「脳からの命令に縛られる」 作家・東田直樹さんと考える自閉症の不思議
自閉症の中には、言葉を理解しているのに話し言葉が出てこないタイプの人たちがいます。検査で知的な遅れがあるとされてしまい、豊かな知性を発揮することもかなわないとしたら……。精神科の「町医者」、山登敬之さんが作家の東田直樹さんとの交流を通して考えます。
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4月2日は国連の定める「世界自閉症啓発デー」でした。それに先立ち、というつもりもなかったのですが、3月半ば、私の勤める明治大学で「自閉症と発達障害のこれから~診断なき支援に向けて」と題するイベントを開催しました。
主催は関東子ども精神保健学会という会員数50人ちょっとの小さな学会で、会場はひとつ、講演と対話の時間からなるシンプルなプログラムでした。それでもゲストはビッグネーム!
ひとりは、世界的ベストセラー「自閉症の僕が跳びはねる理由」の著者である東田直樹さん。もうひとりは、私が「精神医療界の良寛和尚」と呼んで敬愛してやまぬ精神科医の青木省三先生です。
お二人は、それぞれ「自閉症の僕の心をはぐくんだもの」、「ぼくらの中の発達障害」というタイトルで講演されました。私のお役目は、プロデューサー兼MCというところでしたが、イベントの趣旨を説明するつもりで、ちょっとお話もさせてもらいました。
今月と来月の2回にわたり、あの日に私が見たものと考えたことをリポートしたいと思います。
行く手を阻んだ6台のエレベーター
東田さんに会うのは6年数カ月ぶりでした。東田さんと私は、雑誌「ビッグイシュー日本版」の誌上で往復書簡を交わしたのがご縁で、これまで3回ほど一緒に講演会で登壇しています。往復書簡が一冊の本にまとまり、さらに文庫化された折にも対談しましたが、今回はそのとき以来の再会でした。
講演だけなら指定された日に出て行って話して帰ればいいのですが、自分でプロデュースするとなると裏方の仕事もあるので大変です。でも、舞台裏で東田さんご一家や青木先生と過ごした時間は、とても楽しく有意義なものでした。これぞ役得というものですね。
東田さんは、千葉県の自宅から東京・神田駿河台にある明治大学まで、お父さんの運転する車に乗ってやって来ました。お母さんの美紀さんから到着したと電話をいただいたのは、午前10時半を回った頃。開場するまでに、まだ3時間ほどありました。
エレベーターホールまでお迎えに行くと、直樹さんは6台のエレベーターの扉が開いたり閉まったりする様子を忙しそうに見て回っていました。東田くん、ひさしぶり!と声をかけても返事はありません。「こんなにたくさんエレベーターがあるところ、めったに来ないものですから」と美紀さんが笑っています。
こういう事態を想定して、ご家族は早くお宅を出られたのでしょう。直樹さんは、初めての場所ではエレベーターや男子トイレをチェックして回り、ほかにも目にとまったものに注意を奪われることがあるため、移動にはじゅうぶんな時間を見込んでおく必要があるのです。
イベント会場は学内の別の建物にあります。控室まで最短のコースを選びましたが、ここにも3台のエレベーターがあります。直樹さんが乗れるタイミングを待ってから9階まで上がりました。
控室代わりの教室があるフロアは、土曜日なので人けのない貸し切り状態。直樹さんは、教室内を一周してから、美紀さんを連れてフロアの探索に出かけました。お父さんは、直樹さんが講演で使うノートパソコンを2台抱え会場へ向かいます。講演会では予備の1台を必ず用意するとのことでした。
正午ちかく、青木先生が到着されてから、みんな一緒に用意された弁当を食べました。直樹さんが、正面に座る私たちの方を見て「いただきます!」と繰り返すので、私と青木先生も彼に従い、いただきますを何度も言ってから箸を持ちました。
言いたい言葉を声に出せる 東田流文字盤ポインティング発語術
青木省三先生には、わざわざ岡山市から出てきていただきました。先生は、長年にわたり倉敷市にある川崎医科大学で精神科学教室の教授を務められ、定年退職された後も地元の精神科病院で診療を続けておられます。
