日本は40歳以上の大人が人口の過半数を占める「超中年社会」。ボリュームゾーンでありながら、令和を生きる「新世代型中高年」は「後輩や部下に嫌われたくない」「老害だと思われたくない」と部下や社会に気を使い、時代が求める「いい大人」でいようと無理をして生きています。萎縮し、軽んじられて自信を失いがちなミドル社員にエールを送る一冊が『「老害」と呼ばれたくない私たち』(日本経済新聞出版)。著者の河合薫さんに、この本に込めた思いを聞きました。

年齢を重ねただけで尊重され威厳を保てた時代があった
いったい、いつから中高年は「老害」を自称するようになってしまったのでしょう。
かつて私たちが若い頃に目にした中高年像は、もっと偉そうでした。会社では鬼上司が君臨し、近所では「芝生に入るな!」と子どもたちに怒鳴る人がいて、電車や飛行機の中でも堂々とご高説を垂れる。そんな「偉そうな」大人たちが、社会にたくさんいました。
そうした「偉い人たち」は、長く働いたという事実だけで社内での地位が保証されました。それほど社内評価が高くなく、部下がいなくても昇進したり、課長代理や部長代理といったポジションを会社が用意してくれたりしました。年功序列という明確なよりどころがあったのです。
企業はスリム化と若手の積極的登用の流れの中で、「40代昇進の壁」「50代役職定年の壁」「60代減給の崖と壁」「65歳切りの壁」と、年代特有の課題に合わせた人材の「在庫一掃セール」を行っています。現在の40代、50代、60代の中高年は、終身雇用の恩恵もなく、働く時間だけが延び、デジタルネイティブの世代に引け目を感じながら、さらに孤独感を増幅させています。
こうした「新世代型中高年」は、若者に気を使い、年下上司の顔を立て、家庭では配偶者や子どもにも配慮を欠かさない。いい大人でいようとして、あらゆる場面でセンシティブになっています。その最たる現象が、「老害を自称してしまう」こと。誰かにアドバイスする時に「老害かもしれないけど」と前置きしないと、意見すら言えなくなっています。
かつて、老害という言葉は、他者が年上の人たちに向けて発する批判の言葉でした。「組織のため」と言いながら、実は自分の利益しか考えていない。いつまでもポストにしがみつき、時代遅れの価値観を押し付ける。そんな人物に対して若い人が批判し、世代交代を求める気持ちで使っていました。
ところが新世代型中高年は、誰からも老害と呼ばれていないにもかかわらず、「老害と呼ばれたくない」と恐れおののいています。私は20年にわたって1000人以上のビジネスパーソンにインタビューをしてきました。組織の外から観察して感じるのは、当人たちも企業も、中高年社員の価値を正当に評価していないということです。長年その会社で培ってきたスキルや人脈、暗黙知は、簡単には代替できない財産であるはずなのに。
ロールモデルがいない、終わりのないマラソン
経済的な不安も、この世代を苦しめる要因です。医療技術の進歩で、寿命は延び続け、60歳の時点で85歳まで生きると想定していても、実際に85歳に達する時には、さらに平均余命が延びているという現実があります。
ゴールだと思った地点に到達しても、「まだ先がある」と告げられ、ゴールがどんどん遠のいていく、終わりのないマラソンのような長寿社会です。かつては定年後の人生設計がある程度予測可能でしたが、体力も気力も、そして経済的な余力も限られている中で、どこまで走り続けなければならないのか分からない。新世代型中高年は、参考にすべきロールモデルが存在しない、誰も歩いたことのない道を手探りで進んでいるのです。
だからこそ、下の世代に幸せな背中を見せてほしいと願って書いたのが本書です。
半径3m世界の幸福論
社会で、特定の年齢までに達成すべきと期待されるライフイベントや適齢期のイメージは、「ソーシャルクロック」と呼ばれます。この時計通りに人生が進んでいると、人は安心感を覚える一方で、予定から外れてしまうと負け組のように感じられ孤立感が強まる傾向があります。 しかし、現代は50歳でやっと人生の佳境に入る時代。超中年社会の現代に「負け組」なんていません。
氷河期世代の40代はあの頃できなかったことを今から始められる。バブル期を駆け抜けた50代半ばから60代は、若い頃には気づけなかった本当に大切なことに、今から向き合える。人生の後半は私たちが思うよりも、ずっとずっととんでもなく長いのです。人生に「いまさら」という4文字はありません。
つい老害を自称してしまいたくなる、「新世代型中高年」の皆さんには、「自分にとって本当に大切なものって何だろう」ということを考えてほしいと思うのです。幸せへの力は、「半径3mの世界の他者との質のいい関係」があってこそ引き出される力です。これは健康社会学者のアーロン・アントノフスキーが唱えた「生活世界」という概念を、私なりの言葉にしたものです。
私たちは「社会」や「国」「会社」といった実態のぼんやりしたものの中にいる自分を気にしがちです。その巨大な主語を、「半径3mの世界の中の自分」に置き換えると、できることが山ほど見えてきます。会社全体を変えることは難しくても、自分のチームなら変えられます。
こうした考えに至ったのは、私自身が両親をみとった経験です。父親が亡くなり、続いて母親も世を去ったとき、言葉にできない「心もとなさ」を感じました。その感情と向き合う中で気づいたのは、本当に大切なものは目の前の日常の中にあるということでした。家族、友人、健康。当たり前過ぎて見過ごしがちですが、実は人生の幸福を支える最も重要な要素です。
3つのボールをジャグリングすることで幸せになれる
その半径3mの世界で意識したいのが、身近な人とのつながり(家族・友人)、社会とのつながり(仕事・ボランティア)、生命の尊さ(健康)の3つです。家庭・仕事・健康という3つのボールを持ち、ジャグリングのように回せるような日常があってこそ、人は幸せになれるのだと思います。
仕事に没頭するあまり、家庭や健康のボールを回すことを忘れがちです。あるいは家庭や健康のボールがあることさえ忘れて、仕事のボールばかりを追い求めてしまいがちです。しかし、新世代型中高年なら、時間もお金も、自分というリソースも無限ではないと分かる、自分の大切なものが分かってくる年齢です。自分の大切なもののために、自分のお金と時間とエネルギーを使うことは、ボールを回し続けるために不可欠な投資です。
老害と呼ばれることを恐れるのではなく、自分らしく生きることに集中する。半径3mの幸福を大切にしながら、社会ともつながり続ける。3つのボールをバランスよく回しながら、一歩ずつ前に進んでいく。半径3mの世界で考えることで、世界は自分が動くだけで変わり、世界の「当たり前」が変わり、自分の立場も変えていけます。
河合薫著/日本経済新聞出版/1760円(税込)
取材・文/中城邦子 構成/市川史樹(日経BOOKプラス編集) 写真/鈴木愛子

