反戦や女性問題に取り組んだ評論家の石垣綾子(1903~96年)は若いころ、長野県平村(現大町市)の木崎湖畔で、アナキスト(無政府主義者)の青柳優(ゆたか)(04~44年)と結婚を約束した。だが、渡米先で日本人画家と恋愛。事情を知らないまま帰りを待つ青柳に、直接別れを告げず、帰国もしなかった。
二人は、姉同士が友人で知り合った。青柳は24年に東京の早稲田大第二高等学院に入ると、石垣の家の2階によく泊まった。意識し合うようになり、石垣の著書によると、夜更けに「階段の下にもれてくる(青柳の部屋の)あかりは、優さんの呼吸を伝えている気がした」。入浴のため下りて来るのが「待ちどおしかった。姿をみるでもなかったが、足音を聞きさえすれば胸がふくらんだ」。
二人は木崎湖にあった青柳の叔父の別荘で、夏を過ごした。青柳はボートで、島崎藤村の詩を口ずさんだ。「吾身はすべて火炎(ほのお)なり/思い乱れて鳴呼(ああ)恋の/千筋(ちすじ)の髪の波に流るる」。石垣は「私によせたのか。優さんのまなざしに、唇に、暗示を探した」。帰京の日の朝、湖畔でふいに抱きしめられた。
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