安全性確保のための「身体拘束」は不可避?
最近、地方の私立総合病院で、認知症の理解とケアをテーマに講演しました。
超高齢社会と言われる現在、認知症に対する対応は診療科を問わず、臨床医療全体にとって大きな課題となっているのです。講演後の質疑応答を終えようとしたとき、この病院の副院長から、次のような発言がありました。
「(長期にわたる入院が必要な患者さんのいる)慢性期病棟では、ほとんどの患者さんに(胃や腸などの消化管に穴を開けて、チューブやカテーテルにより直接栄養を注入する)経管栄養や、(体内の中心に近い太い静脈から継続的に栄養を投与する)中心静脈栄養を行っている。先生は、認知症医療において身体拘束はすべきでないとおっしゃるが、この場合、安全管理上、身体拘束はほぼ不可欠である。家族に助けてくれと言われればこうした医療措置は断り切れず、その後に事故があれば責任を問われる私たちは、一体どうすればよいのだろうか?」
多くの総合病院において、入院患者さんに占める高齢者の割合は高く、そのほとんどが多かれ少なかれ認知機能の低下をきたしています。そのため、身体疾患の治療中、安全確保を理由に、身体拘束がほぼデフォルトで行われているのです。
そうなると、急性疾患の治療が終わっても在宅療養に戻れず、療養病棟(慢性期病棟)に移る患者さんも少なくありません。また、副院長の指摘通り、急性期病棟から療養病棟に移る時点で、多くの認知症の患者さんは人工的な栄養補給が必要になっています。
今月のコラムでは、認知症が進行して、咀嚼(そしゃく)や嚥下(えんげ)ができなくなった患者さんに対する経管栄養や中心静脈栄養などの可否に関する問題を取り上げます。認知症と言っても原因疾患によって経過は異なり、嚥下障害の様子も異なります。
ここでは、認知症の中で最も患者数の多いアルツハイマー病の終末期について考えます。
がんとは異なるアルツハイマー病の終末期
「終末期医療」という言葉から何を思い浮かべますか?
2012年、日本老年医学会は、「終末期とは症状が不可逆的かつ進行性で、その時代に可能な限りの治療によっても病状の好転や進行の阻止が期待できなくなり、近い将来の死が不可避となった状態」であるという定義を発表しました。ただ、これでは、なんだかよくわからないかもしれません。
例えば、がんが進行すると、生命予後がかなり正確に見通せるようになります。専門の医師に余命3カ月、と宣告されたら大体そのとおりになります。通常、患者さんは死の直前まで判断力を維持しています。
したがって、自分の最後の時間をどう過ごしたいか、どのような医療を受けたいか、自分の意思で決められますし、家族との相談も可能です。
なお、あまり意識されませんが、自分で決められるということは、いったん、こうと決めた療養方針でも、状況に応じて自分で変更できるということでもあります。
では、アルツハイマー病の場合はどうでしょう。
先に触れたがんの終末期とは異なり、始まる時期がはっきりしないし、その後の経過もさまざまです。また、多くの患者さんは判断能力を失っています。
アルツハイマー病は脳の神経細胞が徐々に脱落していく病気です。
最初は記銘力低下(短期記憶障害)などの認知機能の低下が起こりますが、やがて、衣食住にまつわる生活動作ができなくなり、並行して運動機能が衰えます。まず、指などの繊細な動きから始まり、徐々に、歩く、走る、立つ、座るといった大きな筋肉を動かす運動が拙劣になります。
最後に、水や食物を飲む、吐く、のどのたんを吐き出すなど、生命維持に必要な(したがって無意識にいつも動いている)筋肉の運動が衰えてきます。
こうなると、栄養が十分取れなくなり、風邪などの軽微な感染症がなかなか治らなくなります。アルツハイマー病の終末期は、この生命の維持に必要な無意識の体の動きが障害される時期だと言っていいと思います。
しかし、このように定義するとしても、ある日突然、食べ物が食べられなくなるわけではなく、月単位、場合によっては年の単位で徐々に嚥下機能が低下していくので、振り返って、あのころから肺炎が増えたということは言えても、将来を見据えて、「ある時点でこれから終末期に入ります」という判断は困難です。
また、無意識の体の動きが障害されるようになっても、生命予後を月単位で予測することはできません。介護の方法によっては1年、2年、何もしなければ数週間かもしれません。しかも、この時期になると患者さん自身の意思で医療措置の可否を決めるということができない場合がほとんどです。
終末期における人工的な栄養補給をどう考えるか
アルツハイマー病の終末期には、…
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