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イスラエルのスパイ戦争 ハメネイ師暗殺を米国が止めたワケ

会川晴之・毎日新聞客員編集委員
ウィーンの国際原子力機関(IAEA)で記者会見するイランのアッバシ原子力庁長官。今回のイスラエル軍による攻撃で死亡した=2011年9月、筆者撮影
ウィーンの国際原子力機関(IAEA)で記者会見するイランのアッバシ原子力庁長官。今回のイスラエル軍による攻撃で死亡した=2011年9月、筆者撮影

 イスラエルがルビコン川を渡った。13日未明からイラン空爆を始めた。情報機関モサドの工作員が8カ月前からイラン国内に潜伏、ひそかに持ち込んだ攻撃ドローンも出撃させ、軍高官など要人を殺害するなど、スパイ映画さながらのシーンが相次いだ。

 イランの首都テヘランを歩くと息切れする。東京からの長旅による疲れや、時差ぼけのせいではない。テヘランは、3000メートルの山々が連なるエルブールズ山脈の裾野にある。標高が1200メートルもある高原地帯で空気が薄い。標高の低いダウンタウンはスモッグに覆われているが、北になるほど標高が上がり空気が澄む。欧州製の高級外車やプール付き邸宅も目につく高級住宅街となる。

 今回、その地区が最も激しく空爆を受けた。サラミ司令官やバゲリ参謀総長など、イラン革命防衛隊の最高幹部など約20人が殺された。アッバシ元原子力庁長官など核開発に長らく関わってきた科学者たちも狙い撃ちされた。

 アッバシ氏は2010年11月、テヘラン市内で暗殺されかけた。妻と同乗していた車に2台のバイクが近づき、フロントガラスに何かを貼り付けた後、全速力で逃げ去った。妻と運転手とともに車外に飛び出すと、直後に爆弾が破裂した。その日、別の核科学者が市内で暗殺される事件も起きた。イランは「核の殉教者」と呼び、手厚く葬っている。

 その翌年、筆者はアッバシ氏をウィーンの国際原子力機関(IAEA)で取材する機会があった。「ボディーガードを乗せていたら、あいつら2人を殺せたはずだ」とドスの利いた声で語ったのが印象に残る。だが、今回は生き延びることはできなかった。

 20年8月にも、潜伏中の国際テロ組織「アルカイダ」ナンバー2が、テヘラン市内を走行中、娘とともに殺された。2人乗りのバイクがすっと車に近づき、サイレンサー(消音機)付きの銃で5発撃った。イスラエルの情報機関が、米国の依頼を受けて実施したとの見方があ…

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毎日新聞客員編集委員

1987年入社。欧州や北米総局長などを経て、2020年から専門編集委員。日米政府が進めたモンゴルへの核廃棄計画の特報で、11年度ボーン・上田記念国際記者賞。連載「核回廊を歩く 日本編」で16年科学ジャーナリスト賞。