認知症の死をみとる
私は認知症の専門医として働いてきました。その中で、たくさんの忘れられない患者さんとの出会いがありました。特に、死をみとった患者さんは一人一人、忘れがたいものです。
Aさんは80代後半の男性でした。
一代で大きな企業を育て、80歳まで社長として会社を切り盛りしていたAさん。社長を退任する前後から、アルツハイマー型認知症を発症し、私が主治医になった時にはすでに寝たきりで自分では姿勢を変えられず、認知症は最重度で話を理解することも意見を述べることもできませんでした。
嚥下(えんげ)障害が進行し、しばしば誤嚥性肺炎を繰り返すようになったとき、私は毎日見舞いに訪れ病室で時を過ごすAさんの妻・Bさんに終末期の方針について相談しました。
「この人は、若い時からずっと私たち家族のために働き詰めでした。もう十分やってくれたと思います。このうえ、無理に命をつなぐようなことをしたくありません」
Bさんがそうおっしゃったので、(チューブやカテーテルなどを通して胃や腸に直接栄養を届ける)経管栄養はしないという方針を決めていました。
ところが、ある月曜日、出勤してみると、Aさんの鼻に経鼻経管栄養カテーテルが入っていたのです。事情を聴くと、前日の日曜日にAさんの会社を継いでいるご長男が病院に見えて、「今、おやじが死んだら会社が傾く、銀行はおやじの名前に金を出しているのだから、1日でも2日でも延命してもらいたい」と経管栄養による延命を要請したというのです。
Aさんは、それから1年ほど命を保ちました。最期のとき、全身が拘縮して胎児のような姿勢を取り、精神活動を全く観察できないほどになっていました。臨終のとき、「この1年は、私自身の覚悟を決めるために必要な時間だったと思います」というご長男の言葉を、私は、半ば釈然としない気持ちで聞いていました。
「毎日がアルツハイマー」の監督、関口祐加さんのこと
ドキュメンタリー映画作家の関口祐加さんは、アルツハイマー病と診断されたお母さんとご自身を被写体としたドキュメンタリー映画「毎日がアルツハイマー」を2012年に発表して、広く知られるようになりました。
14年には、理想の介護を求めて、パーソン・センタード・ケア(認知症と共に生きる人を「一人の人」として尊重し、その人の立場に立って考え、ケアを行うケアの理念)のご本家、イギリスを訪ねた「毎日がアルツハイマー2 関口監督、イギリスへ行く編」を、18年には、介護の果てにある死をテーマにした「毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル 最期に死ぬ時。」が公開されました。
私と関口さんには、アルツハイマー型認知症と診断された母をみとったという共通の体験があり、「毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル」撮影のころから親しくしています。共通の経験と言いましたが、私たち母子と、関口さん母娘の生き方、アルツハイマーによる障害への対処法は、全く違います。
私は母の日記を死後に再構成した「アルツハイマー病になった母がみた世界――ことすべて叶(かな)うこととは思わねど」(岩波書店、22年)という書物によって、関口さんは、毎日がアルツハイマーシリーズというドキュメンタリーを通じて、自分たちの経験を公表しています。
「アルツハイマー病になった母がみた世界」で伝えたかったのは、母は、アルツハイマー型認知症と診断されはしたものの、死ぬまで、「認知症の人」ではなく一人の女性であり、私たち3人の子供の母であったということです。
崩れていく自分の認知機能に不安を覚え、困惑し、嘆き、絶望する母の言葉は、母が最期まで一人の人間であり、生きる主体であり続けたのだということを教えてくれます。日記を書けなくなった最晩年、家族や母にかかわってくれた人たちの、その時、その場の言葉を時系列で紡ぎなおしてみれば、そこには共に困惑し右往左往する姿が鮮明に浮かび上がります。
アルツハイマー病になっても…
この記事は有料記事です。
残り2053文字(全文3685文字)





