約30年にわたり、長崎原爆で被爆した体験を修学旅行生らに語ってきた元小学校教諭の山川剛(たけし)さん(89)が、高齢と体調不良を理由に3月で証言活動を引退した。原爆投下から80年が過ぎ、被爆地で「記憶のある証言者」に直接話を聴く機会が細りゆく。
国民学校3年生だった8歳の時、爆心地の南約4・3キロの防空壕(ごう)の前で泥団子を作って遊んでいて被爆。大学卒業後に小学校教諭になり、「長崎市原爆被爆教師の会」に1970年の発足時から加わった。会の調査で、小中学生が「被爆時の様子を聞いた相手」として「先生」を選ぶ回答が最も少なかったことにショックを受け、平和教育に取り組むように。在職中の74年、各国の相次ぐ核実験に抗議して座り込みを始めた。97年に退職後、語り部活動に力を入れた。
戦時下の学校で、米英を「鬼畜」と呼び、「体を鍛えて国を守れ」と教わった軍国教育の経験を踏まえ、平和教育の大切さを説いた。修学旅行生らへの証言は年約100回を数え、毎日新聞の長期連載「ヒバクシャ」の継続取材にも2010年から応じてきた。
狭心症が悪化し、82歳で心臓にペースメーカーを入れた。25年は秋の修学旅行シーズンを終えた12月に大腸の腫瘍で入院。26年2月に手術を受けた。
「新学期に子供たちの前に立ちたい」と体力の回復に努めたが、経過が思わしくなく、長時間の証言は難しいと判断。所属する長崎平和推進協会継承部会と長崎原爆被災者協議会に、証言活動の引退を申し出た。
約30年の語り部活動を「やれることはやった。誰でもいつかは活動を終える時が来る」と山川さん。語り部の担い手確保は厳しさを増すが、「どの時代でも『危機的』と言われた中で後継者が出てきた」と語り、核兵器廃絶を訴え賛同の署名を集める「高校生平和大使」らを挙げ「継承活動は続いていく」と期待した。
長崎を訪れる修学旅行生らに被爆体験を語る長崎平和推進協会継承部会の会員は現在28人で、ピーク時の2019年度(47人)から4割減った。5人は体調不良などで活動を休止し、実際に活動できる人は23人にとどまる。
うち8人は被爆時年齢が5歳以下で、当時の記憶がなかったり断片的だったりするため、証言は親から聞いた話なども盛り込んで補っている。広島原爆の証言者らを派遣する広島平和文化センターによると、講話する被爆者は4月1日時点で31人が登録し、ピークの15年度(49人)と比べ6割程度となった。
長崎の市民団体が発行する被爆証言誌の編集長を務める山口響・長崎大核兵器廃絶研究センター客員研究員(49)は「語り部が減ることは損失」とした上で、やがて来る「被爆者なき時代」を前に、証言者が残した記録などに着目。「原爆投下前後の暮らしぶりも知ることで私たちは原爆が社会に与えた影響を考えることができる。原爆を理解しようとする受け手側の主体性が問われている」と指摘した。【尾形有菜】
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