稲盛和夫のことば 混迷の時代を生きる フォロー

「無謀でも先頭で走る」稲盛和夫のベンチャー精神

稲盛和夫・京セラ創業者
「毎日21世紀フォーラム」で講演する稲盛和夫氏=大阪市北区で2012年2月20日、小松雄介撮影
「毎日21世紀フォーラム」で講演する稲盛和夫氏=大阪市北区で2012年2月20日、小松雄介撮影

稲盛和夫のことば(36)

無謀であろうとも、金メダルをとろうとするなら、まずは「先頭を走る」

「燃える闘魂」毎日新聞出版(64~68ページ)

大事を成し遂げるには

 マラソンの「先頭集団についていく」という話にしても、人間というのは、無理をしてでも、人の前を走っていれば、調子が出てくるものである。120%、150%の力が出てくることさえある。スポーツをしたことがある人ならわかるが、調子がよくて勝っているときはいくらでも力が出る。(中略)

 わたしはたった28人で京セラをつくり、本当に会社がちっぽけなときから、「西ノ京原町で一番になろう、西ノ京原町で一番になったら中京区で一番になろう、中京区で一番になったら京都で一番になろう、京都で一番になったら日本一になろう、日本一になったら世界一になろう」と、大それた身のほど知らずなことを社員に話してきた。

 その代わり、会社をつくった瞬間から夜を日に継いで、誰にも負けない努力でがんばってきた。マラソンで言えば、オーバーペースであろうと全速力で走りつづけたのである。本当に寝る間さえ惜しんで、人間の限界を超えるくらいまで働いてきた。

 すると、「こんなにがんばったのでは身体が保たないのではないか」と社員から文句が出た。「こんなハイペースで、長丁場の経営というのはできるのだろうか」とみんなが疑問に思っていた。

 わたしは次のように社員に説いた。

 「(中略)一流でもない選手がチンタラチンタラ走っていては勝負にもならない。それでは経営をする意味がない。だから、とにかく全力疾走で走ってみようではないか」

 そのように話していた創業のときから、わずか10年ほど…

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京セラ創業者

 1932年鹿児島市生まれ。鹿児島大工学部卒。59年に京都セラミック(現・京セラ)、84年に第二電電(現・KDDI)を創業。2010年には経営破綻した日本航空の会長になり再建を果たした。稲盛財団、国際賞「京都賞」を創設し、若手経営者が集まる経営塾「盛和塾」を主宰するなど、経営者育成に力を注いだ。22年8月、90歳で死去。