青木先生にはご著書も多く、その文体には柔らかなお人柄と丁寧な臨床の姿勢が表れています。「僕のこころを病名で呼ばないで」「時代が締め出すこころ」「ぼくらの中の発達障害」など、本のタイトルを見るだけで、病気や障害を患者さん個人の中に閉じ込めない、社会や時代の変化の中で捉える、そして患者と医者の間に線を引かず苦しみにともに向き合うといった先生の思想が読み取れます。
そんな青木先生に東田直樹さんをお引き合わせしたい。先生がどんなふうに東田さんに語りかけ対話するのかを、特等席から見てみたいというのが、私のひそかな願いでした。
さて、青木先生は弁当を食べながら美紀さんとお話をしています。直樹さんは、食べるときには、食べることだけに集中しています。美紀さんは、直樹さんの「文字盤ポインティング」によるコミュニケーションが生まれた経緯などを青木先生に説明していました。
直樹さんの文字盤はお手製です。A5判ぐらいの大きさの画用紙に、パソコンのキーボードと同じ配列のアルファベットが並んでいます。直樹さんは言葉を話そうとすると頭が真っ白になってしまうそうですが、文字盤に並んだ字を指さしながらだと言いたい言葉を声にして出すことができるといいます。
これは私たちがど忘れしたときの感覚に近いのではないかと、美紀さんは言います。たとえば、テレビに出てくるタレントの名前が出てこない、顔は浮かぶのに!といった経験は誰にでもあると思いますが、そのときに頭の中で50音のア行から順に頭文字をたどっていって…や、や、わかった!柳沢慎吾!なんていうあの感じですね。
もし、これを一言一言あらゆる単語でやるとしたら、めちゃくちゃ大変ですが、直樹さんは日々の鍛錬によってそれを可能にしたということでしょう。その努力は敬意と称賛に値します。もちろん、それを支えたご両親の力も同様ですね。
「小さな直樹くん」たちのやるせなさ
前述したように、私は東田さんとは何度かお会いして同じ舞台にも上がりましたが、今回のイベントで裏方をやってみてあらためて気づいたことがあります。それは「脳のこだわり」に縛られる身体の不自由さです。
自閉症は、社会的コミュニケーションの障害と常同性・同一性への固執が2大特徴とされています。世の中では前者ばかりが強調されるきらいがあり、東田さんの場合も、その障害を乗り越えて作家として身を立てたところに人々の関心が集まったわけですが、実は後者の方も自閉症を持つ人には大きな悩みの種なのです。
「常同性・同一性への固執」というのは、簡単にいうと、同じ状態や特別な事物にこだわるということです。ここから小さな変化にも強い不安を感じたり、こだわりに基づいて同じ行動を反復したりといったことが起きてくる。新しい場所に慣れるのにも次の行動に移るのにも、とても時間がかかる。
そういえば、東田さんは往復書簡の中で、今でこそ付き添いがあればどこにでも行けるが、小さい頃は自分の知らない場所へ行くのが嫌でたまらなかったと書いていました。「自分が知っている風景の中にいれば安心」であり、知らない場所に足を踏み入れると「自分が自分でなくなるという感覚」がしたそうです。
そんな幼児期を振り返って、東田さんはこう分析しています。「みんなに比べ、視覚や聴覚から脳に伝わる情報が強すぎて、僕の中で刺激の整理ができなかったのが原因ではないかと思っています」
一方、こだわりについては「脳からの命令」と表現しています。「こだわるのは、それから逃げられないということで、自分ではコントロールが難しい状態です」「もし逆らえば、僕の脳は大混乱を起こしパニックになるでしょう」
自分の意思と関わりなく、脳の命令に従って身体が勝手に動いてしまう、あるいは動かなくなる。なんと不自由なことでしょう。それなのに、周囲から奇異な目で見られたり、重い知能障害があるとみなされたりする。そのときの悔しさ、やるせなさはいかばかりのものか。
エレベーターホールの東田さんの姿に、私は彼の中に宿る小さな直樹くんを見た気がしました。そして、診察室で出会う子どもたちのことを思いました。かんしゃくを起こす子、泣き叫ぶ子、黙り込む子、そうやって大人たちを困らせる子どもたちの中にも「小さな直樹くん」がきっといるはずです。
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やまと・ひろゆき 1957年生まれ。精神科医。専門は児童青年期の精神保健。著書に「子どものミカタ」(日本評論社)、「母が認知症になってから考えたこと」(講談社)、「芝居半分、病気半分」(紀伊國屋書店)など。