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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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会ったことのない曽祖父の体験 映像作品でつなぐ広島の記憶

勝岡英玲奈さん=広島市東区で2026年3月18日午後4時47分、井村陸撮影 拡大
勝岡英玲奈さん=広島市東区で2026年3月18日午後4時47分、井村陸撮影

 建物の中は薄暗く、窓ガラスが割れて鉄扉は湾曲し、人を拒むような重苦しい雰囲気に圧倒された。最大規模の被爆建物「旧広島陸軍被服支廠(しょう)」(広島市南区)の赤れんが倉庫に立ち入ったのは、曽祖父の体験を元にした映像制作のためだった。「曽祖父を守ってくれた建物だと思うと、なんだか温かみを感じた」と振り返る。

 広島市立牛田中3年の勝岡英玲奈さん(14)=同市東区=は小学6年だった2023年、近くに住む祖父の衣笠隆幸さん(77)を訪ねて曽祖父の被爆体験を聞き取った。それまで原爆に関する話を聞いたことは、ほとんどなかった。

 曽祖父、つまり隆幸さんの父である衣笠正幸さん(故人)は1945年当時は24歳で、被服支廠で働いていた軍人だった。建物は爆心地から南東に約2・7キロ。朝礼中にすさまじい光と爆音に襲われた。とっさに伏せたことが幸いして、けがはなかった。周囲には割れた窓ガラスが突き刺さったり、やけどを負ったりした人がいたという。

「記憶をつなぐ」の1場面。祖父の衣笠隆幸さん(右)と歩く勝岡英玲奈さん=ユーチューブより 拡大
「記憶をつなぐ」の1場面。祖父の衣笠隆幸さん(右)と歩く勝岡英玲奈さん=ユーチューブより

 正幸さんは体を動かせる約30人で編成した救助隊として、現在の平和記念公園周辺に向かった。そこでは連日、川から遺体を引き上げる作業をした。

 自分が生まれる前に亡くなった曽祖父は凄絶(せいぜつ)な体験をしていた。「今の自分は同じことをできないのではないか」と感じた。

 曽祖父の体験や祖父から聞いた思いが伝わるよう、丁寧に作文を書いた。それが評価され、その年の8月6日に平和記念式典で「平和への誓い」を参列者の前で読み上げる「こども代表」に選ばれた。「誓い」には「なぜ、自分は生き残ったのか」という曽祖父の苦悩を盛り込んだ。

 中学校では放送部に入部した。校内放送を担当するほか、年に2回、映像作品の大会にも出場している。被爆80年を迎えた25年、顧問から「勝岡さんの体験談を作品にしないか」と提案があった。

広島市立牛田中学校放送部制作の動画「記憶をつなぐ」の1場面。背景は旧広島陸軍被服支廠の赤れんが倉庫=ユーチューブより 拡大
広島市立牛田中学校放送部制作の動画「記憶をつなぐ」の1場面。背景は旧広島陸軍被服支廠の赤れんが倉庫=ユーチューブより

 同年2月から作品の制作に取りかかった。とはいえ曽祖父が被爆した当時の状況は分からないことが多すぎ、悩みは深まった。想像力を膨らませるため、被服支廠の内部を部員と一緒に見学し、当時の様子を知る被爆者の証言を参考にした。祖父からも改めて曽祖父の体験を聞き取った。

 約4カ月かけて完成させた作品のタイトルは「記憶をつなぐ」。勝岡さんの視点で物語は進み、祖父への取材の場面や、被服支廠を見学した時の映像などで構成した。

 作品はNHK杯全国中学校放送コンテストのテレビ番組部門で最優秀賞を受賞した。10月には全校生徒の前で上映され、正幸さんの被爆体験が明かされる場面では、会場が静まりかえった。「みんながどのように捉えたかは分からないが、つらい体験を残してくれた曽祖父の思いが1人でも多くに伝わっていてほしい」と願う。

 作品は現在、動画投稿サイトのユーチューブで見られる。【井村陸】

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