100年歴史刻む地震観測所 「平時こそ」シチズンサイエンスの挑戦
大阪平野を見下ろす高台に建つ京都大阿武山観測所(大阪府高槻市)が、開設からまもなく1世紀を迎える。日本を代表する地震観測所として地震学の発展を支えたが、近年は閉鎖の危機にあった。そうした中、地震学と市民をつなぐシチズンサイエンスの「ある挑戦」が、歴史的施設を再び息づかせている。
白壁にはめ込まれた円窓に、円柱が並ぶらせん階段。足を踏み入れると昭和初期にタイムスリップしたようだ。
「見えにくいところに工夫を凝らした奥ゆかしい建築」。京大生時代から観測所に通う前阿武山観測所長の飯尾能久・京大名誉教授(68)はこう評する。世界中から当時最先端の地震計を集め、それらを硬い岩盤の上に置くため、床が掘り下げられている。観測所は大阪府の「注目すべき近代化遺産」に選ばれている。
開かれたサイエンスミュージアム
2月末、市民ボランティア「阿武山サポーター」の中村彰さん(78)が、6人の犠牲を出した2018年の大阪北部地震(M6・1)について説明していた。「(高槻)現代劇場(現・高槻城公園芸術文化劇場)のところらへんの地下約13キロを震源に起きまして、まだまだ知られていない断層があるんやなあということがわかりました」。来館者の反応をみて地元の話題も織り交ぜた。
1930年に開設された観測所は現在、年間2000人が訪れるサイエンスミュージアムとして市民に開かれている。21年にNPO法人を設立し運営を移管、理事長には飯尾さんが就いた。
阿武山サポーターは豊富な知識で、一般見学会や出前講座の講師役を担う。それに対し、ミュージアム側は飯尾さんの地震学の講義や、京大教員らによる最新の成果についての講演などでサポーターの学びを支援してきた。
だが、順調だったわけではない。旧式の地震観測所は次々に姿を消しており、阿武山でも09年ごろに廃止論が浮上。飯尾さんと災害リスクコミュニケーションが専門の矢守克也京大防災研究所教授が新たな可能性を模索する中で、浮上したのがサイエンスミュージアム構想だった。
始動直前に東日本大震災
ところが、始動を翌月に控えた11年3月、東日本大震災が起きた。矢守さんは「地震学と社会との間に圧倒的な風通しの悪さ、『壁』があった。巨額の予算をかけても巨大地震を予知できず、『科学は人を幸せにするのか』という問いが、地震防災の領域で顕著化したのが、東日本大震災だった」と総括。そのうえで「膨らんだ地震学への社会不信を克服するためにも、ポジションを変革…
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