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精神科病院での患者虐待を止めるために必要なこと

斎藤正彦・東京都立松沢病院名誉院長・精神科医
精神科病院での虐待を減らすためのポイントとして、第一に「密室性排除が重要。虐待を個人の資質の問題に矮小化し、その人を責めるだけでは解決しません。虐待は組織の構造が引き起こすものです」と指摘する都立松沢病院名誉院長、斎藤正彦さん=提供写真
精神科病院での虐待を減らすためのポイントとして、第一に「密室性排除が重要。虐待を個人の資質の問題に矮小化し、その人を責めるだけでは解決しません。虐待は組織の構造が引き起こすものです」と指摘する都立松沢病院名誉院長、斎藤正彦さん=提供写真

誰にでも起こりうる弱者に対する虐待

 漢和辞典で虐待の「虐」という文字を引くと、トラと爪(そう)という文字からなり、トラが足の爪で他の動物をいたぶることと書かれています。

 精神科病院、知的障がい者施設、老人施設、出入国在留管理庁の収容施設等での被収容者に対する虐待、家庭内における乳幼児や認知症高齢者への虐待など、ほとんど途切れずに報道されるこれらの事件に共通するのは、他人の目がない密室の中で、逆らうことも逃げ出すこともできない弱い立場の人たちに対して、強い立場の人が一方的に暴力をふるっている点です。

 密室における虐待の報道が、これほど私たちを不快にし、不安にさせるのはなぜでしょう。その理由の一つは、虐待事件の加害者が、必ずしも社会的な強者ではないという事実です。

 むしろ、密室の外ではごくごく普通の市民であったり、場合によっては社会的弱者としての役割を強いられる人たちであったりすることも少なくありません。虐待は時として、弱者のストレスのはけ口が、より弱い人たちに向けられた時に起こります。

 私は昔、取引先で嫌なことがあると、家に帰って小さなペットを虐待し、しばしば死に至らしめる衝動を何とか止めてほしいと泣きながら訴える若い営業マンを診察したことがあります。彼は、営業成績も良く、会社では腰の低いまじめな青年と評価されていました。

 弱者に対する虐待は、状況によっては誰にでも起こりうるのです。

繰り返される虐待事件の背景にあるもの

 先月お話しした(https://mainichi.jp/premier/health/articles/20230328/med/00m/100/020000c)、報徳会宇都宮病院事件は、職員の暴力により2人の患者さんが死亡するなどの深刻な人権侵害を、1984年に朝日新聞が報道することで発覚しました。

 今回、入院患者さんへの暴行容疑で看護師3人が逮捕された滝山病院(東京都八王子市)の事件が露見したのは、おそらく組織的な内部告発があったためでしょう。それが日本放送協会(NHK)による一連の報道につながったからです。

 しかし、こうした事件の発覚の仕方は極めて例外的なものです。実際にどれだけ多くの人が、虐待の被害にあっているのかは知りようがありません。

 宇都宮病院と滝山病院の事件は、複数の行政機関による定期的な監査では見いだされませんでした。NHKで報道されたように、事件発覚前の2021年、都庁が行った滝山病院の精神科実地指導において、患者の隔離や身体拘束、退院支援委員会の実施状況を含むほとんどの項目がA評価だったことからも、現行の行政監査の限界は明らかです。

 宇都宮病院事件をきっかけに1987年、精神衛生法から「精神保健法(現:精神保健及び精神障害者福祉に関する法律=精神保健福祉法)」に改められ、入院患者さんが病院内での処遇改善を求める法的手段が確保されました。2016年の法改正では、その権利の範囲が家族にまで拡大されました。

 しかし、これはあくまでも建前の話です。

 患者さんや家族が、法的な権利を行使して処遇改善を訴えることが現実的に可能かどうかは病院の姿勢にかかっています。病院が訴える手段を保障し、手続きを支援しなければ訴えられないからです。虐待など起こりそうにない良心的な病院ほど、患者さんの権利を守り、たとえ患者さんの訴えが妄想的なものだと思っても、法手続きに従って不服申し立てを支援します。

 一方、問題のある病院ほど協力を拒みます。つまり虐待リスクの高い施設にいる患者さんほど、外部に訴える手段がないのです。

 加えて、家族が患者さんの人権擁護に熱心ではない場合、入院患者さんを代弁して処遇の改善を要求することは期待できません。さまざまな理由で患者さんの長期入院を希望している家族は、「では退院してください」と言われたら困るからです。

 宇都宮病院でも滝山病院でも、患者さんを持て余し、長期入院を希望している家族は悪いうわさがあっても口をつぐんでいました。さらに、もともと不十分な精神保健福祉法の人権擁護規定をさらに骨抜きにする方法があります。

 精神保健福祉法における入院患者さんの人権擁護規定は、当然のことながら強制入院の患者さんに厚くできています。自発的に入院(法律では任意入院と呼びます)した患者さんは、処遇に不満なら自分で退院できるという建前だからです。

 したがって、形だけ任意入院にしてしまえば、患者さんは自分の意思で入院していることになるので、強制入院のような権利擁護のための書類も定期的な病状報告も必要ありません。強制入院を減らしさえすれば虐待が減る、ということではないのです。

私が経験した虐待事件の顚末(てんまつ)

 私は、06年から12年までの6年間、高齢者医療を中心にした私立病院の院長をしていました。認知症の患者さんも多く入院するその病院では、開設以来、拘束しない、隔離しないという方針を徹底しており、その優れたケアは、海外からテレビ取材が入るほど…

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東京都立松沢病院名誉院長・精神科医

私は、サンフランシスコ講和条約の年に千葉県船橋市で生まれた。幼稚園以外の教育はすべて国公立の学校で受け、1980年に東京大学医学部を卒業して精神科の医師となり、40年を超える職業生活のうち26年間は国立大学や都立病院から給料をもらって生活してきた。生涯に私が受け取る税金は、私が払う税金より遙かに多い。公務員として働く間、私の信条は、医師として患者に誠実であること、公務員として納税者に誠実であることだった。9年間院長を務めた東京都立松沢病院を2021年3月末で退職したが、いまでも、私は非常勤の公務員、医師であり、私の信条は変らない。