焦土化した街並みと生き残った少女 被爆地の80年

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  • 顔一面を負傷した少女。当時10歳だった藤井幸子さんだったことが2017年に判明=広島市で1945年8月9日、国平幸男撮影
    顔一面を負傷した少女。当時10歳だった藤井幸子さんだったことが2017年に判明=広島市で1945年8月9日、国平幸男撮影
  • 原爆投下3日後、毎日新聞広島支局の焼け跡から撮影した広島市街地。中央左寄りの建物が現在のレストハウス、右端には広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム)が見える(爆心地から290メートル)=広島市大手町(現広島市中区)で1945年8月9日、国平幸男撮影
    原爆投下3日後、毎日新聞広島支局の焼け跡から撮影した広島市街地。中央左寄りの建物が現在のレストハウス、右端には広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム)が見える(爆心地から290メートル)=広島市大手町(現広島市中区)で1945年8月9日、国平幸男撮影
  • 原爆投下3日後の広島市中心部。爆心地から東に450メートルの商店街=1945年8月9日、国平幸男撮影
    原爆投下3日後の広島市中心部。爆心地から東に450メートルの商店街=1945年8月9日、国平幸男撮影
  • 被爆3日後の広島駅。後方は小説にも描写がある二葉山=1945年8月9日、国平幸男撮影
    被爆3日後の広島駅。後方は小説にも描写がある二葉山=1945年8月9日、国平幸男撮影
  • 被爆3日後、爆心地の東1400メートル付近(京橋西詰付近)から写した広島市街地。対岸右は大須賀町(現南区)一帯=1945年8月9日、国平幸男撮影
    被爆3日後、爆心地の東1400メートル付近(京橋西詰付近)から写した広島市街地。対岸右は大須賀町(現南区)一帯=1945年8月9日、国平幸男撮影
  • 被爆から2年後に行われた第1回広島平和祭=広島市中区で1947年8月6日
    被爆から2年後に行われた第1回広島平和祭=広島市中区で1947年8月6日
  • 「第五福竜丸」水揚げのマグロやサメを埋める市場職員ら=東京都中央区築地の東京都中央卸売市場で1954年3月16日、東京本社写真部員撮影
    「第五福竜丸」水揚げのマグロやサメを埋める市場職員ら=東京都中央区築地の東京都中央卸売市場で1954年3月16日、東京本社写真部員撮影
  • 原水爆禁止世界大会が始まる=広島市で1955年8月6日
    原水爆禁止世界大会が始まる=広島市で1955年8月6日
  • 1985年8月、「広島平和コンサート」に訪れた世界的指揮者のレナード・バーンスタイン。「既に言葉は多すぎる 行動が不足している!」=広島平和記念資料館提供
    1985年8月、「広島平和コンサート」に訪れた世界的指揮者のレナード・バーンスタイン。「既に言葉は多すぎる 行動が不足している!」=広島平和記念資料館提供
  • 原爆ドーム保存への協力を訴える募金活動=東京・銀座で1967年2月25日
    原爆ドーム保存への協力を訴える募金活動=東京・銀座で1967年2月25日
  • 北朝鮮の核実験強行に抗議し、原爆慰霊碑前で座り込む人たち=広島市中区の平和記念公園で2006年10月10日午後0時20分、大西達也撮影
    北朝鮮の核実験強行に抗議し、原爆慰霊碑前で座り込む人たち=広島市中区の平和記念公園で2006年10月10日午後0時20分、大西達也撮影
  • 原爆慰霊碑に献花するゴルバチョフ元ソ連大統領(右)=広島市中区の平和記念公園で1992年4月17日、玉置勝己撮影
    原爆慰霊碑に献花するゴルバチョフ元ソ連大統領(右)=広島市中区の平和記念公園で1992年4月17日、玉置勝己撮影
  • ソ連のゴルバチョフ元大統領は退任後の1992年4月に訪れた。「歳月がヒロシマの悲劇の痛みを和らげることはなかった。私たちは原子爆弾の犠牲者のことを決して忘れてはならない」=広島平和記念資料館提供
    ソ連のゴルバチョフ元大統領は退任後の1992年4月に訪れた。「歳月がヒロシマの悲劇の痛みを和らげることはなかった。私たちは原子爆弾の犠牲者のことを決して忘れてはならない」=広島平和記念資料館提供
  • イスラエルのペレス元首相=東京都内のホテルで、内林克行撮影
    イスラエルのペレス元首相=東京都内のホテルで、内林克行撮影
  • 1997年11月に訪れたイスラエルのシモン・ペレス元首相。イスラエル・パレスチナ間の和平合意(オスロ合意)への貢献を評価され、94年にノーベル平和賞を受賞した。「これは、人類の歴史の中で戦争反対を最も強く宣言し、恐ろしい核兵器使用の危険を最も強く警告しています。私たちはそれが再び起こらないことを祈ります」=広島平和記念資料館提供
