環境
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続・地球の肺を守ろう(12)森を守る時代に転換=大仲幸作
2026/5/5 08:00 2490文字「もう木を切ることはやめたんだ」。コンゴ民主共和国有数の木材会社を訪問した際、経営者の一人は私にそう告げました。「木を切るのをやめたって?」。驚いて問いただす私に、「これからは森を守る時代だ!」。彼はそう続けました。 コンゴ民主共和国はアフリカ最大の森林国です。そしてコンゴ政府は、国が所有するこの
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癒やし旅
赤い海と波打つ砂紋 潮流と風が生み出す絶景 熊本・宇土
2026/5/4 13:35動画あり 827文字九州4県に面する有明海は日本一の干満差がある内海だ。外海の東シナ海に押された海水は細長い湾の中で増幅し、最大で6メートルの潮差を生み出す。干潮時、遠浅の海からは広大な干潟が現れる。 熊本県宇土市の御輿来(おこしき)海岸では潮流と風、砂干潟が絶景を生み出す。あかね色に染まる海が浮かび上がらせる砂紋は
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ノグチゲラ 鳴き声響く「やんばるの森」 沖縄本島北部
2026/5/4 11:00 360文字「キッ、キッ」。森の中から国の特別天然記念物、ノグチゲラの鳴き声が聞こえてきた。目をこらすと木々の間をつがいが寄り添うように飛び回っていた。 亜熱帯の豊かな山林が広がる沖縄本島北部の「やんばるの森」では、多様な希少生物が独自の生態系を築く。今年は国立公園に指定されてから10年、世界自然遺産「奄美大
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世界自然遺産登録5年 希少動物に迫るロードキル 奄美・沖縄
2026/5/4 11:00 1130文字4月下旬、鹿児島県の奄美大島の最高峰・湯湾岳(694メートル)周辺の路上で、国指定特別天然記念物のアマミノクロウサギが姿を現した。じっととどまり、こちらの様子をうかがう姿がヘッドライトに浮かぶ。1分ほどたつとゆっくりと動き出し、闇夜へと消えていった。 「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」が世
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公害克服、技術の発展…「東洋のマチュピチュ」に見る先人の英知
2026/5/3 19:00 1971文字日本を代表する銅山の一つ、愛媛県新居浜市の別子(べっし)銅山。1973年に閉山し、今は標高1300メートルほどの山林から瀬戸内海に至る範囲に多くの構造物を残す。中でも20世紀初めに約5000人もの労働者らでにぎわった東平(とうなる)ゾーンは「東洋のマチュピチュ」とも称される人気観光地だ。石造りの巨
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テラ・クライシス
「トランプ氏は敗北の大統領」 エマニュエル・トッド氏が見る世界
2026/5/3 15:00インタビュー 3045文字国連気候変動枠組み条約を含む多数の国際枠組みや国連機関からの脱退表明など、トランプ米政権の露骨な国益追求の動きとともに2026年はスタートした。 国際協調が色あせる中、人類は地球規模の危機にどう対処したらいいのか。今後の国際秩序はどうなるのか。フランスの歴史人口学者、エマニュエル・トッド氏に尋ねた
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石原環境相、水俣病患者に協力姿勢から一転難色 支援者ら反発
2026/5/2 16:15 790文字水俣病の患者・被害者と面会や懇談をした石原宏高環境相が、胎児性患者が要望した福祉サービス利用について協力的な姿勢を見せながら、1日夕に熊本県水俣市で開いた記者会見で一転して難色を示し、「(本人が)目の前でいらっしゃったので、そういう発言をした」と述べた。支援団体はうわべだけの対応だったと反発してい
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「できる限りの手打つべきだ」水俣病 行政責任認めた判断の核心
2026/5/2 14:00 1888文字後手後手行政を断罪――。2001年4月27日の毎日新聞夕刊(大阪本社版)は判決をこんな見出しで伝えた。「公害の原点」とされる水俣病を巡り、関西に住む未認定患者らが起こした訴訟で、大阪高裁は被害を防がなかった国と熊本県の行政責任を高裁として初めて認めた。「国と県はできる限りの手を打つべきだった」。あ
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金高騰の陰で広がる水銀汚染リスク 消費者も問われる水俣の教訓
2026/5/2 05:30深掘り 1479文字公式確認から70年を経てなお人々を苦しめる水俣病の苦い経験は、水銀による健康被害や環境汚染を防ぐ国連の「水銀に関する水俣条約」につながった。 「水俣病の問題が長い間解決しない状況で、世界で同じ失敗を繰り返してはいけない。その思いが反映された」。交渉官として条約作りに関わった元環境省水・大気環境局長
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水俣病に因縁深い環境相だが 被害者「政治判断」要求も明言避け
2026/5/1 20:54 941文字石原宏高環境相は4月30日と5月1日、熊本県水俣市で水俣病の患者・被害者団体と懇談した。しかし両者の溝は深かった。患者への補償に向けて「狭き門」となっている患者認定基準の見直しを求められても、環境相から前向きな発言はなかった。「70年の今、大臣の政治判断が求められるんですよ」。父や兄に続き環境行政
