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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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「無知ではいけない」 平和の種をまき続けた「アオギリの語り部」

父親の被爆体験を伝える講話で、オンラインで視聴する生徒に呼びかける杉浦圭子さん=広島県廿日市市の市立大野中で2025年10月9日、佐藤賢二郎撮影
父親の被爆体験を伝える講話で、オンラインで視聴する生徒に呼びかける杉浦圭子さん=広島県廿日市市の市立大野中で2025年10月9日、佐藤賢二郎撮影

 広島の平和記念公園で青々とした葉を茂らせるアオギリの木の下で被爆証言を続け、「アオギリの語り部」と呼ばれた女性がいた。車座になって話を聴く子どもたちに「おばちゃんはね……」と柔らかい笑顔で語りかけ、親しまれた沼田鈴子さん(1923~2011年)。沼田さんがまいた平和の種は、各地で芽吹いている。

被爆アオギリに自身を重ね

 「いつもニコニコして優しい人。それは信念を持った優しさでした」。元NHKアナウンサーの杉浦圭子さん(66)=広島市=は、沼田さんが亡くなる8カ月前にインタビューをしている。かつて沼田さんはメディアに頻繁に取り上げられ、被爆証言者の中心的存在だった。だが晩年は表に出る機会が減っていた。「今こそ肉声を残さなきゃ」との思いに駆られたという。

 45年8月6日、22歳だった沼田さんは、爆心地の北東約1・3キロにあった勤務先の旧広島逓信局で被爆した。がれきの下敷きになり、大けがをした左脚をのこぎりで切断された。絶望の中、伝えられたのは婚約者の戦死だった。

 自暴自棄になり、自ら命を絶つことも考えた沼田さんを励ましてくれたのが、勤務先の中庭にあったアオギリだった。…

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