連日の猛暑で大勢の人がリスクを抱えている熱中症はときに「死に至る病」となります。熱中症の死亡者は世界的に増加し続けており、欧州のメディアによると、世界の10万人あたりの死亡者数が2003~12年と13~22年の期間で30.8%も増えています。そのような状況もあり、日本の天気番組では数年前からしきりに「水分補給は喉が渇く前に」と注意が促されています。また「早めの塩分補給を」と言われることもあります。しかし、私自身は自分の患者さんにこのような助言を一律にすることはありません。テレビの忠告を信じて大変な事態になった患者さんを診察した経験もあります。今回は、熱中症対策のあるべき水分・塩分補給について私見を交えて述べたいと思います。
水分補給のために嘔吐(おうと)した女性
まずは私が勤務医の頃に診た事例を紹介しましょう。病気らしい病気は特にない70代の女性です。ある夏の日、めまいと吐き気を自覚しました。喉は渇いていなかったものの、これらの症状は熱中症によるものに違いないと考え、水とお茶を繰り返し飲みました。めまいが出現する前からたくさんの尿が出ていましたが、必要な水分が尿に出てしまったと考えてさらに水分摂取に励みました。すると吐き気だけでなく嘔吐が止まらなくなり、同居する娘が母の様子がおかしいことに気づき慌てて病院に連れてきました。診断は「水中毒」。水分の取りすぎで起こる病気です。水分を補おうと大量の水だけを飲むことによって、血液中の塩分濃度(ナトリウム)が急激に低下し、「低ナトリウム血症」の状態になっていたのです。数日間入院することになりました。
こういう事例、数年前から増えているような印象があり、死亡した事例の報告もあります。また、重症化はしていなくても、嘔吐して初めて水分の取りすぎに気付いた若い患者さんもいます。
「塩分摂取」にも注意が必要
次に塩分過多の事例を紹介しましょう。50代の男性です。テレビ番組で「熱中症対策には水分だけでなく塩分が必要」との情報を知ったため、積極的に塩分を取るよう心がけていたと言います。自宅では塩そのものをなめるようにし、職場には塩昆布を持参していたそうです。ある日の診察で、私が血圧を測るといつもよりも大幅に高くなっています。そして、問診して初めて塩分を多量に取っていたことが分かりました。この男性の仕事はオフィスワークで、特に運動もしていません(するように助言しているのですが実行に移せていません)。そんな人が塩分を多く取ると、このように簡単に血圧が上がります。たしかに熱中症対策に日ごろよりも塩分を多めに取るべき人もいますが、それは炎天下で作業をしている人や激しいスポーツをする人の場合であって、夏でもさほど汗をかかない人が塩分を取りすぎるのは危険です。
また、塩分摂取はタイミングが難しく、それを示した研究もあります。最近医学誌「PLOS ONE」に掲載された日本の消防士を対象とした研究です。消防士が多量に発汗することは容易に推測できますから、一般の人に比べて夏は積極的に塩分を摂取すべきです。この研究が示したタイミングについての結果は非常に興味深いものです。訓練前に塩分を摂取したとき、または訓練前及び訓練中に摂取したときに熱中症が発生しやすくなったのです。他方、訓練中のみの塩分摂取ではそのような傾向はありませんでした。なぜこのような差が出たのか、その理由は分かりませんが、塩分摂取のタイミングと摂取量の選択が簡単でないことがよく分かります。この研究だけでは断定できませんが「発汗前の塩分摂取」は避けた方がよさそうです。
ただし、水分摂取が不十分で熱中症が悪化してから受診する人もいますし、暑さのせいで必要な塩分が失われ速やかな塩分補給が必要な場合もあります。ではどのようにして水分及び塩分摂取の基準を決めればいいのでしょうか。答えは「その人によって異なりますからかかりつけ医に相談してください」という身も蓋(ふた)もないものになってしまうのですが、個別の対策が必要になると考えなければなりません。ここではタイプごとの大まかなコツを紹介したいと思います。
若くて健康ならば「野性的感覚」を信じて
若くて健康で何も薬を飲んでいない人は特別な対策は不要で、「喉が渇いたら水分を取る。そのときに飲みたいものを飲む」でOKです。よく「何を飲めばいいですか?」と聞かれますが、健康な人は自分の喉の渇きのいわば「野性的感覚」を信じて飲みたいものを飲めばいいのです。実際、水分だけが足りていないときは水やお茶を飲むとすごくおいしく感じ、大量に汗をかいて塩分が失われたときには砂糖や電解質が豊富に入ったスポーツドリンクが欲しくなります。ときにはフルーツジュースが恋しくなることもあるでしょう。もしかするとコーラや甘いコーヒーなど体に悪いとされているものが欲しくなるかもしれません。こういったものも若くて健康であれば常識的な範囲にとどめているかぎり過剰に心配する必要はありません。少し補足しておくと、コーヒーや紅茶などのカフェイン入り飲料、炭酸飲料などの糖分の多い飲料、アルコール飲料は、特に気温の高い屋外で飲むと脱水症状を引き起こしやすいことは覚えておくと役に立つかもしれません。
