村山由佳さんが書くシベリア抑留 父の経験と五木寛之さんの言葉胸に
作家の村山由佳さんは、かつて亡き父の過ごしたシベリアを訪れたことがある。
第二次世界大戦での敗戦後、日本人およそ60万人がソ連などに連行された。1割にあたる6万人が亡くなったとされる。父は抑留経験者の一人だった。
村山さんがシベリアの地を踏んだのは1999年。テレビ番組の企画だった。父のいた収容所の建物はすでになく、跡地にはレンガのかけらが落ちていた。それを拾い上げた時、「ガツンと頭を殴られたような感覚」になったという。
「(当時は)雪と氷に覆われ、建物のあらゆる隙間(すきま)にコケを詰めないといられないほどの寒さだったと聞いています。レンガの建物と鉄条網で自由に外に出ることができない。自由が束縛されるということを、地面を踏みしめて初めて体で分かった気がしました」
今年はシベリア抑留の終了から70年の節目にあたる。村山さんは2月、シベリア抑留経験のある世界的振付家を主人公にした小説『DANGER』(新潮社)を発表した。今作に込めた思いとは。
「つらかった」ではくくれない日々
物語の舞台は90年代。雑誌編集者の水野果耶と週刊誌記者の長瀬一平は、親会社の主催事業であるバレエ団の公演を盛り上げるため、バレエについて取材することになる。
取材相手として狙いを定めたのは、世界的振付家の久我一臣。20(大正9)年生まれの久我は10代でバレエに魅了され、やがて国内外で活躍するダンサーへとなっていく。取材は、彼の半生をたどることで日本バレエの歴史をひもとく試みだった。だが、彼が語り始めたシベリア抑留体験が、予想もしなかった真実を明らかにしていく。
「父がシベリア抑留者だったことから、いつか書かなくてはいけないテーマではあると思っていました」。村山さんはそう話す。
村山さんの父は25(大正14)年生まれ。旧満州(現中国東北部)にあった建国大学在学中に徴兵され、終戦後は4年間シベリアに抑留された。
村山さんは幼い頃から…
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