稲盛和夫のことば 混迷の時代を生きる フォロー

「値切るなら、値切る先をいく」若き稲盛和夫の反骨心

稲盛和夫・京セラ創業者
京セラ創業者の稲盛和夫氏=東京都中央区で2014年1月14日、中村琢磨撮影
京セラ創業者の稲盛和夫氏=東京都中央区で2014年1月14日、中村琢磨撮影

稲盛和夫のことば(13)

厳しい要求をしてきた相手に感謝する。会社発展の恩人と思って、そのつらさをポジティブに受け止めて努力する。

 「経営のこころ」PHP研究所(122~126ページ)

松下に鍛えられる

 大学を出て最初に就職した会社でファインセラミックスの研究をしていて、最初につくったのがU字ケルシマという製品です。当時、松下電子工業(以下、松下。現パナソニック)がテレビのブラウン管をつくり始めていました。ブラウン管に必要な絶縁材料に適したものがないというので、私が開発したものを使ってくれた。それが京セラ創業の製品でもありました。

 その製品は「私しかつくれないものだ」と私は思っていましたが、松下側からしてみると、すでにオランダのフィリップス社から輸入をしていたため、日本で買えなければオランダから輸入して買えばいいと思っておられた。そのなかで日本では私が安くつくるので、私に依頼があった。つまり松下の下請けをやっていたのです。

 すると、松下からは毎年、何回となく「値段を安くしてほしい」という交渉があるわけです。ブラウン管の生産がどんどん増えていくと、「今まで毎月5万本発注していたけれど、今度は6万本、7万本になって量が増えたのだから、値引きをするように」と言われるのです。さらに、10万本になったから、15万本になったから、あるいは生産を始めて2年経(た)ったから、と値下げを言ってくる。

 「もう、いよいよ下がりません。これ以上は下がりません」と言うと、「だったら確かめるため、決算書を持ってきなさい」と言われる。もう腹が立って、腹が立って、「もう下がらないのです」と言って喧嘩(…

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京セラ創業者

 1932年鹿児島市生まれ。鹿児島大工学部卒。59年に京都セラミック(現・京セラ)、84年に第二電電(現・KDDI)を創業。2010年には経営破綻した日本航空の会長になり再建を果たした。稲盛財団、国際賞「京都賞」を創設し、若手経営者が集まる経営塾「盛和塾」を主宰するなど、経営者育成に力を注いだ。22年8月、90歳で死去。