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チッソ社長「あえて少し減らした」 あいさつの「水俣病」の表現
2026/5/1 20:15 516文字熊本県水俣市で営まれた水俣病犠牲者慰霊式に参列したチッソの山田敬三社長は1日の式典終了後、報道陣の取材に応じ、式典で読み上げた今年の「祈りの言葉」について、「水俣病」という病名の表現を例年よりも「あえて少し減らした」と説明した。 山田氏は、前回2025年の祈りの言葉で「水俣病の反省に立ち」などと計
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同じ過ち、もう二度と 水俣病公式確認70年 慰霊式780人参列
2026/5/1 18:06 457文字高度成長下に未曽有の健康被害を引き起こし「公害の原点」といわれる水俣病は、1日で1956年の公式確認から70年となり、熊本県水俣市で、市など主催の犠牲者慰霊式が営まれた。 市民ら約780人が参列し、鐘の音とともに黙とうした後、慰霊碑前に花を手向けた。患者・遺族を代表し、水俣病資料館語り部の会会長、
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忘れない、正義が日の目を見た日…水俣病患者の闘いに寄り添って
2026/5/1 11:00 1952文字4月下旬。環境市民団体代表のアイリーン・美緒子・スミスさん(75)は、水俣病の患者認定を求めて訴訟を闘う原告たちを支援するため、熊本県水俣市を訪れていた。この日インスタグラムで配信した動画には、水俣の景色を添えた。 「後ろに見えるのは水俣湾です」 この街に寄り添い続けてもう半世紀超になる。 東京で
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「しびれは悪化の一方」やまぬ救済の訴え 健康調査の実効性は?
2026/5/1 07:00深掘り 1332文字水俣病は1日で公式確認から70年となった。体に抱える症状を訴えながら補償・救済を受けられない人たちがまだ数多く残されている。戦後最大の公害は、長い歳月を経てなお、現在進行形の課題を突きつけている。 「手足のしびれもどんどんひどくなっています」 熊本県水俣市内で4月19日、水俣病被害を訴え、裁判で争
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水俣病公式確認から70年 患者認定や損害賠償訴訟、今もなお
2026/5/1 05:00 495文字1956年5月に水俣病が公式確認されて1日で70年が経過した。熊本県水俣市では30日、石原宏高環境相が被害者団体と懇談したが、団体側が求める救済の拡充に踏み込むことはなかった。高度経済成長期に企業活動が環境汚染を引き起こし、人々の命と暮らしを奪った「公害の原点」が残した課題は依然、解消していない。
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「水俣病は終わっていない」 環境相懇談で訴えたが…募る不信感
2026/4/30 21:11 1521文字水俣病問題を巡る石原宏高環境相と被害者団体との懇談が30日、熊本県水俣市で始まった。 水俣病の公式確認から70年。被害者側は課題解決につながる議論を期待したが、昨年までと同様に環境相が歩み寄る場面はほぼなく、不信感が募る内容となった。 環境相との懇談は例年5月1日の犠牲者慰霊式に合わせて開かれてい
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「水俣の再生には…」違和感は確信に 次官はミシュランを訪ねた
2026/4/30 11:00インタビュー 1894文字環境問題に関わる仕事に就きたいと考え、1973年に旧環境庁に入った。国内のあらゆる環境政策の根幹となる「環境基本法」の制定(93年)や、日本を含む先進国に温室効果ガスの排出削減を義務づけた「京都議定書」の採択(97年)に携わるなど、環境行政の中枢を歩んだ。 その小林光さん(76)が水俣病問題を巡っ
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「決着したはずなのに」 水俣病診断で終わらぬ混乱 医師の嘆き
2026/4/29 11:00 1932文字水俣病の感覚障害を巡る研究でかつて大きな一石を投じた熊本大名誉教授の浴野成生(えきのしげお)さん(76)は、診断基準の現状を嘆く。 「20年前に決着をつけたはずなのに、あいまいなまま。訳が分からんのよ」 熊本県水俣市と周辺で続いた健康被害を、国は1968年、チッソ水俣工場の排水に含まれたメチル水銀
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幻の水俣病47万人調査 「金かかる」蹴った国、元知事の虚無感
2026/4/28 11:00インタビュー 1977文字水俣病に対する行政責任を負った県のトップとして重い決断だった。元熊本県知事の潮谷義子さん(87)は在任中の2004年、水俣病被害の全容をつかむため、不知火海沿岸に居住歴のある47万人を対象に、前例のない規模の健康調査を計画した。だが国の担当者に一蹴された。 「けんもほろろでした」 提案は、一つの判
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「ぴかぴか」な高度成長の苛烈な現実 竹下景子さんが伝える覚悟
2026/4/27 11:00インタビュー 2385文字高度成長期に育ち、同じ時代を生きてきた人たちの塗炭の苦しみに思いを寄せてきた。 「患者の皆さんへの理解を深めるお手伝いをしたい」 公式確認から70年となる水俣病を、ドラマ、舞台、ナレーションなどで活躍する俳優、竹下景子さん(72)は、表現者として伝え続ける覚悟を語る。 2000年に熊本放送の製作で
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