今年のプロ野球も大詰めが近づいてきた。村上春樹はかなり熱心なヤクルト・スワローズのファンとして知られている。そこには、村上文学の本質ともかかわる意外に深い理由があるように思える。
文学者のひいきの球団というのは興味深い。吉本隆明(思想家・詩人)は阪神、丸谷才一(作家)は横浜、江藤淳(文芸評論家)は中日。こじつけになるかもしれないが、それぞれの仕事を想起させる面もないではない。
ファンクラブの名誉会員
村上春樹がスワローズのファンであることは、スワローズの公式サイトを見ればわかる。村上は3人しかいないファンクラブの名誉会員なのだ(あとの2人は出川哲朗と、さだまさし)。村上はこのサイトに7回にわたってメッセージを寄せている。
村上が小説を書き始めたことについても、スワローズが関係しているのは有名な話だ。エッセー集「走ることについて語るときに僕の語ること」(文芸春秋)ではこんなふうに記している。
それは1978年4月1日の午後1時半前後のことだったという。村上は1人で神宮球場の外野席でビールを飲みながら野球を観戦していた。ヤクルトは開幕ゲームで広島カープが相手だった。一回裏、ヒルトンが二塁打を放った。その瞬間に「そうだ、小説を書いてみよう」と思い立ったというのだ。
「そのとき空から何かが静かに舞い降りてきて、僕はそれをたしかに受け取ったのだ」
秋には作品を書き終えた。これがデビュー作「風の歌を聴け」だ。ヤクルトはこの年、日本一になった。
このエピソードを村上は何度か書いている。「雑文集」(新潮文庫)に収められた文章「デイヴ・ヒルトンのシーズン」ではこんな具合だ。村上は29歳だった。スワローズは球団創設以来、優勝経験のないまま29回目のシーズンを迎えていた。ヒルトンも29歳だった(9月生まれなので、正確には29歳になる年だった)。
この年の秋、村上は広尾のスーパーの前で妻子と一緒のヒルトンを見た。とても幸福な情景だったという。本にはその時のヒルトンのサインも掲載されている。
関西生まれがなぜ
それにしても、なぜ、京都生まれで、兵庫県で育った村上がスワローズのファンになったのだろう。大阪人の私には奇異に思える。その理由については短編集「一人称単数」(文春文庫)に収められた作品「ヤクルト・スワローズ詩集」が詳しい。キーワードは「父親」と「故郷」だ。
村上は小学生の頃、「阪神タイガース友の会」に入っていた。甲子園を「誰がなんと言おうと、日本でいちばん美しい球場」だという。そして…
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