ジャーナリストで東京科学大学リベラルアーツ研究教育院特命教授の池上彰さんと同大学の学生・卒業生らが開催している「池上読書会」。2026年3月15日の読書会は『会社は「本」で強くなる マネーフォワード 全社で取り組む「読書経営」』が題材となり、ゲストとして、膨大な読書経験を持つマネーフォワード総合研究所長・瀧俊雄さんらも参加しました。当日の様子を3回にわたりリポートします。今回は、池上さんと瀧さんのトークセッションの前編をお届けします。

ピーター・ティールが人生を変えた

東京科学大学リベラルアーツ研究教育院特命教授・池上彰さん(以下、池上) 瀧さんは野村證券、野村ホールディングスの企画部門を経て、マネーフォワードの設立に関わられましたね。マネーフォワードでは経営層から現場まで読書をすることが浸透しているそうですが、瀧さん自身は起業のきっかけになった本はありますか。

池上彰(いけがみ・あきら)
ジャーナリスト、名城大学教授、東京科学大学特命教授ほか7大学で教える
長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。地方記者から社会部記者を経て、報道局記者主幹に。1994年よりNHK「週刊こどもニュース」で、さまざまなニュースを分かりやすく解説し、人気を博す。2005年NHK退局後、フリージャーナリストとしてさまざまなテーマについて取材し、幅広いメディアに出演する。12年2月より東京工業大学(現東京科学大学)リベラルアーツセンター(現リベラルアーツ研究教育院)教授に就任、16年から現職。著書に『伝える力』(PHP新書)、『知らないと恥をかく世界の大問題』シリーズ(角川新書)などベストセラー多数。

マネーフォワード総合研究所長・瀧俊雄さん(以下、瀧) 本ではなく人物になりますが、ペイパル創業者のピーター・ティールです。私がスタンフォード大学でMBA(経営学修士)を学んでいた2011年ごろ、彼のソブリンティ(主権論)の授業を受ける機会があり、それが私の人生を変えました。

 ピーターは『 ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか 』(関美和訳/NHK出版)がベストセラーとなり、また、トランプ米大統領誕生を予見して注目されました。今年は文藝春秋に「ピーター・ティールのワンピース論」という読書遍歴に関する記事が掲載されたことでも話題になっています。ピーターはリバタリアン(自由至上主義者)で、私も根っこの部分はそうなので、波長が合ったのかもしれません。

池上 そして、辻庸介さん(マネーフォワード代表取締役社長グループCEO[最高経営責任者])とマネーフォワードを立ち上げた。こちらはどういう経緯だったのですか。

 自分は研究者なので、起業におけるベストパーソンではないなと。とにかく「商い」について分かっていて、私の言葉を理解してくれる人を探していたんです。だから、辻さんと一緒に起業できるという時点で、もうある種のゴールが確約されている状態でした。もし、辻さんと出会っていなかったら、起業せず、野村證券で研究者を続けていたと思います。

瀧 俊雄(たき・としお)
マネーフォワード 執行役員グループCoPA (Chief of Public Affairs)、サステナビリティ担当、マネーフォワード総合研究所長
2004年に慶應義塾大学経済学部を卒業後、野村證券に入社。野村資本市場研究所にて、家計行動、年金制度、金融機関ビジネスモデル等の研究業務に従事。スタンフォード大学MBA、野村ホールディングスの企画部門を経て、12年よりマネーフォワードの設立に参画。内閣官房デジタル行財政改革戦略チーム構成員、内閣府規制改革推進会議専門委員(スタートアップ・イノベーション促進WG)、一般社団法人電子決済等代行事業者協会代表理事、一般社団法人Fintech協会アドバイザー、一般社団法人日本金融サービス仲介業協会理事等メンバー。

池上 そのほうが人生安泰でしたね。

 そうですね(笑)。でも、研究者は研究者でつらい職業です。自分の脳みその限界は自分が一番よく分かっているので。それに長年の研究よりもポッと出の研究のほうが世の中で売れることがある。研究者は運命をコントロールしづらい職業だと思っていました。

