今回は舞台「ねじまき鳥クロニクル」を見て考えたことを書こうと思う。村上春樹の同名小説が原作だ。文庫本で3冊に及ぶ長編で、「海辺のカフカ」などとともに村上の代表作と目される作品だ。
東京、大阪、愛知県刈谷市で公演されたが、私が楽しんだのは11月9日、東京・池袋の東京芸術劇場プレイハウスでの舞台だった。演出はイスラエル出身のインバル・ピントとアミール・クリガー。
のみ込まれるような…
一言でいえば、出演者の身体や声がさまざまなイメージを散乱させ、それらが大きな流れになって、物語が動いていく、という舞台だった。自分がその中にのみ込まれるような体験だった。村上の小説を読みながら、夢中になっている時の感触と共通点があった。
村上春樹の小説には謎が埋め込まれている。物語は読者に対して、この謎を解くようにとしきりに誘いかける。読者は謎を解こうと、想像力をめぐらして、作品をさらに深く読み込むことになる。その時に味わう迷宮をさまよっているような感覚。現実を相対化して眺めるような浮遊感。これが村上作品の魅力の土台にあるものだ。
舞台は原作の持つ、この不思議な感覚をうまく表現していた。原作を読みながら迷宮をさまよっていると、何かやわらかい感触があって、少し居心地がいい感じに包まれる。しかし、読み進むうちに、悪夢のような恐ろしさに出会ったり、どうしても消化できない硬いものに直面したりする。この得がたい感触を劇場でも味わうことができたのだ。
姿を消すネコ、妻
主人公は岡田トオル。突然に姿を消したネコを捜すうちに家の近所の空き家の庭で女子高生の笠原メイ(門脇麦)と出会う。メイはトオルを「ねじまき鳥さん」と呼び、交流が生まれる。ネコについてトオルの妻、クミコ(成田亜佑美)は「夫婦にとって大切な象徴」と説く。
その後、謎めいた人物が次々とトオルの前に現れる。予知能力を持つという女性。クミコの兄に汚されたという、その妹。トオル夫婦の亡くなった恩人の知人。性的暴力から、戦争の悲惨な体験まで、さまざまな具体的な悪が示されることになる。
そんな中、トオルの妻のクミコがいなくなってしまう。そして、クミコの兄から一方的に離婚を告げられる。トオルは空き家の井戸の底に下りて、暗い通路を潜(くぐ)り抜け、不思議なホテルにたどり着く。この異界ともいえる世界で、妻を奪回する…
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