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おにぎり「ぼんご」物語

東京・大塚の老舗おにぎり店「ぼんご」はなぜ人々を引きつけるのか。女将(おかみ)の半生と、修業を志した若者たちの物語。

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おにぎり「ぼんご」物語

“握らない”おにぎり誕生 27歳差の夫と歩んだ「ぼんご」の道/2

1985年ごろ、右近由美子さん(右)が祐さん(左)と伊豆へ旅行した時の写真=由美子さん提供
1985年ごろ、右近由美子さん(右)が祐さん(左)と伊豆へ旅行した時の写真=由美子さん提供

 東京・大塚の下町にある老舗おにぎり店「ぼんご」のおかみ、右近由美子さん(71)は19歳の時、東京での自由な生活に憧れて故郷の新潟を後にした。

 おにぎり「ぼんご」物語は5回連載です。
 おにぎり「ぼんご」の青春 故郷を出た19歳、母の味が恋しくて/1
 なぜ「ぼんご」を続けるのか 迷いの先で見つけた母への手紙/3
 「アフリカでおにぎり店を」 海を渡る「ぼんご」の弟子が描く夢/4
 炊飯器メーカーから脱サラ おにぎり「ぼんご」の心を受け継ぐ/5

 上野にある喫茶店で住み込みで働き、2年が過ぎた頃、「大塚においしいおにぎり屋さんがある」と友人に誘われた。それが、ぼんごだ。

 新潟でおやつ代わりに食べていたナスのお新香が、おにぎりに添えられていたのをみて郷愁を覚えた。食べたい物も、女性が気軽に入れるような店も見当たらなかった東京で、出かけたいと思える場所がようやく見つかった。

 仕事を終えた後、山手線に乗ってぼんごに通う日々が始まった。当時1個100円のおにぎりを2個店で食べ、4個持ち帰って家で食べる。

 やがて初代店主で、27歳年上の祐(たすく)さんと顔なじみになった。

 パチンコの景品だといって缶詰をくれたり、病気になると介抱してくれたりした。最初は恋愛感情はなかったが、誰も頼る人のいない東京の街で、唯一、心を許せる存在になった。1976年、由美子さんが24歳の時に2人は結婚した。

「今日も、お客さまが来ますように」

 由美子さんは、店を手伝うことはあっても、おにぎりを握りたいと思うことはなかった。しかし、数年後、おにぎりの握り手だった職人が相次いで病気で倒れた。「明日から握れ」。祐さんから言われるまま、調理場に入った。

 経営は順調とは言えなかった。店には多くの借金があった。「お金のため、お金のためと思いながら、働いていました」。由美子さんはそう振り返る。

 午前4時から仕込みを始め、日付が変わる頃に自転車で家に帰った。翌朝、お地蔵様にお祈りをして、再び店に出かけた。「今日も、お客様が来ますように」

 少しでも売り上げを増やすため、試行錯誤の日…

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