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村上春樹を継ぐ作家 上田岳弘の長編「最愛の」を読む

重里徹也・文芸評論家、聖徳大特任教授
「ニムロッド」が芥川賞に決まり、記者会見で笑顔を見せる上田岳弘さん=東京都千代田区で2019年1月16日午後7時37分、竹内紀臣撮影
「ニムロッド」が芥川賞に決まり、記者会見で笑顔を見せる上田岳弘さん=東京都千代田区で2019年1月16日午後7時37分、竹内紀臣撮影

 村上春樹は後に続く作家たちに、どのような影響を与えているのか。その一端を考える好例が上田岳弘の長編小説「最愛の」(集英社)だ。昨年秋に刊行されて話題になった。

 上田は1979年、兵庫県生まれ。早大卒業後、IT(情報技術)企業の役員をやりながら小説を書き、2019年に「ニムロッド」で芥川賞を受賞。新しいテクノロジーに詳しく、仮想通貨やAI(人工知能)も題材に取り込みながら、人類の過去や未来を視野に入れて、東京で生活する人々の生活実感を描いてきた。

 村上春樹の作品を受け継ぐ作家でもある。昨年、優れた短編小説に与えられる川端康成文学賞を受賞した「旅のない」(単行本は講談社)では、主人公は小説を書きながら業務アプリの開発や販売をしている会社に勤めている。

 彼が「村上春樹の二番煎じ的な芸風でやらせてもらってます」と語る場面がある。登場人物の言葉なので、上田自身とは違う。しかし、かなり投影されているように読んだ。多分に謙虚な言い方で、上田は村上の作品世界を受け継ぎながら、それを更新させようとしている書き手だと私には思える。

「ノルウェイの森」との対比

 「最愛の」の主人公は30代後半の独身。外資系通信機器メーカーに勤めている。彼は情報をそつなく処理し、テキパキと仕事をする「血も涙もない的確な現代人」として、コロナ禍の東京で暮らしている。

 有能なビジネスマンとして日々を送る彼には、心の底に「おもり」のような存在があって、そのおかげで彼の人生が意味づけられ、なんとかバランスを保って生き続けることができている。その存在とは中学時代の同級生で、文通を続けた女性だった。

 物語は主人公の現在の生活と、この女性とのこれまでの経緯が交互に描かれていく。主人公は彼女との関係を振り返って手記を書いている。彼は手記を書くことで記憶を呼び起こし、自身の生きる意味をまさぐっているようなのだ。

 ここまで紹介すれば、村上春樹作品において、ある一人の女性へのいちずな思いが繰り返し描かれていたことを思い出す読者もいるだろう。ここでは1987年に刊行され、ベストセラーになった長編小説「ノルウェイの森」(講談社文庫)と比較してみよう。

 「ノルウェイの森」の全体は37歳の主人公が学生時代を回想するという構造になっている。学生時代の彼をめぐる女性の一人が「直子」だ。主人公は学生生活をしていた東京で、高校時代の友人(自殺した)の元カノである彼女と偶然に出会った。

 主人公と直子は付き合い始めるが、2人の間では性愛が成立しない。直子は精神を病んでいて日常生活に支障があるうえ、不感症なためだ。やがて直子は京都の北部にある療養施設に入ることになる。

「恋愛とは何か」をテーマに

 「ノルウェイの森」という長編のテーマの一つは、この恋愛の不可能性に直面した人間を描いて、恋愛とは何かを探ることにある。上田岳弘はこのテーマを引…

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文芸評論家、聖徳大特任教授

1957年、大阪市生まれ。大阪外国語大(現・大阪大外国語学部)ロシア語学科卒。82年、毎日新聞に入社。東京本社学芸部長、論説委員などを歴任。2015年聖徳大教授。23年4月から特任教授。著書に「文学館への旅」(毎日新聞社)、共著に「村上春樹で世界を読む」(祥伝社) などがある。