その34 74年目の東京大空襲(21) 3月10日の追悼式 戦後75年でも終わらぬ悲劇
3月10日、東京大空襲から75年の朝。一年中「8月ジャーナリズム=戦争報道」をしている常夏記者こと私は、東京都慰霊堂(墨田区)にいた。犠牲者の「春季慰霊大法要」(東京都慰霊協会主催)で、例年600人ほどが参列し、堂内は満員となる。来賓の議員らは前列で着席。遺族や空襲被害者を含む高齢者が座りきれず立ち見をしている、という光景が普通だった。ところが今年は新型コロナウイルスの影響で、規模が大幅に縮小された。
午前10時から始まった大法要に参列した遺族は2人だけ。全員でも10人足らずだった。大法要が終わった後には一般の参列者も堂内で焼香できるようになったが、雨交じりということもあってか、例年よりはるかに人が少なかった。そんな中でも、全国空襲被害者連絡協議会(全国空襲連)の河合節子さん(80)は参列者にリーフレットを配っていた。
「こんにちはー。お読みくださーい」。戦中派世代としては「若手」だが、高齢である。コロナのことが気になった常夏記者が「河合さん、大丈夫ですか?」と聞くと「私はもう死んでもいいんですよ」と、ほほえみながら言う。冗談とは思っても「河合さんが亡くなったら、実動部隊がますます少なくなってしまいますよ」と応じてしまった。
リーフレットは河合さんたちが昨年4月から国会会期中の毎週木曜日、国会議事堂近くで配っているものだ。中には元軍人・軍属には恩給などが支払われているのに対し、民間人空襲被害者には救済措置がまったくなかったこと、東京、大阪、名古屋大空襲の被害者らが救済を求めて裁判を起こしたものの、すべて敗訴に終わったことなどが書かれている。
1945年3月10日未明、米軍の戦略爆撃機B29およそ300機が隅田川沿岸を無差別爆撃した。たった一晩、2時間程度の爆撃で10万人が殺された。膨大な遺体を通常の手続きで焼骨し、埋葬することはおよそ不可能だった。そのため多くの遺体が仮埋葬された。公園や学校、空き地など。この連載ですでにみたように、どこに何体埋められたか、正確なところは分かっていない。
分かっているのは、戦後3年かけて、およそ9万体の遺骨が掘り起こされたこと。そして、…
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