修復作業が続く国重要文化財「田子櫓」の前で復興への思いを語る出良大空さん=熊本市中央区で3月
観測史上初めて最大震度7の揺れを2度観測し、熊本、大分両県で災害関連死を含めて278人が犠牲となった熊本地震から10年となった。地震で大きく傷ついた熊本城の復旧作業は、10年を経た今もなお続く。伝統的な技法で造られた建築物の修復には息の長い作業が必要。次世代への技術継承が欠かせない中、若き職人が奮闘している。
熊本市南区出身の出良大空さん(24)は、同市の建設業者で左官(内外装職人)として働く。復旧作業員らが行き交う熊本城で、江戸時代末期に築かれた国重要文化財、田子櫓の復旧に携わっている毎日だ。
大きな被害を受けた熊本城は、シンボルの天守閣が2021年3月に復旧した。修復途中の石垣はモルタルで覆われている=熊本市で13日
熊本地震は中学3年の時に経験した。4月14、16日と2度にわたって激震が襲い、自宅も棚が倒れて物が散乱。自身や家族にけがはなかったが、近所の家の壁にはひびが入るなどの被害が出た。
熊本城の被害も大きかった。大天守最上階の瓦はほとんど落ち、1607年の築城時からの姿を保っていた宇土櫓など重要文化財13棟は全て損壊。国の特別史跡で「日本一美しい」といわれた石垣は全体の3割に当たる2万3600平方メートルで崩落などの被害が出た。出良さんも幼い頃から親しんできただけに無残な姿にショックを受けた。
熊本地震の「前震」から10年となったこの日、甚大(じんだい)な被害が出た熊本県益城町(ましきまち)では約650本の竹灯籠(たけとうろう)に明かりがともされ、多くの人が犠牲者に祈(いの)りをささげた=14日
プラモデルづくりが好きで手先が器用だった出良さんは地震から1年後、熊本工業高の建築科に進学。ラグビー部では花園出場を果たした。卒業後、ものづくりに携わる仕事に就きたいと左官を仕事に選んだ。2020年春、見習となった出良さんの初仕事となったのが、熊本城の重要文化財、長塀(242メートル)の復旧だった。
いきなり熊本城の仕事に携わると聞かされ「正直、半信半疑だった」という。まだ被害の爪痕が深い一帯の様子に「本当に修復できるのだろうか」とも感じた。それでも、長塀に漆喰を塗る作業に先輩職人と必死に取り組んだ。
漆喰は2時間足らずで乾くため、失敗した場合はその部分をはぎ取って塗り直さなければいけない。毎日が緊張の連続だったが作業を終えると、目の前には以前より白く、壮観な長塀が建っていた。
街に出かけるたびに見上げていた大天守の復旧作業にも携わった。日暮れ後、無数の明かりがともった街並みが一望できる作業場からの景色は壮観だった。大天守が21年3月に完全復旧すると、父親と2人で城へ出かけた。「あそこは俺が塗ったんだよ」。自慢しながら、思わず声が弾んだ。
完全復旧まで四半世紀
苦労も尽きないが、向上心が支えになっている。出良さんが今、向き合っている田子櫓の復旧は28年9月の完了を予定しているが、崩れた石垣も含めた城の完全復旧は52年度の予定だ。技術の継承が課題となる中、出良さんは「先輩たちから託された技術を次に受け継ぐ懸け橋になりたい」と成長を誓っている。
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【熊本地震】
地震で石垣や屋根が壊れた熊本城の天守閣=2016年4月22日、本社ヘリから
2016年4月14日午後9時26分にマグニチュード(M)6・5の前震が発生。その約28時間後の16日午前1時25分、M7・3の本震が発生した。家屋倒壊などの直接死で50人が犠牲になり、16年6月の豪雨災害で亡くなった5人も地震との関連が認められた。避難生活で体調が悪化するなどした災害関連死は両県で223人に上った。
【田子櫓】【宇土櫓】【長塀】
いずれも国指定重要文化財。田子櫓は、地震により柱が傾き、建物全体が大きく変形するなど大きな被害があった。2025年に予定していた範囲の解体保存・撤去工事が完了し、復旧の工程に移行している。
長塀は、石垣の上に直線で242メートルの長さをもつ。西南戦争の頃に一時撤去されたが、その後復旧された。地震により東側80メートルが倒壊したが、21年に復旧が完了した。
このほか、大天守、小天守と並んで「第三の天守」とも呼ばれ、築城当時の姿を保っていた唯一の多重櫓である宇土櫓も倒壊した。