それでも水分摂取量が適切か否かに自信がないという人は「尿の色」を確認してみてください。いつもと変わらない尿の色、つまり透明にうっすらと色がついたくらいであれば、それは適度な水分が取れていることを意味します。ただし、薬を飲んでいる場合はその薬のせいで色が変わっている可能性がありますので水分摂取の指標にはなりません。市販の薬でも、例えば一部の便秘薬は尿の色が変化します。薬以外でも、例えばビタミンB2を飲んでいると尿が黄色くなります。
持病がある場合は主治医と相談を
では持病がある人はどうすればいいでしょうか。この場合は自分で判断せずに、適切な水分・塩分の取り方についてかかりつけ医に相談すべきです。一般論でいえば、糖尿病や高中性脂肪血症がある人は糖分摂取には慎重にならねばなりません。コーラや砂糖入りコーヒーは極力控えた方がいいでしょう。フルーツジュースはよほど糖尿病などが悪化していなければ1日1~2本はOKですが、やはり先に主治医と相談した方がいいでしょう。ただし、一般に糖尿病があれば尿量は増えますから水分摂取には励まねばなりません。
血圧が高い場合は塩分摂取に慎重にならねばなりません。そもそも日本人は世界的にみて塩分を取りすぎているわけですから、血圧が高い人が積極的に塩分を取らねばならない事態はそうそう起こりません。しかし、現場で作業をしている人やスポーツをしている人は主治医から真夏の塩分摂取について学んでおく必要があります。また、高血圧の薬の種類によっては積極的な水分摂取を心がけなければなりません。ACE阻害薬あるいはARBと呼ばれるアンジオテンシンⅡ受容体拮抗(きっこう)薬は「水を飲みたい」という欲求を抑えるために脱水症状を起こしやすくなります。βブロッカーと呼ばれる降圧薬は発汗に影響を与え、カルシウム拮抗薬は電解質のバランスに影響を与えることがあります。高血圧があれば熱中症の予防には特に注意が必要なのです。
注意が必要な薬は他にも多数
高血圧以外にも注意が必要な薬は多数あります。種類によっては尿が出やすくなっていたり、その反対に出にくくなっていたりする場合もあります。こういう場合は水分摂取の「野性的感覚」が鈍ります。例を挙げましょう。
尿を出しやすくする薬の代表が利尿薬です。利尿薬で尿がたくさん排出されると脱水が起こり、さらに電解質のバランスが崩れます。こうなると塩分摂取のタイミングの見極めも難しくなります。もちろん利尿薬の種類と量によってこういった現象は変わりますから、利尿薬を飲んでいる人は適切な水分・塩分摂取についてあらかじめ主治医から学んでおく必要があります。
精神の薬にも注意が必要です。ハロペリドール、オランザピン、リスペリドンといった向精神薬は発汗に影響を与えることから熱中症対策が難しくなり、水分摂取の適切なタイミングを見誤ることがあります。一部の抗うつ薬は発汗を促し、さらに喉の渇きを抑える可能性があります。
甲状腺ホルモン補充薬は体温を上昇させ、体温調節を妨げ、過度の発汗を引き起こすおそれがあります。また、一部の抗ヒスタミン薬、さらには市販されている抗ヒスタミン薬の中にも発汗抑制作用があるものもあります。抗ヒスタミン薬には比較的安全なものも多いですから、わざわざ発汗抑制作用のあるタイプを選ぶ必要はありません。かかりつけ医を持っていない人は薬局で薬剤師に相談するといいでしょう。
高齢者の場合は健康で持病がなかったとしても要注意です。実際、明らかに水分が足りていないのにさほど喉が渇かない人もいます。熱中症による発熱にも気づいていない場合がありますし、熱中症が進行しているのにさほど熱が上がらない場合もあります。先述した「尿の色のチェック」は有用ですが、それだけを過信せず、倦怠(けんたい)感や頭痛、めまいなどを感じたときには軽度であっても熱中症を疑うべきです。
日ごろ医療機関を受診する機会がないという人は、年に1度のインフルエンザワクチン接種や健診の結果を見せに行くかかりつけ医を持っておくことを勧めます。そして、そのかかりつけ医に熱中症対策の相談をすればいいのです。医療機関で尿の比重を調べればそのときの水分摂取が十分か否かがすぐに分かります。
熱中症はときに死に至る病となり、持病や内服薬のせいで適切な水分・塩分摂取のタイミングを見失う可能性があります。しかし、あらかじめ知識を整理しておけば、完全に防ぐことができる疾患でもあります。熱中症にとっての最大の“武器”もまた「知識」なのです。
写真はゲッティ
谷口医院院長
たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。谷口医院ウェブサイト 月額110円メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。





