「奇跡のバックホーム」から30年 元球児が今も向き合う15センチ

1996年の夏の甲子園決勝で延長十回裏、タッチアップした熊本工の星子崇選手は松山商の矢野勝嗣選手の「奇跡のバックホーム」でタッチアウトになった=阪神甲子園球場で1996年8月21日撮影
1996年の夏の甲子園決勝で延長十回裏、タッチアップした熊本工の星子崇選手は松山商の矢野勝嗣選手の「奇跡のバックホーム」でタッチアウトになった=阪神甲子園球場で1996年8月21日撮影

 1996年夏の甲子園決勝で、松山商(愛媛)が熊本工(熊本)のサヨナラ勝ちを阻止した「奇跡のバックホーム」は、高校野球史に残る名場面だ。

 1プレーが試合の流れを変え、勝者と敗者を分けた。アウトになった走者の足と本塁の差はわずか15センチ。あの日、グラウンドにいた熊本工ナインの一人は、その差を埋めることを原動力に30年を経ようとする今も強豪校の指導者として頂点を目指す。

立ち尽くした一塁走者

 「ああ、やっと終わった。優勝なんだ」

 30年前の8月21日。延長十回裏、1死満塁。両チームのアルプススタンドからは悲喜こもごもの視線が送られる。

 2番、二塁手で先発出場した熊本工の坂田光由さん(47)は直前に敬遠四球で出塁し、次打者からはじき返された白球が右翼に飛ぶのを一塁上から見ながら確信した。タッチアップには十分な飛距離――のはずだった。

 だが、その後の展開に目を疑った。松山商の右翼手の矢野勝嗣(まさつぐ)さんが本塁にダイレクト返球をし、三塁走者はタッチアウトに。歓喜に沸く松山商ナインの姿を見ながら立ち尽くした。

 「ぼうぜんってこういうことか」

 熊本工は直後の十一回表に守備のミスもあり3失点し、そのまま3―6で敗退。深紅の大優勝旗はするりと逃げていった。「すぐにリセットして立ち上がる精神力が自分たちにはなかった。それが悔しかった」

熊本地震きっかけに

 プロ野球選手か野球の指導者を目指し、東洋大に進学。だが、中学時代に痛めた右肘と腰は悲鳴を上げ、大学3年で学生コーチに転身した。

 その後、鈴鹿国際大(現鈴鹿大、三重県鈴鹿市)に就職してコーチとなり、2012年に監督に就任。14年秋には三重県リーグで初優勝も経験した。

 指導者になっても気づきを与えてくれたのは、あのバックホームで生まれた縁からだった。

 16年4月に故郷を襲った熊本地震。観測史上初めて最大震度7を2度記録し、熊本市中央区にある熊本工もグラウンドに車中泊の車が押し寄せ、体育館などで最大約1200人が避難生活を送った。

 居ても立ってもいられないなか、「地元の力になりたい」と、あの夏を経験した仲…

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