池上 辻さんと起業しようとなったとき、やはり「どちらも本好き」だったことが関係していましたか。

 辻さんと話して「ものすごく本を読んでいるな」と分かりました。ただ、本を読んでいる者同士だから物事がうまく回る、というわけではなく、「しゃべりやすいフォーマットがいくつかあるな」という感じでしたね。

うまくいった本を読むリスク

池上 今になってみると「しゃべりやすいフォーマット」は、読書に裏づけられていたのでしょうか。

 起業して3年ぐらいたって、そう思いました。ただ、起業前にそれが核になっていたかというと、そうでもない。結局、起業って、ほとんど失敗するんですよ。その失敗確率を下げきった人に勝ち筋がある。起業する中で気づいたのは、「世の中にはすでに失敗している人の本がこんなにあるぞ」ということでした。

池上 世の中に経営者が書いた本はたくさんありますが、出版業界の人に聞くと、「順風満帆の本は売れない」そうです。「失敗したり、どん底に落ちたりした話がないと面白くない」と。

 私もあんまり経営者の本は読まないですね。例外の1つが『 小倉昌男 経営学 』(小倉昌男著/日経BP)でした。

池上 小倉昌男さんはヤマト運輸「宅急便」の生みの親ですね。昔、日本には「宅急便」という仕組みがなく、小包を送ろうとすると郵便局か、チッキ(鉄道小荷物)といって国鉄の駅に持っていくしかありませんでした。私も小学生のころ、親の手伝いで郵便局に小包を持っていくと、「包み方が悪い。もっと、ちゃんと包んで持ってこい」と怒られて、すごく怖かったのを覚えています。

 そこで、小倉さんは「家まで荷物を取りに来てくれて、どこにでも送れるようにしたらどうか」と考えた。小倉さんは国の規制と戦い続けながら、全国へ配達網を拡大していくんですよね。私もこの本を読んで素晴らしいと思ったので、つい解説をしてしまいました。

 ありがとうございます。私はもともと「この経営者がうまくいったから、それをなぞればいい」と信じていないのかもしれません。だから、経営者の本よりも人間のクセだったり、集団心理がどんなことで失敗したりするかについて書かれている本を読みますね。

池上 『会社は「本」で強くなる』では1995年に出版された『 ビジョナリー・カンパニー 時代を超える生存の原則 』(ジム・コリンズ、ジェリー・ポラス著/山岡洋一訳/日経BP)を取り上げていますね。この本では米国で成功した企業がどうやって成功したかに迫っていますが、本の出版後に経営がうまくいかなくなった企業も出てきました。

 組織には30~40年ぐらいの寿命があるかもしれません。うまく乗り越えられればいいのですが。

池上 そういう意味では経営者が「うまくいった事例の本」を読むことは、実はリスクがあるのかもしれませんね。

 そうですね。うまくいった事例に乗っかって起業したとしても、数年のうちに「起業は勢いだけではできない」と気づくと思います。

トークセッションでは「経営でうまくいった本のリスク」についても話題に上った
トークセッションでは「経営でうまくいった本のリスク」についても話題に上った

浅田彰『構造と力』が売れた理由

池上 マネーフォワードには読書文化がありますが、「こんな本をみんなに薦めたい」という瀧さんの基準はあるのですか。

 あんまり人に薦めようという気がないというか…私は自分でもひねくれているなと思うんですが、お薦めされた本って、逆に読まなくなっちゃうんですよ。もし、相手もひねくれていて、こんなにいい本を「一生読まない本」にしてしまったら申し訳ない。だから、「読め」というニュアンスはゼロにして、「面白かった」と言うようにしています。

池上 よく分かります。知人に「すごく面白かったから読んでみて」と言われると、プレッシャーになって読みたくなくなりますよね。

 そうですよね。私は高校生のときにダニエル・ヤーギン、ジョゼフ・スタニスローの『市場対国家 世界を作り変える歴史的攻防(上)(下)』(山岡洋一訳/日経ビジネス人文庫)という本を読んで、感銘を受けました。よく「自分の人生を変えた1冊」として紹介するのですが、妻はいまだに読んでいないですね。だから、本当にいい本はお薦めせず、しれっと積ん読の1冊に紛れ込ませておいてそのうちに読んでもらう…というのが理想だと思います。

