漢方ことはじめ フォロー

医学はどこからやってきたのか、どこへいくのか

津田篤太郎・新潟医療福祉大学 リハビリテーション学部 鍼灸健康学科教授
 
 

 私が10代のころ、法律や経済に関わる職業よりも自然科学の研究分野に引かれていた時期がありました。

 なぜなら、前者は人間が作った概念やルールの上に成り立つものであるのに対し、後者は「神様」や「造物主」といった、何か超越的なものが設計し支配している領域に属する、と考えたからです。なんとなく、いわゆる文系の守備範囲よりも、理系のそれのほうがずっとスケールが大きいもののように感じていたわけです。

 結局のところ、私は自然科学の一分野である医学を学び、20年ほどのキャリアを積むことができました。その間に医学に対するとらえ方が変わってきて、医学もまた、法律や経済に関する学問と同様、人間によって動かされてきた営みであると思うようになりました。

 医療は基本的に人と人の間で行われる行為ですから、人間から遊離したものになりえないのは当たり前なのですが、そういう臨床的次元にとどまらず、「学問としての医学」も実は、社会や政治、経済といったものに強く影響されてきたと、最近になってようやく気付き始めました。

感染症学から始まった近代医学

 まもなくお札のデザインが一新され、1000円札は野口英世から北里柴三郎に変わります。北里柴三郎は明治時代にドイツに留学し、ロベルト・コッホに師事して当時最先端の細菌学を学び、後年ノーベル賞の候補にもなった人です。私は彼が、19世紀の後半に日本とドイツが微生物に関する学問をエンジンとして強力に近代医学を推進したところに「時代の精神」を感じるのです。

 かつて、人々の身体やいのちは神様の作った世界や、あるいは陰陽五行説にのっとる大自然とのつながりの中で暮らす細やかな存在でしたが、日本やドイツが国内の混乱を収めて、一つの政府の下に国民国家としての体裁を急速に整備し、諸外国に伍(ご)していく近代という時代を迎えると、人々の間には明確な輪郭/国境線を持った組織に帰属する意識が高まっていきました。

 ちょうど同じころ、生命の最小単位が脂肪の膜で明確に境された「細胞」であるという認識が定着し、細胞の集まりが秩序だって組織されて私たちの身体が組みあがっていることが明らかにされます。

 近代化の波はそれまでの身体観や健康観に変更を迫り、昔ながらの神様や大自然とつながる人体から、外界とは一線を画し、独立して活動する統率の取れた有機体――まるで国民国家のような組織体――として自分のからだをイメージすることが一般に広まったのではないでしょうか。そこで、どのように健康を保ち病気に対処するかを考えた場合、「富国強兵」政策と対外戦争の積み重ねで成り立った近代国家をまねるかのように、「外敵」を遠ざけたり退治したりして健康を勝ち取る「衛生」という思想が支配的となってゆくのは当然の流れでしょう。

 コッホや北里たちの提示した「外から侵入する微生物が病気を起こす」「微生物から体を守ることで健康が保たれる」という感染症学の考え方は、大きく変化しつつあった当時の人々の身体観や健康観にとてもマッチしたものであったはずです。顕微鏡が医学者を象徴するアイテムなのは、感染症学が近代医学の扉を押し開いたからなのかもしれませんね。

 我々の安穏な生活を脅かすものは、常に外からやってくる。医学の課題はその「外敵」を討ち果たすことだ、というパラダイムは、ちょうど「鉄と血だけが問題を解決する」と訴えたドイツの“鉄血宰相”ビスマルクの演説に重なります。

 しかし、その後の歴史が証明したように、国家の問題は「鉄と血」だけで片付くものではありませんでした。いくら軍事力を強くしても、国民の中に現体制を打ち崩そうとする勢力が強まると、第一次世界大戦末期のドイツやロシアのように内部からの崩壊を招きます。

 一方、医学も感染症の次の課題として「内部の敵」にも関心を向けることになります。

 その最大のものは、「悪性腫瘍」つまり“がん”です。第二次大戦以降、ようやく効き目のすぐれた抗生剤が数多く開発され、さまざまな公衆衛生政策が効果を上げた結果、目立って感染症が減り、それと入れ替わるようにして増加したのが“がん”であり、現…

この記事は有料記事です。

残り1652文字(全文3350文字)

新潟医療福祉大学 リハビリテーション学部 鍼灸健康学科教授

1976年京都生まれ。京都大学医学部卒。北里大学大学院修了(専攻は東洋医学)。東京女子医大付属膠原病リウマチ痛風センター、JR東京総合病院、NTT東日本関東病院リウマチ膠原病科を経て、2023年4月より、新潟医療福祉大学リハビリテーション学部鍼灸健康学科教授。聖路加国際病院 Immuno-Rheumatology Center 臨床教育アドバイザー 。福島県立医科大学非常勤講師。著書に「未来の漢方」(森まゆみと共著、亜紀書房)、「漢方水先案内 医学の東へ」(医学書院)、「ほの暗い永久から出でて 生と死を巡る対話」(上橋菜穂子との共著、文藝春秋)など。訳書に「閃めく経絡―現代医学のミステリーに鍼灸の“サイエンス"が挑む! 」(D.キーオン著、須田万勢らと共訳)がある。