    1997年11月に訪れたイスラエルのシモン・ペレス元首相。イスラエル・パレスチナ間の和平合意(オスロ合意)への貢献を評価され、94年にノーベル平和賞を受賞した。「これは、人類の歴史の中で戦争反対を最も強く宣言し、恐ろしい核兵器使用の危険を最も強く警告しています。私たちはそれが再び起こらないことを祈ります」=広島平和記念資料館提供
  • パレスチナ自治政府のアッバス議長=ヨルダン川西岸パレスチナ自治区ラマラの議長府で2016年2月9日夕、大治朋子撮影
    パレスチナ自治政府のアッバス議長=ヨルダン川西岸パレスチナ自治区ラマラの議長府で2016年2月9日夕、大治朋子撮影
  • 2010年2月に訪れたパレスチナ自治政府のアッバス議長。「この行為は明らかに犯罪であり、二度と繰り返してはならない。我々が強調しなければならない結論は、世界が平和と安定を享受し、大量破壊兵器を放棄し、核を廃絶する必要性である」=広島平和記念資料館提供
    2010年2月に訪れたパレスチナ自治政府のアッバス議長。「この行為は明らかに犯罪であり、二度と繰り返してはならない。我々が強調しなければならない結論は、世界が平和と安定を享受し、大量破壊兵器を放棄し、核を廃絶する必要性である」=広島平和記念資料館提供
  • 平和記念公園を訪れたオバマ米大統領=広島市中区で2016年5月27日午後6時13分、徳野仁子撮影
    平和記念公園を訪れたオバマ米大統領=広島市中区で2016年5月27日午後6時13分、徳野仁子撮影
  • 原爆資料館を見学後に記帳するウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領=広島市中区の原爆資料館で2016年4月10日午前11時47分、竹下理子撮影
    原爆資料館を見学後に記帳するウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領=広島市中区の原爆資料館で2016年4月10日午前11時47分、竹下理子撮影
  • 2016年4月に訪れた「世界一貧しい大統領」として知られるウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領。「倫理がない科学は考えられないような悪の道具になる。歴史は、人間が同じ石でつまずく唯一の動物と教えている。私たちはそれを学んだだろうか」=広島平和記念資料館提供
    2016年4月に訪れた「世界一貧しい大統領」として知られるウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領。「倫理がない科学は考えられないような悪の道具になる。歴史は、人間が同じ石でつまずく唯一の動物と教えている。私たちはそれを学んだだろうか」=広島平和記念資料館提供
  • 握手を交わす被爆者の藤森俊希さん(左)とサーロー節子さん=ニューヨークの国連本部で2017年7月7日午後11時53分、三木幸治撮影
    握手を交わす被爆者の藤森俊希さん(左)とサーロー節子さん=ニューヨークの国連本部で2017年7月7日午後11時53分、三木幸治撮影
  • 原爆慰霊碑の献花を終え、岸田文雄首相(右から2人目)の背中に手をやるフランスのエマニュエル・マクロン大統領(同3人目)。左端はカナダのジャスティン・トルドー首相、右端は米国のジョー・バイデン大統領=広島市中区で2023年5月19日(外務省提供)
    原爆慰霊碑の献花を終え、岸田文雄首相(右から2人目)の背中に手をやるフランスのエマニュエル・マクロン大統領(同3人目)。左端はカナダのジャスティン・トルドー首相、右端は米国のジョー・バイデン大統領=広島市中区で2023年5月19日(外務省提供)
  • ウクライナのゼレンスキー大統領=広島市中区で2023年5月21日午後7時47分、大西岳彦撮影
    ウクライナのゼレンスキー大統領=広島市中区で2023年5月21日午後7時47分、大西岳彦撮影
  • 2023年5月、G7広島サミットで訪れたウクライナのゼレンスキー大統領。「世界中のどの国も、このような苦痛と破壊を経験することがあってはいけない。現代の世界に核による脅しの居場所はない」=広島平和記念資料館提供
    2023年5月、G7広島サミットで訪れたウクライナのゼレンスキー大統領。「世界中のどの国も、このような苦痛と破壊を経験することがあってはいけない。現代の世界に核による脅しの居場所はない」=広島平和記念資料館提供
  • ノーベル平和賞を受賞した日本被団協の(右から)箕牧智之さん、田中重光さん、田中熙巳さん=オスロで2024年12月10日、猪飼健史撮影
