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カント哲学に学ぶ “人間関係のグルグル思考”から飛び出す技術

西川敦子・フリーライター
 
 

 ドイツ近代哲学の祖、カント。大器晩成型といわれ、57歳で書きあげた「純粋理性批判」など高齢になって次々に発表した著作は、世に大きな衝撃を与えました。「難しい」「歯が立たない」という印象もありますが、じつはその哲学には私たちが抱える人間関係のストレスを解消するヒントが隠れているといいます。そのヒントとは――。独トリア大学付属カント研究所研究員の秋元康隆さんに聞きました。

いつも人づきあいがストレスになる理由

 ――「哲学の巨人」と呼ばれるカント(イマヌエル・カント:1724~1804年)ですが、どのような人だったのでしょうか。

 ◆カントが生まれたのはケーニヒスベルク(現ロシア領カリーニングラード)といって、東プロイセンの首都だった都市です。国際的な港湾都市でしたが、ベルリンなどと比べるとやはり辺境ではありました。カントは生涯をほぼこの生まれ故郷で過ごしており、他の都市の大学から教授として招かれても応じませんでした。「体が弱いから引っ越しはムリ」というのがその理由です。

 辺境にいたからこそ周りに振り回されず、斬新な発想を生み出せたのかもしれませんが、就職では苦労したようですね。母校、ケーニヒスベルク大学で教授に就任できたのは46歳になってからでした。

 ――けっこう苦労人だったのですね。現代の私たちから見ても大器晩成型といえるのでは。

 ◆そうですね。「純粋理性批判」を発表したのは57歳のときです。人間の認識の限界を探ったこの本は、哲学界に大きな衝撃を与えました。さらに10年間をかけて「実践理性批判」「判断力批判」を書きあげ、79歳で亡くなっています。

 ――難解な印象がありますが、じつはその思想には人間関係のモヤモヤを解決するヒントが潜んでいると聞きました。

 ◆カントの本を読めば、人間関係のトラブルをたちどころに解決できる、というわけではありません。「人間はあらゆる問題について自分で考え、判断を下すべきである」というのがカントの考え方ですから。

 ただ、カントに学ぶことで、ある種の“打たれ強さ”を身につけられると思います。職場、家庭、友人関係、ネット社会――他人に振り回されることの多い時代ですが、カントの哲学は心折れずに生き抜く指針となるのかもしれません。

 ――たとえば、人づきあいでトラブルに直面すると、私たちは「自分は間違っていないのに、なぜこんな目に遭うのか」などと思い悩みます。私なども「常識的に考えてあんな言い方はありえない。それなのにあの人はなぜ……」といったグルグル思考によくハマってしまいます。

 ◆大切なのは思考の「量」ではなく「質」。グルグル思考にハマっているのは、狭い視点にとらわれ、物事を自由に考えられなくなっているからではないでしょうか。第一に、常識にとらわれている時点で、自分の頭で主体的に考えることを放棄してしまっているといえます。

 自らの頭で思考せず、教会の教えや世間の常識に従う態度を、カントは「他律」と呼びました。対極にあるのが「自律」です。世の中のルールにただ従うのでなく、自分で考えて決断を下し、行動することこそ真の自由であると唱えたのです。

 自由というと、「自らの欲望や感情のおもむくまま行動すること」と理解している人もいるかもしれませんが、カントの言う自由は違います。自分の利害や感情にとらわれた状態はじつは、けっして自由な状態とはいえません。

 また、「自律」とは「自らを律する」ことを意味しますが、カントが示す自律は「浪費しない」とか「ダイエットに励む」など、目先の欲望を我慢することではありません。節約して貯金するのも、メタボに気をつけるのも結局、自分のためですよね。あくまで他者や世の中のために考え、行動することを彼は自律と呼びました。

自分を傷つけるのは「度を超えた利己性」

 ――身近な例としては、どんなことが挙げられますか。

 ◆たとえば公衆トイレで便器を汚してしまったとします。あたりに人はいないし、そのまま立ち去っても誰にもバレない……。でも、次に使う人の立場になって考えれば、元通りきれいにしておくべきだということは自明です。褒められたいから、罰せられるからではなく、普遍的視点に立って望ましいと思える行動をとりましょう、とカントは言っているわけです。

 ――鳥になったつもりで、状況を俯瞰(ふかん)してみればいいのかもしれませんね。自宅のトイレだけを磨く己のせこさが見えてきて、「自分がとらわれている世界ってずいぶんちっぽけだな」と気づくかも……。

 ◆カントは「あなたの意志の格律が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当しうるように行為せよ」と述べています。ちょっと難しいですが、…

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フリーライター

にしかわ・あつこ 1967年生まれ。鎌倉市出身。上智大学外国語学部卒業。編集プロダクションなどを経て、2001年から執筆活動。雑誌、ウエブ媒体などで、働き方や人事・組織の問題、経営学などをテーマに取材を続ける。著書に「ワーキングうつ」「みんなでひとり暮らし 大人のためのシェアハウス案内」(ダイヤモンド社)など。