ライフネット生命保険創業者で、立命館アジア太平洋大学(APU)前学長・名誉教授の出口治明氏は、大の本好き、歴史好きとして知られ、歴史に関する著作も多い。好評を博した『一気読み世界史』に続き、このたび『一気読み日本史』を刊行した。出口氏による日本史講義を、書籍から抜粋して、お届けする。戦国時代の日本には、銀バブルに誘われ、世界中の人々が集まった。ただし、種子島に鉄砲を伝えたのは、ポルトガル人ではなく、中国商人だ。

 日本の中世が終わるころ、世界で大きな変化が起こり、そのうねりが日本に波及してきました。主に、次の3つです。

1.インド洋における海上権力の空白
2.ヨーロッパにおける宗教改革
3.石見銀山ポトシ銀山の開発

 これらを、順番に見ていきましょう。

インド洋の空白をスペインが突く

 中国の明は、足利義満勘合貿易をした永楽帝の時代には、海外に積極的に出ていきました。15世紀初頭の鄭和艦隊(ていわかんたい)が有名です。しかし、その後、海禁政策鎖国)に戻り、インド洋に権力の空白が生まれました。

 そんなところに、スペインのコロンが新大陸に到達します。1492 年のことでした。すると今度は1498年、ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマが、アフリカ大陸南端の喜望峰を回り、インド洋の空白を突きます。ポルトガルがやがてインド洋の覇権を握ると、次にマゼランが、ヴァスコ・ダ・ガマとは逆の西回りで世界一周します。ヨーロッパからアメリカ大陸、太平洋をへてアジアへ。こうしてアジアにヨーロッパ勢力が入ってきました。

印刷革命の余波でザビエルが来日

 ヨーロッパのヴェネツィアで、1494年、アルド印刷所が設立されて、印刷革命が起こりました。するとキリスト教徒のなかで、ビラを刷った宣伝合戦が活発になります。

 伝統的なローマ教会は、「これを買えば、犯した罪が軽くなるで」と宣伝して、贖宥状(しょくゆうじょう)というお札を信者に売っていました。これを許せなかったのがルターで、「聖書にはそんなことは書いてあらへんで!」と、聖書をドイツ語に翻訳しました。それまで聖書はラテン語がわかる一部の人しか読めなかったのですが、ドイツ語ならば、多くの人が読めます。そうやって、みんなが読んでみると、確かに、聖書には贖宥状のことなんて書いてありません。だから、ヨーロッパではローマ教会の勢力が弱まり、ルターなどのプロテスタントの勢力が強まってきました。

 ローマ教会には危機感が広がり、1534年にイエズス会が設立されます。イエズス会は、海外への布教を始めました。こうして1549年、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが日本にやってきます。

 この時代、世界にどんどん出ていったヨーロッパの人たちは、日本にもやってきました。なぜかというと、銀があったからです。

立命館アジア太平洋大学(APU)前学長・名誉教授。ライフネット生命保険創業者。1948年、三重県美杉村生まれ。1972年、京都大学法学部卒業後、日本生命保険相互会社入社。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などをへて2006年退職。同年、ネットライフ企画株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。2008年、ライフネット生命保険株式会社に社名変更。2012年、上場。2018年1月より立命館アジア太平洋大学(APU)学長。2024年1月より現職。『生命保険入門 新版』(岩波書店)、『人類5000年史』シリーズ(ちくま新書)、『0から学ぶ「日本史」講義』シリーズ(文藝春秋)、『全世界史(上・下)』(新潮文庫)、『一気読み世界史』(日経BP)など著書多数。(写真=栗原克己)
立命館アジア太平洋大学(APU)前学長・名誉教授。ライフネット生命保険創業者。1948年、三重県美杉村生まれ。1972年、京都大学法学部卒業後、日本生命保険相互会社入社。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などをへて2006年退職。同年、ネットライフ企画株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。2008年、ライフネット生命保険株式会社に社名変更。2012年、上場。2018年1月より立命館アジア太平洋大学(APU)学長。2024年1月より現職。『生命保険入門 新版』(岩波書店)、『人類5000年史』シリーズ(ちくま新書)、『0から学ぶ「日本史」講義』シリーズ(文藝春秋)、『全世界史(上・下)』(新潮文庫)、『一気読み世界史』(日経BP)など著書多数。(写真=栗原克己)

どうして日本に銀バブルが起きたか?

 島根の石見銀山は、鎌倉時代に発見された後、一時期、放棄されていたようです。しかし、1533年、朝鮮から新しい技術がもたらされ、大量の銀を産出するようになりました。石見銀山は、1545年に南アメリカで発見されたポトシ銀山と並ぶ、この時代の二大銀山です。日本の銀産出量は当時、年間200トンで、世界の1/3を占めたともいわれています。

 石見とポトシの二大銀山の発見で、中国に銀が大量に流入するようになりました。なぜなら、中国には絹や陶磁器やお茶といった、世界中が欲しがる商品がたくさんあったからです。このころ、中国のGDP(国内総生産)は、世界の2~3割を占めていました。そんなところに、中国で税金を銀で納める制度が始まり、銀の需要はどんどん高まります。銀バブルです。銀バブルに誘われて、世界中から日本に人がやってきました。

種子島に鉄砲を持ちこんだのはポルトガル人ではなく中国人

 1543 年、種子島に鉄砲が伝来しました。昔は、ポルトガル人が持ちこんだと、学校で教わりましたが、実のところは違います。持ちこんだのは、中国人の王直(おうちょく)です。王直は、戦争ばかりだった戦国時代の日本を見て「鉄砲には、めちゃ需要があるはずや」と、持ってきたのです。そして、持ってきた鉄砲を劇的に演出するため、ポルトガル人を連れてきて、プレゼンさせたのです。「見たこともない異人が持ってきた、見たこともない新兵器やで。すごいやろ」と、ショーアップしたわけです。

 種子島に鉄砲を持ちこんだ中国人の王直は、倭寇後期倭寇)の頭領でした。

 後期倭寇が生まれたのは、中国の明が海禁政策をとったからです。このころの明は、世界中の人が欲しがる商品がたくさんあるデパートのような国でした。そんな国が鎖国するのは、デパートがシャッターを下ろしてしまうようなもので、お客さんも取引先も困ってしまいます。だから、こっそり貿易を続けようとする人も出てきます。こういう密輸入を手掛ける商売人が、倭寇と呼ばれるようになったのが、後期倭寇です。

 後期倭寇の多くは中国人で、日本人は3 割以下でした。朝鮮人やポルトガル人もいたといわれます。東アジアの海で生活する海民が、政府に頼らず、自力で武装して船団を組み、交易をしていた、いわば「海民の共和国」のようなものでした。いわゆる南蛮貿易とは、後期倭寇のネットワークにポルトガル人が乗っかったものと理解するのが、いいと思います。

 後期倭寇の王直は、日本との交易で成功し、五島列島や平戸に館を構えて、王侯のように暮らしていました。中世が終わり、近世が始まるころの日本には、新しい世界との出会いがあったのです。

日経ビジネス電子版 2025年12月26日付の記事を転載]

宇宙の起源から日本の歴史を8時間で一気読み。大きな世界につながる、私たち「日本人の物語」。一気に読むから、流れがわかり、教養になる。古代中国の大帝国と激突した「白村江ショック」に、欧州勢を呼び寄せた戦国時代の「銀バブル」、ペリー来航に始まる米国との対峙など、大国の狭間で生きてきた日本人の歴史に、現代に通じるヒントを探ります。

出口治明著/日経BP/2200円(税込み)