84年前、第二次世界大戦中の1942年2月3日に山口県宇部市の海底炭鉱「長生(ちょうせい)炭鉱」で水没事故が起き、朝鮮半島出身者136人を含む183人が亡くなった。
7日、現場で日韓両国の遺族らによる追悼集会が開かれる。昨年8月に犠牲者のものと思われる頭蓋(ずがい)骨などの骨が収容されて以来初めてとなる。
先月には、日韓首脳が遺骨のDNA型鑑定を両国共同で実施することで合意し、日本政府が初めて現場を視察するなど、大きな前進があった。
だが、次の段階に進まなければならない。政府による遺骨収容だ。
市民団体「刻む会」自ら調査・収容
地元の市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」(井上洋子代表)は91年に結成され、長年にわたって犠牲者の追悼や遺族との交流、事故の記録や証言の掘り起こしを続けてきた。追悼集会は92年から開いている。
一方で、政府に犠牲者の遺骨調査と収容を何度も求めてきた。だが、政府は全く動かなかった。2023年12月の意見交換集会でも、政府側は「調査できない理由」を並べ立てた。
「遺族が高齢化している。時間がない」。危機感を募らせた刻む会は、自ら遺骨調査・収容に乗り出すことを決めた。
当時、坑道の入り口(坑口)があったとおぼしき辺りは一面の雑木林。刻む会は、そんな状態から24年9月、地下4メートルに埋もれていた坑口を発掘した。さらに水中探検家、伊左治佳孝さん(37)の協力を得て潜水調査を開始。昨年8月、6回目の潜水でついに遺骨収容に成功した。
難しい遺骨の身元特定
私は20年以上、戦没者遺骨の収容問題を取材してきた。その経験で分かったのは、遺骨の身元特定に至るまでの難しさだ。
例えば太平洋戦争の激戦地で日本軍守備隊およそ2万人が戦死した硫黄島(東京都小笠原村)。12年7月に遺骨収容に参加した際、土の中から多くの遺骨を掘り出した。
一見、堅固に見える遺骨でも、掘り出す時にほんの少し力を入れただけで崩れてしまうほどもろかった。土の中で「きなこ」のように…
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