「早期アルツハイマー病(アルツハイマー病による軽度認知障害<MCI>および軽度認知症)の人において、レカネマブは脳内のアミロイドβ(ベータ)量を減少させ、18カ月後の認知・身体機能に関する臨床評価尺度をプラセボ(偽薬)よりも中程度に低下させたが、有害事象も観察された。早期アルツハイマー病におけるレカネマブの有効性と安全性を明らかにするには、より長期の試験が必要である」
2022年11月29日、権威ある国際的な米医学雑誌「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン(NEJM)」に掲載された、新薬「レカネマブ(製品名:レケンビ)」の最終臨床試験(第Ⅲ相治験)に関する論文は、このように締めくくられています(https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa2212948)。
レカネマブは、アルツハイマー病を引き起こす原因と考えられてきたアミロイドβとよばれるたんぱく質を脳内から除去する薬です。アルツハイマー病の発症、進行のメカニズムに直接作用すると言われており、現在、日本で保険収載(公的保険制度の給付対象となること)の準備が進められています。
エーザイの内藤晴夫最高経営責任者(CEO)は23年9月25日、「このたび、我が国においてレケンビがアルツハイマー病の進行を抑制し日常生活機能を維持することを示した治療薬として初めて承認されました」と宣言しました。
岸田文雄首相も同年9月27日、「認知症と向き合う『幸齢社会』実現会議」において、「レカネマブが薬事承認された。画期的新薬であり、認知症の治療は新たな時代を迎えた」と語りました。
製薬会社のCEOや政治家だけではなく、日本を代表する専門医の中にも、レカネマブによりアルツハイマー病治療のパラダイムシフトが起こると述べている人は少なくありません。
しかし、冒頭の論文を素直に読むと、私はこれらの楽観的な見通しに、強い違和感を覚えるのです。
アルツハイマー博士が見た脳のシミの正体
アルツハイマー病という病名は、20世紀初頭にドイツで活躍した神経病理学者で精神科医のアロイス・アルツハイマー博士の名にちなむものです。
アルツハイマーは1901年、夫に対する嫉妬妄想があり、急速な認知機能低下がみられる51歳の女性患者の診察をしました。この患者の死後、脳の組織を観察し、老人斑と呼ばれる脳表の無数のシミ、神経原線維変化と呼ばれる神経細胞内の病変、そして広範な脳細胞の脱落を観察しました。40代~60代前半の患者3人にも同様の病理変化を認め、この4例をまとめて学会に報告しました。
アルツハイマーの上司だったミュンヘン王立精神病院院長のエミール・クレペリンは、10年に出版された自身の精神医学に関する教科書の第8版で、老人斑、神経原線維変化、細胞脱落という共通の神経病理を持ち、初老期に発症し、急激に進行する認知症を、「アルツハイマー病」と名づけました。
ところが、アルツハイマー自身は11年に寄稿した論文で、「私が、特異な症例として取り上げたこれらの例が、(老年期に発症する)老年痴呆(ちほう)と区別できるだけの臨床および組織学的特徴を示しているかどうか、あるいは、老年痴呆に組み込むべきものなのか、等の疑問がおのずと湧いてくる」と書いていました。
アルツハイマーのこの悩みは、そのまま、今日までの精神医学に引き継がれてきました。
私が大学を卒業した80年ごろには、アルツハイマー病は初老期(65歳未満)に発症する認知症で、高齢になって発症する認知症とは別のクライテリア(分類)だと考えられていたのです。しかし、80年代以降、アルツハイマー病の概念が急速に変化します。
アルツハイマー自身が考えていたように、初老期発症の認知症も、老年期発症の認知症も、共通の神経病理学的基盤を持っているということが強調されるようになり、徐々に、両者を一つのクライテリアと考えるようになったのです。
世界保健機関(WHO)が作成する国際疾患分類「ICD」では、80年代に使用されていた第9版(ICD-9)において、アルツハイマー病による認知症と老年認知症が区別されていました。そして、90年に改定された「I…
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