今年も残すところあとわずかとなりました。この一年を振り返ってみると、2023年は特に正視に堪えないニュースが多かったように思われます。
新型コロナウイルス感染症や、ウクライナ情勢がいまだ収束しない中、パレスチナで再び戦禍が巻き起こりました。国内に目を転じると、長年にわたり隠蔽(いんぺい)されてきた年少者や立場の弱い人々、マイノリティーに対する暴力・搾取・誹謗中傷の数々が次から次に明るみに出ました。
虐殺・虐待・虐(いじ)め……今年を代表する漢字は「虐」であったと言っても過言ではないほど、陰惨な出来事で埋め尽くされた年越しを迎えようとしています。もっとも、世界の紛争から某芸能事務所の事件にいたるまで、最近に始まった話ではないのです。
人間は太古の昔から理不尽なまでに暴力をふるい、戦争を繰り返し、愚行を積み重ねてきました。
残虐な行為を形容するものとして、「非人間的な」「野蛮な獣のような」という表現をされたりもしますが、野生動物が空腹を満たすか、身の回りの危険を除去する以外の目的で、必要以上の殺りくを続けることは考えられません。
人間のように、自らの種族を何度も根絶やしにできるほどの兵器を蓄え、その暴発におびえながら暮らす愚かな動物は他にはいません。万物の霊長どころか万物の“愚長”と呼ばれるのがふさわしいのかもしれません。
人間の暴力はこのように「量的」にみて無際限になってきているのですが、「質的」にも常軌を逸したものがあります。
先日、海外で傭兵(ようへい)として働いている男性が、自分が目にした最も残酷な捕虜の処刑について書いた記事をネットで見かけました。確かに残虐極まりないものの、「処刑人の憎しみの深さに恐れおののいた」という男性の感想には私は疑問を持たざるを得ませんでした。
ひとは憎しみを抱くと、その相手にできるだけ大きな恐怖や苦痛を負わせようと企むはずです。「八つ裂きにしても物足りない」というように、短時間で殺してしまっては相手に苦痛も恐怖も与えられなくなってしまうので、かつては凌遅(りょうち)刑といって、絶命するまで何日も時間をかけるむごたらしい死刑の方法がありました。
ところが近代戦の文脈では、「単位時間あたりに標的をどれぐらいせん滅するか」という効率性が追求されるので、凌遅刑のようなやり方は非効率そのものであり排斥されます。ですから、強すぎる憎しみは戦争遂行の邪魔であると言えます。
くだんの「最も残酷な処刑」の記事も、よく読むと捕虜の殺害までにそれほど時間をかけていません。目撃した傭兵を慄然(りつぜん)とさせたのは、私が思うに、処刑人が眉一つ動かさずやってのけたからなのではないでしょうか。
つまり、目の前でやっている残酷さに不釣り合いなほどの憎しみの「軽さ」こそが、我々を恐れおののかせるのだと思います。
そもそも、相手が憎くて、苦痛を与えたいと思うのは、相手も自分と同じように苦痛を感じる存在である、ということが前提になっています。近代戦の兵士育成では、この前提の破壊が最初のステップとなります。
新人の兵士は、いきなり鉄砲を渡されて敵を撃てと言われても、なかなか引き金を引けないものです。そこで、実戦に入る前のブートキャンプ(教育・訓練プログラム)で、何か動くものが見えたら撃つという訓練を繰り返します。それと同時に、自分たちが相対している敵陣営は、いかに凶悪で異質な存在であるかを教育すると、何のちゅうちょもなく引き金を引ける「優秀な」戦闘員が出来上がるのです。
医療者を真っ先に抹殺するようになった近代戦の堕落
ここ数年の戦争ではドローンを始めとするロボット兵器が普及しており、「憎しみ」を含む感情的な要素の排除はより一層進んでいると思われます。
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新潟医療福祉大学 リハビリテーション学部 鍼灸健康学科教授
1976年京都生まれ。京都大学医学部卒。北里大学大学院修了(専攻は東洋医学)。東京女子医大付属膠原病リウマチ痛風センター、JR東京総合病院、NTT東日本関東病院リウマチ膠原病科を経て、2023年4月より、新潟医療福祉大学リハビリテーション学部鍼灸健康学科教授。聖路加国際病院 Immuno-Rheumatology Center 臨床教育アドバイザー 。福島県立医科大学非常勤講師。著書に「未来の漢方」(森まゆみと共著、亜紀書房)、「漢方水先案内 医学の東へ」(医学書院)、「ほの暗い永久から出でて 生と死を巡る対話」(上橋菜穂子との共著、文藝春秋)など。訳書に「閃めく経絡―現代医学のミステリーに鍼灸の“サイエンス"が挑む! 」(D.キーオン著、須田万勢らと共訳)がある。
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