スペースジェット悲しき撤退(2)
三菱重工業がスペースジェット(旧MRJ)の開発撤退を決めた理由として、泉沢清次社長は2月7日の記者会見で「開発を継続していくうえでのリソースが不足していた」と述べた。
リソースの不足は、人材面、資金面などさまざま考えられるが、航空工学が専門の鈴木真二・東京大学名誉教授は「経験のほとんどない日本単独の大きなプロジェクトなので、三菱重工1社でやろうとしたところに無理があった。航空機をつくる他社も参加した“オールジャパン”体制でやれば、もう少しうまくいっていたかもしれない」と話す。
共同事業体を作るべきだった?
戦後初の国産旅客機「YS11」の開発は、三菱重工に加えて川崎重工業、富士重工業(現SUBARU)、新明和工業なども参加したオールジャパン体制だった。しかし、YS11は商業的には失敗で、その原因は「寄せ集めの組織で責任体制があいまいだったから」と言われた。
だが、鈴木氏は「YS11の経験は昔の話で、今は逆だ」と指摘する。「世界の民間航空機事業を見れば、米国はボーイングに集約され、欧州も各国が協力してエアバスをつくった。日本も各社がまとまって共同事業体をつくらないと日本単独での参入は難しい」というのだ。
川崎重工は自衛隊の「P1」(哨戒機)や「C2」(輸送機)などを製造し、ボーイング787、777の胴体もつくる。SUBARUは787、777の主翼と胴体をつなぐ中央翼をつくり、ヘリコプター製造も行っている。新明和工業は…
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