私が「漢方を勉強してみよう!」と思ったきっかけを作ってくださった、とある大学教授は、とても巧みな話術で聞き手の興味をひきつける人です。あとでそのお弟子さんから、「先生は落語が好きで、自動車の運転中も落語のテープを流しっぱなしにして聞いている」とお聞きし、ああなるほど!と納得しました。
江戸時代の中ごろに成立した落語と日本漢方は、似通っている点がいくつもあります。先人が創り出した「噺(はなし)」や「処方」を大事に受け継ぎ、工夫を積み重ねてきたことや、「流派」が存在し、ある種の徒弟制度で後進を育ててきたことなども、共通した特徴だと思います。
その半面、進歩がなく閉鎖的であるように思われがちですが、「古典」の素晴らしいところは、それをひもとくたびに新しい発見があるところです。何度も同じ噺を聞いたり、同じ文章を読んだりしているはずなのですが、それまで何とも思わなかったところに新たな気付きを得ることがしばしばあるのです。
先日見た落語会では、三遊亭志う歌さんという若手の落語家が前座で「厩(うまや)火事」という演目を、後半で入船亭扇遊さんが「藁(わら)人形」をおやりになっていました。
「厩火事」は犬も食わないと言われる夫婦の痴話げんかを、長屋の大家さんが仲裁するというストーリーです。家庭の不和というものは、意外と心身の健康状態を揺るがすもので、「長屋の大家さん」の役割が失われた現代においては、時に、医療者が“専門外”の相談に乗らざるをえないこともあります。
時に「大家さん」の立場に立たされる私にとって、「完全な夫婦の一致」が良いとは限らないこと、「最悪の結論」が避けられれば御の字とすべきことなど、大切な教訓を思い出させてくれるお噺です。
志う歌さんは、「え~、男と女は本当に同じ生き物なのかと思うぐらい違っておりまして……」という短い導入ですっと本題に入りました。私はこの始め方がとても素晴らしいと思いました。
しっかり者の髪結いと遊び癖のある甲斐性(かいしょう)なしの亭主のけんかは、大家さんの一計のおかげで、夫婦別れということにはなりませんでしたが、「この二人はこの先もけんかを繰り返すのだろう」と予感させるオチになっています。
「男と女は~」という切り出しはオチときっちり呼応していて、この噺が同じ屋根の下で長く暮らしているのに、分かり合えるようですれちがう、なかなか複雑な夫婦関係の機微を描く物語であることを予告しています。そして、現代のドラマにありがちな、安易な夫婦愛や和解のストーリーに丸めてしまうのを、はっきり拒否しているように見えます。それが噺に緊張感を与え、面白くしています。
それにしても、私よりはるかに若いと思われる落語家さんの真摯(しんし)さがとても印象に残りました。「ひ」と「し」が逆になる江戸の言葉をゆるがせにせず、江戸時代から伝わる落語を忠実になぞろうというひたむきな姿勢に、「古典」というものへのリスペクトを強く感じました。
よく「古典」が、現代を先取りしたものとして称賛されることがありますが、「古典」の価値はそういうところにだけあるものではないと思います。
現代の支配的な考え方とは異なる基盤を持ち、現代に失われたもの、現代が欠いてしまっているものを提示したり、現代を相対化して批判する手がかりを与えたりしてくれるのが、「古典」の本領でしょう。
そうしたものを引き出すには、現代の我々に「真摯さ」が求められます。「古典」を、古ぼけたもの、時代遅れとバカにしていては、決して真価に触れることができないのです。
「古典」を守る若手、羽ばたかせるベテラン
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新潟医療福祉大学 リハビリテーション学部 鍼灸健康学科教授
1976年京都生まれ。京都大学医学部卒。北里大学大学院修了(専攻は東洋医学)。東京女子医大付属膠原病リウマチ痛風センター、JR東京総合病院、NTT東日本関東病院リウマチ膠原病科を経て、2023年4月より、新潟医療福祉大学リハビリテーション学部鍼灸健康学科教授。聖路加国際病院 Immuno-Rheumatology Center 臨床教育アドバイザー 。福島県立医科大学非常勤講師。著書に「未来の漢方」(森まゆみと共著、亜紀書房)、「漢方水先案内 医学の東へ」(医学書院)、「ほの暗い永久から出でて 生と死を巡る対話」(上橋菜穂子との共著、文藝春秋)など。訳書に「閃めく経絡―現代医学のミステリーに鍼灸の“サイエンス"が挑む! 」(D.キーオン著、須田万勢らと共訳)がある。
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