自民党が衆院で空前の304議席を獲得した1986年、立役者の中曽根康弘首相は「86年体制のスタート」だと豪語した。保革対立が固定された55年体制へ戻るのは「愚劣」と断じ、敗者の野党に対して政策を指南する余裕もみせた▲長期続投に意欲をにじませたが、高揚は長続きしなかった。売上税構想への批判もあって数の力を生かし切れず翌年退任し、後継の竹下登首相の下でリクルート事件が発覚する。国民の政治不信が自民1党支配の55年体制を本当の意味で終わらせた▲超巨大与党が盤石とは限らない。旧民主党は記録を塗り替える衆院308議席を得て「本格的な2大政党時代」とうたわれた。ところが公約と現実との乖離(かいり)を埋められず失速し、3年で政権から転落した▲高市早苗首相が政治の師と仰ぐ安倍晋三氏も、最初の政権では挫折を経験している。小泉郵政選挙で圧勝した自民の296議席を継承したが1年で退陣した。「約束したアジェンダが必ずしも国民的な共感を得ていなかった」。首相に返り咲いた後に国会で述べた反省の弁である。改めて経済最優先を掲げ、長く求心力を保った▲戦後最多の自民316議席を率いる高市首相は「国論を二分する政策」に挑戦すると意気込む。ただし参院は少数与党で、予算の年度内成立に固執して空回りしたのは記憶に新しい▲1強と称される一方、政府・与党内での孤立もささやかれる。とかく政治の一寸先は闇。大型連休明けから本格化する後半国会が試金石となろう。