3月5日に開幕したワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。首位で1次ラウンドを突破した日本代表チームの活躍で盛り上がっている。そのWBCにも出場、日米通算121勝を挙げ、メジャーのオールスターゲームにも2度選出されている現役メジャーリーガーの菊池雄星投手(ロサンゼルス・エンゼルス)が、『こうやって、僕は戦い続けてきた。「理想の自分」に近づくための77の習慣』(PHP研究所)を出版した。第一線で戦い続けるために、どのように考え実践してきたのか、目標との向き合い方や学ぶ姿勢などを明かしている。本書の執筆の動機から読書習慣、人生哲学を聞いた。

菊池雄星(きくち・ゆうせい)
ロサンゼルス・エンゼルス投手
1991年、岩手県盛岡市生まれ。花巻東高校では春夏通算3度の甲子園出場。2009年ドラフト1位で埼玉西武ライオンズに入団。18年オフにMLB挑戦を表明。19~21年シアトル・マリナーズ、22~24年トロント・ブルージェイズ、24年ヒューストン・アストロズ、25年~ロサンゼルス・エンゼルス。24年、岩手県花巻市に、子どもたちの教育・育成を目的とした日本最大級の全天候型複合野球施設「King of the Hill」(K.O.H)を私費で建設。日米通算121勝(NPB73勝/MLB48勝)。NPBで最多勝利(17年)、最優秀防御率(17年)、ベストナイン(17、18年)、ゴールデングラブ(17年)。MLBオールスター選出(21、25年)。年間200冊以上本を読む読書家としても知られ、地元・盛岡市の都南図書館前にはMLB制作の「本の虫」を模したマンホールカバーが設置されている。

「自分の言葉で伝えたい」という思い

日経BOOKプラス編集(以下:――) スポーツ選手の著書は数多くありますが、現役の野球選手が13万字、250ページに及ぶ本を本人が書き上げた例は寡聞にして知りません。なぜ、そんな挑戦をしたのですか?

菊池雄星(以下:菊池) この『 こうやって、僕は戦い続けてきた。 「理想の自分」に近づくための77の習慣 』(PHP研究所)の出版のお話をいただいたときに、自分が試行錯誤を繰り返しながら培ってきた考え方や取り組みが、誰かの役に立つのだとしたら、それはとてもうれしいことだと思いました。やるならばそれを自分の言葉で伝えたい、自分自身で文章を書きたいと編集者さんに伝えたのです。

 僕らアスリートは、SNSで発信する場合を除くと、自分の言葉や考えが世に出る際には必ず誰かのフィルターを通過することになります。誰かの目線を通した記事であったり、編集された映像であったりする世界です。それはそれでもちろん大切なのですが、これからは誰のフィルターも通さず、ゼロから自分の言葉で伝えることが大事になるのではないかと思って、今回自分で書かせていただきました。
 出版社の方からは、現役中に少なくとも野球選手では前例がない、大変な作業になりますよと言われましたが、どこまでできるのか自分自身を試したかったということもあります。

『こうやって、僕は戦い続けてきた。 「理想の自分」に近づくための77の習慣』(PHP研究所)/画像クリックでAmazonページへ
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執筆で苦労したことはありますか?

菊池 書くこと自体は苦労しなかったのです。というのは目次をまず決めて、77の項目を1つずつ埋めていくという書き方にしました。記憶の中にある経験やその都度自分が考えてきたことなど、頭の中に入っていることを文章にするだけでしたので意外にスムーズでした。

 本にも書いたのですが、僕にとっての「サードプレイス」は家の近所にある小さなカフェです。球場へ向かう前に必ず立ち寄りブラックコーヒーを飲む場所ですが、そのカフェの片隅で書くことが多かったですね。ただ、苦労したのはタイピングです。なにせパソコンをほとんど使ったことがない野球選手なので。

