公害克服、技術の発展…「東洋のマチュピチュ」に見る先人の英知
毎日新聞
2026/5/3 19:00(最終更新 5/3 21:33)
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日本を代表する銅山の一つ、愛媛県新居浜市の別子(べっし)銅山。1973年に閉山し、今は標高1300メートルほどの山林から瀬戸内海に至る範囲に多くの構造物を残す。中でも20世紀初めに約5000人もの労働者らでにぎわった東平(とうなる)ゾーンは「東洋のマチュピチュ」とも称される人気観光地だ。石造りの巨大施設をインカ帝国の遺跡になぞらえてのことだ。
ゴールデンウイークに、古里の景色や食べ物を懐かしんでいる人も多いのではないでしょうか。各地の魅力を毎日新聞の支局長が伝えます。
その威容に圧倒されているだけではもったいない。「日本の産業発展史を物語る『証人』であり、全体像をとらえてほしい」。別子銅山を知り尽くす住友史料館(京都市)の研究参与、末岡照啓(すえおか・てるあき)さんは力説する。
1691年に開山した銅山では、当初、人力で鉱石を掘り、運んでいた。別子銅は輸出され、江戸幕府の長崎貿易を支えた。だが18世紀半ばに欧米で産業革命が起き、米大陸で銅山が見つかると競争力を失う。
対抗する…
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