池上 その話を聞いて、私も思い出しました。学生時代に付き合っていた女性から「どんな本を読んでいるの?」と聞かれて、「高橋和巳だよ」と。「読んでみて」と薦めたら、読んでくれたのですが、「難しくて分からなかった」そうです。暗い話が多いですからね。

 その昔、浅田彰さんの『 構造と力 記号論を超えて 』(勁草書房)を全男子学生が読んだふりをしていた時代もありましたよね(笑)。私はもう少し下の世代ですが、みんな買ってはみたけれど読めなかったという。

高校生のときにダニエル・ヤーギン、ジョゼフ・スタニスローの『市場対国家』を読んで感銘を受けたという瀧さん
高校生のときにダニエル・ヤーギン、ジョゼフ・スタニスローの『市場対国家』を読んで感銘を受けたという瀧さん

池上 『構造と力』は大ベストセラーでした。私の時代では羽仁五郎さんの『 都市の論理 』(勁草書房。リンクは講談社文庫版)が爆発的に売れました。当時は「みんなが読んでいるんだから、これぐらいの本は読まなくてはいけない」という知的虚栄心がありましたね。みんな、とりあえず本を買う。だから、ベストセラーになるけれど、実はみんな読んでいなかった(笑)。今の大学生は知的虚栄心で、「この本を買う」みたいな動きはあるんでしょうか。

 ないと思いますね。どちらかと言うと、フォロワーを増やすとか、非知的虚栄心、反知性主義のほうが強い気がします。

池上 では、みんなに推薦するわけではなく、個人的に「これは良かった」という本はありますか。

 『 2034 米中戦争 』(エリオット・アッカーマン、ジェイムズ・スタヴリディス著/熊谷千寿訳/二見文庫)という小説です。著者の2人は海兵隊特殊部隊やNATO(北大西洋条約機構)欧州連合軍最高司令官を務めた人物で、リアリティーがあります。本書では米国と中国が小さな行き違いから戦争になるのですが、「AをやられたらA'でやり返さなくてはいけない」という国家の論理が強調されています。米国とベネズエラ、米国とイラン、ロシアとウクライナもそうですが、エスカレーションを理解するうえで役に立つ――と言ってしまうことに多少の違和感もあるのですが、面白かったですね。

池上 米国のベネズエラ大統領拘束やイラン攻撃を予測していたわけではなく、「国家の論理としてこういうことがあるんだな」と読んでみたら、世界情勢の分析に役立ったんですね。

 まったく違う本を読んでいても「構造が同じだ」と気づくことがありますよね。それは本を読んでいてよかったと思うことの1つです。

池上 特に米中の関係においては「トゥキュディデスの罠(わな)」(*)だといわれるようになりました。トゥキュディデスがスパルタとアテナイの戦いについて述べた『 戦史(上)(下) 』(久保正彰訳/岩波文庫)を読んでおくと、今の世界情勢の分析に使える部分がありますね。

 2つの大国が出てくると必然的にこうなると分かりますね。トゥキュディデスが予言者になった感があります。

池上 私はトランプがイランを攻撃したときに『 失敗の本質 日本軍の組織論的研究 』(戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎著/中公文庫)を思い浮かべました。なぜ、日本軍が太平洋戦争で敗北を重ねたかというと、戦略の失敗を戦術で補えなかったからです。明確な目標がないまま戦争を始めると、大変なことになる。今回のトランプの失敗は、イランに対して出口を考えないまま攻撃したことです。

*急速に成長する新興国が既存の大国の覇権を脅かす場合、必然的に戦争が起きるとする説。

文/三浦香代子 写真/鈴木愛子

クラウド会計や家計簿アプリなどを展開するマネーフォワードは、創業13年で売上高500億円超、社員数2810人にまで達している。急成長を支える「本」活用の秘訣を、辻庸介グループCEOから現場の社員まで徹底取材。全社に根づく「読書文化」を明らかにする。

宮本恵理子著/日本経済新聞出版/1870円(税込み)