時は、食事休憩のときに教会にお祈りに行くほどだった。信仰のきっかけは30歳前までのスランプ。藤井六冠と同じく14歳で史上最年少棋士としてデビューするも、大棋士の厚い壁に阻まれて、タイトルをなかなか獲得できなかった。いってしまえば、挫折しかけた大天才だったのだ。ところが29歳で初戴冠を果たし、30歳でキリスト教の洗礼を受けると、それまでの鬱憤を晴らすように大活躍した。どんな人でも、勝負や本番のプレッシャーに押しつぶされそうになったり、ミスを恐れるばかりに慎重を通り越して縮こまったりしてしまうことがあるだろう。
どんなときでも適度な緊張感を持ち、自分を信じて戦うのは容易ではない。加藤九段自身もそうだったらしいが、信仰が積極的な戦いを後押しした。42歳で悲願の名人獲得を達成したときも、旧約聖書の「勇気を持って戦え、弱気を出すな、慌てないで落ち着いて戦う」を意識したそうだ。意識するだけなら誰でもできるが、その教えを信じられるのに値する努力を積み重ねたからこそ、迷う場面で恐れずに踏み込んで結果を出せたのではないか。
何十年も昼夜で同じ食事、対局中のお祈りだけをみれば、世間一般の感覚からすれば「ひふみん」らしいと思われてしまうかもしれない。だが、全身全霊で戦うためだとすれば、求道者たるゆえの行動といえる。62歳までトップのA級棋士として活躍し、引退するまで全力で戦った。その情熱と実績に敬意を払っているからこそ、勝又七段と青野九段も加藤九段のエピソードが表に出せるのだ。
生卵、麺抜きタンメン…対局時の食事も個性的だった昭和の棋士
対談では、視聴者からの質問も募集した。「昔の将棋会館や奨励会時代の話が聞きたい」という質問に対して、青野九段が当時の思い出を語った。
かつては、奨励会員が将棋会館に住み込み、棋士の世話や対局周りの雑用を引き受ける「塾生」という仕事があった。
青野九段が塾生を務めていたときは、深夜に対局が終わると麻雀が始まり、塾生は酒やタバコの買い出しを頼まれて、終わった後に灰皿を片付けた。青野九段は虚しさと腹立たしさで、半年に1回ほど麻雀牌をこっそり1枚だけ捨てて、棋士を困らせたという。青年のささやかな復讐だった。ちなみに加藤九段は麻雀などをせず、群れないことで有名だった。将棋に純粋で、孤高といえる存在だったのだろう。
今でもタイトル戦などで注目される対局時の食事は、加藤九段以外の棋士も変わったものが見受けられた。青野九段によれば、今でも人気がある故・升田幸三実力制第四代名人は「生卵2つ」の注文だったそうだ。その話を聞いた勝又七段は、故・米長邦雄永世棋聖の注文「タンメン・麺抜き」を懐かしそうに語った。今なら「糖質制限ダイエット」と思われそうだが、深夜まで脳をフル回転させて対局を戦い抜くために、胃に負担がかからないようにする工夫だったそうだ。時にはざるそばを頼んで、つゆしか飲まないときもあったという。現在では栄養補助の食品やゼリーぐらいで済ませる棋士もいる。生卵などは、コンビニがなかった昭和時代ならではの工夫だったのではないだろうか。それを思えば、加藤九段の「うな重」は、盤上も盤外もレジェンドで、精魂を込めて戦っていたことを象徴するエピソードだったといえる。

今の棋士は個性派が少なくなった。青野九段は著作で「若手の中でも変人のような人はいるが、昔の人に比べればかわいいもの。ミニ変人とでもいえようか」「これも時代の流れと言えるのではないだろうか」と述べている。「時代の流れ」で思い浮かぶのは、50代半ばの羽生善治九段らだ。羽生世代は昭和から平成に年号が変わる頃にプロデビューし、将棋の定跡をまるで学術研究のように整理していった。その結果、対局は序盤からシビアになって競争はますます激しくなり、まるで受験生や研究者のように日々打ち込んでいないと置いていかれる世界になった。
そして、現代で最もホットなトピックは将棋AIを用いた研究である。その話は後編で述べよう。
文/小島渉 構成/木村やえ(日経BOOKSユニット第1編集部) 市川史樹(日経BOOKプラス編集)