中学2年生の時からの「書いて考える習慣」

もともと書く習慣があったのですね。

菊池 両親の影響で、小学生のころから本が大好きで読んでいたのですが、中学校2年生ぐらいの時から本格的に野球選手になりたい、なるんだという目標を立てて本を読みあさっていました。当時はYouTubeもSNSもありませんから本を読むことでしかトレーニングの方法や目標設定の仕方、自己啓発などの情報は入手できなかったのです。
 ある時、何の本だったかははっきり覚えていないのですが、「成功者は日記を書いている」という言葉に出合いました。その言葉に素直に従って中学校2年生から花巻東高校の3年間、5年間1日も欠かすことなく日記を書き続けました。

 今日はこういう練習をしたけれど改善点はどこだろうとか、どうやったら甲子園に行けるかといったことを、書くことで振り返ったり考えを整理したりしていましたね。

早くから読書の習慣があったのですね。

菊池 僕は4人兄弟の3番目で、服も運動着もすべてが兄のお下がりだったのです。野球に熱中していたのでファッションやゲームにさほど興味がなく、お下がりを着ることにも何の抵抗もなかったのですが、両親が本好きで、ゲームや服はなかなか買ってあげられないけれど、本であればいくらでも買っていいと言ってくれました。野球選手になりたいということが唯一目標だったので、ありがたく本を買わせていただきますという感じでしたね。自主練習が休みの月曜日になると、自転車で本屋さんへ行くのが習慣でした。

 最初は野球の技術書や名選手の自伝などが中心でしたが、次第に、栄養学や解剖学、睡眠、トレーニング理論などに広がっていきました。中学を卒業する頃には、リーダーシップ論や組織づくり、経営学の領域の本も読むようになっていきました。

プロとして戦うために必要な「忘れる技術」

本書でも、インドアでのリフレッシュ法として読書を上げていますね。

菊池 スポーツの世界では、「覚える能力」が重要視されますが、僕が長年プロとして戦う中で痛感しているのは、実は覚えることと同じくらい「忘れる能力」が大切だということです。メジャーのクラブハウスでは、「He is always the same guy.」(彼はいつも変わらない男だ)という言葉が褒め言葉として使われます。裏を返すと、「落ち込んで、クヨクヨしている選手は尊敬されない」ということでもあるのです。

 そして「忘れる能力」は一つの技術であり、気持ちを切り替えるための引き出しをいくつも持っていることが大切です。脳をリフレッシュさせる意味でも引き出しは多いほうがいいのですが、その一つが読書です。知識の吸収のための読書もしますが、嫌なことがあったときには、新しい知識を得ることよりも、物語に没入して時間を忘れる。小説を手に取ることが多いですね。司馬遼太郎さんの『 燃えよ剣 』(新潮文庫、リンクは上巻)を夢中で読んで、気づいたら朝になっていたということもありました。

『燃えよ剣』(司馬遼太郎著、新潮文庫、画像とリンクは上巻)/画像クリックでAmazonページへ
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 沢木耕太郎さんのノンフィクションも昔から好きで『 凍(とう) 』(新潮文庫)、『 一瞬の夏 』(文春文庫、リンクは上巻)、もちろん『 深夜特急 』シリーズ(新潮文庫、リンクは文字拡大増補新版1)など、作品はほぼすべてを読破しています。中でも『 敗れざる者たち 』(文春文庫)は、プロ5年目ぐらいの一番目標を見失っていた時期に読んだ本。初版から数十年を経ていますが古びることなく、衝撃を受け励ましてもらった本です。

『敗れざる者たち』(沢木耕太郎著、文春文庫)/画像クリックでAmazonページへ
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著書の中では、「迷ったときに立ち返る本」を持っておくことにも触れていますが、迷ったときに立ち返る場所としての本は、ずっと変わっていないのですか?

菊池 変遷していますね。最近は、読むことで心が奮い立つ歴史小説などが返るところになっていますが、若いころは自己啓発本もたくさん読んでいました。「返る本」はずっと同じ必要はない。変わっていいのだと思います。好きな食べ物も、昔はカルビが好きだったけれど、今はレバーというように年齢によって変わりますよね。価値観も変わって当然ですし、その変化は自分の気持ちや心が成長しているともいえるのだと思います。

取材・文/中城邦子 構成/市川史樹(日経BOOKプラス編集)