    ノーベル平和賞を受賞した日本被団協の(右から)箕牧智之さん、田中重光さん、田中熙巳さん=オスロで2024年12月10日、猪飼健史撮影
  • 顔一面を負傷した少女。当時10歳だった藤井幸子さんだったことが2017年に判明=広島市で1945年8月9日、国平幸男撮影
  • 原爆投下3日後、毎日新聞広島支局の焼け跡から撮影した広島市街地。中央左寄りの建物が現在のレストハウス、右端には広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム)が見える(爆心地から290メートル)=広島市大手町(現広島市中区)で1945年8月9日、国平幸男撮影
  • 原爆投下3日後の広島市中心部。爆心地から東に450メートルの商店街=1945年8月9日、国平幸男撮影
  • 被爆3日後の広島駅。後方は小説にも描写がある二葉山=1945年8月9日、国平幸男撮影
  • 被爆3日後、爆心地の東1400メートル付近(京橋西詰付近)から写した広島市街地。対岸右は大須賀町(現南区)一帯=1945年8月9日、国平幸男撮影
  • 被爆から2年後に行われた第1回広島平和祭=広島市中区で1947年8月6日
  • 「第五福竜丸」水揚げのマグロやサメを埋める市場職員ら=東京都中央区築地の東京都中央卸売市場で1954年3月16日、東京本社写真部員撮影
  • 原水爆禁止世界大会が始まる=広島市で1955年8月6日
  • 1985年8月、「広島平和コンサート」に訪れた世界的指揮者のレナード・バーンスタイン。「既に言葉は多すぎる 行動が不足している!」=広島平和記念資料館提供
  • 原爆ドーム保存への協力を訴える募金活動=東京・銀座で1967年2月25日
  • 北朝鮮の核実験強行に抗議し、原爆慰霊碑前で座り込む人たち=広島市中区の平和記念公園で2006年10月10日午後0時20分、大西達也撮影
  • 原爆慰霊碑に献花するゴルバチョフ元ソ連大統領(右)=広島市中区の平和記念公園で1992年4月17日、玉置勝己撮影
  • ソ連のゴルバチョフ元大統領は退任後の1992年4月に訪れた。「歳月がヒロシマの悲劇の痛みを和らげることはなかった。私たちは原子爆弾の犠牲者のことを決して忘れてはならない」=広島平和記念資料館提供
  • イスラエルのペレス元首相=東京都内のホテルで、内林克行撮影
  • 1997年11月に訪れたイスラエルのシモン・ペレス元首相。イスラエル・パレスチナ間の和平合意(オスロ合意)への貢献を評価され、94年にノーベル平和賞を受賞した。「これは、人類の歴史の中で戦争反対を最も強く宣言し、恐ろしい核兵器使用の危険を最も強く警告しています。私たちはそれが再び起こらないことを祈ります」=広島平和記念資料館提供
  • パレスチナ自治政府のアッバス議長=ヨルダン川西岸パレスチナ自治区ラマラの議長府で2016年2月9日夕、大治朋子撮影
  • 2010年2月に訪れたパレスチナ自治政府のアッバス議長。「この行為は明らかに犯罪であり、二度と繰り返してはならない。我々が強調しなければならない結論は、世界が平和と安定を享受し、大量破壊兵器を放棄し、核を廃絶する必要性である」=広島平和記念資料館提供
  • 平和記念公園を訪れたオバマ米大統領=広島市中区で2016年5月27日午後6時13分、徳野仁子撮影
  • 原爆資料館を見学後に記帳するウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領=広島市中区の原爆資料館で2016年4月10日午前11時47分、竹下理子撮影
  • 2016年4月に訪れた「世界一貧しい大統領」として知られるウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領。「倫理がない科学は考えられないような悪の道具になる。歴史は、人間が同じ石でつまずく唯一の動物と教えている。私たちはそれを学んだだろうか」=広島平和記念資料館提供
  • 握手を交わす被爆者の藤森俊希さん(左)とサーロー節子さん=ニューヨークの国連本部で2017年7月7日午後11時53分、三木幸治撮影
  • 原爆慰霊碑の献花を終え、岸田文雄首相(右から2人目)の背中に手をやるフランスのエマニュエル・マクロン大統領(同3人目)。左端はカナダのジャスティン・トルドー首相、右端は米国のジョー・バイデン大統領=広島市中区で2023年5月19日(外務省提供)
  • ウクライナのゼレンスキー大統領=広島市中区で2023年5月21日午後7時47分、大西岳彦撮影
  • 2023年5月、G7広島サミットで訪れたウクライナのゼレンスキー大統領。「世界中のどの国も、このような苦痛と破壊を経験することがあってはいけない。現代の世界に核による脅しの居場所はない」=広島平和記念資料館提供
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