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リンは手を開いてみる。そこには何の変哲もない消しゴムが握られていた。少し変わったところがあるとすれば、何か不思議な紋様が描かれていることぐらいだ。
(リンちゃん)
どこからか声が聞こえた。まるで頭の中に直接語りかけられるような感覚だ。そして、それが誰の声であるかも、これから何をするべきなのかも一瞬で理解した。自分が今持てる精いっぱいの思いを込めてその消しゴムをメグがいるあたりに思いっきり投げた。
ちょうどメグの頭上辺りに来た時にこの空間全体を照らすほどの眩しい光があふれ出した。あまりの眩しさに誰もが皆しばらく目を開けることができなかった。それは、この場にいないエルも同様なのか、エルの憤った声だけがこの場に響いていた。
『何なんです、これは!誰ですか!!ワタシの邪魔をするのは!!!ッッ!!クソっ!!よりによってこんな時にーーー』
プツンと電気が切れたようにエルの声も急に聞こえなくなる。
光が引き、ゆっくりと目を開けてみてリンは愕然とした。そこには無数の人々が倒れこんでいた。普通に考えれば、先ほどのモンスターと言われていた人たちなのだろうが、その様子が一変していたのだ。それまで、まるでゾンビだったような人たちが、普通の人間に戻っているように見えた。よく観察してみると胸が上下に動いていることから、ただ気を失っているだけのようだ。
「リンくん・・・」
すぐ横で、カノンは戸惑ったようにリンを見上げていた。リンも正確なところはわかっていないが、それでもカノンよりは予測をつけることはできた。光が引いていく間際に再びリンの頭の中に声が響いた。
(ごめんね)
その一言だけでやはり何倍もの情報が一瞬に頭の中に流れ込んでくる。
「コウ・・・」
この状況を好転させたのは、間違いなくコウの力だ。それと、自分の特殊な能力が相乗効果を発揮したというところだろう。今大事なのは、この自分たちに有利な状況がなぜ起こったのかということをエルに知られてはいけないということだ。幸い、なぜかエルはあれ以来こちらに干渉してきていない。
それだけを一瞬で理解し、リンはすぐにメグの元へと駆け寄った。メグだけは、運を抜き取られた状態のままで一刻の猶予もないように見えたからだ。
「メグ!」
リンは、メグをそっと抱き起してその首筋に突き立てられている装置を抜き取る。その後の工程もリンは理解していた。その装置を今度は自分の掌へと突き刺す。すると、リンの中へとメグの『運』が流れ込んでくるのが分かった。メグが吸い取られたすべての運を自分の中へと流し込むと、今度は自分の手に意識を集中させてそこにメグの『運』だけを集める。その手をメグの痛々しく傷つけらえた首筋へと添えた。すると、腕の中で消えそうな存在だったメグが元へと戻りだす。
リンは、今回のことで自分の能力を理解した。どうやら、自分は人から奪われた『運』を持ち主に戻すことができるらしい。前に、小学校でショウの友人が倒れた時も無意識で同じようなことをしていたのを思い出した。
「リ、ンさ、ま・・・」
メグが、ゆっくりと目を開けてぼんやりとした眼差しのままリンを見上げる。
「メグ・・・すみませんでした。あなたを守ると言ったのに・・・」
リンは、メグの小さな体を抱きしめる。その時になって、自分が震えていることに気がついた。一歩間違えればメグを失っていたかもしれない。それがどうしようもなく恐ろしいことだと悟った。
「リン様。リン様はメグのことを守ってくれましたわ。だから、今メグはリン様の腕の中にいられるんですもの」
「守ってなど・・・」
リンは、メグの首筋の傷をそっとなでる。
「っ!!」
「すみません!痛かったですか?」
「だ、大丈夫ですわ。痛くはないのです。ただ、そのちょっとくすぐったくって」
頬を染めるメグを見て、リンもつられて顔を赤らめる。
「その、すみません。不躾に触ってしまって。でも、傷が残らなければいいのですが・・・」
「それはお互い様ですわ」
そう言って、メグはリンの掌を包み込む。
「リンくん、メグさん」
おずおずとカノンが二人に声をかけてきた。リンとメグは、目を見合わせて今がどういう状況か思い出した。
「すみません。カノン。あなたを一番に守らなければいけなかったのに」
カノンは、首を横にブンブンと振る。
「ちゃんとリンくんはわたしのことも守ってくれていたよ。誰よりも、メグさんの元へ駆けつけたかっただろうに、わたしの側にいてくれた。ありがとう。それよりも、今ならここから出られるかな?って思って・・・」
リンは、やっと周りを見渡すだけの余裕が生まれた。そして、現状を把握する。どうやら、今は元の教室に戻っているようだった。不思議なことに、あれだけいた人たちもいつの間にか消えている。そして、何より不気味なのがエルがその後何の反応も示さないことだ。
「とにかく、外に出られるか試してみましょう」
リンは、その言葉と共に行動に移す。入り口のドアに手をかけるがやはりびくともしない。
「ダメですね。あの人が言っていたように中から開けることはできないのかもしれません」
「そんな・・・」
メグは明らかに落ち込んだように肩を落とし、疲れ切ったようにすぐそばの席に座った。
「メグさん。大丈夫ですよ。さっきの人がここを離れたのは誰かがここに来たってことだから・・・」
「それは、おそらくリュウでしょうね。だから、そういう意味ではこの部屋から出られるのも時間の問題でしょう。それよりもーーー」
リンは、沈黙しているエルのことが気になって仕方がなかった。どこにいるかもわからないが、何となくスピーカーを見てしまう。今にもまた何かしらのリアクションが返ってくるのではないかと身構えてしまう。しかし、そんなリンの思考を打ち破るように慌ただしい足音がこちらに近づいてくることに気づいた。
三人は、息をひそめるように目くばせをしあいゆっくりとお互いの距離を縮めた。
足音がリンたちのいる教室の側で止まった。走ってきた人物の荒い息遣いが聞こえる。どうやら、それは先ほどの男性ではなく、感じられる雰囲気としては女性のようだった。
コンコンコン。
外から教室のドアを叩く音がする。次いで、切れ切れの声が聞こえる。
「ハア、ハア、ハア・・・。リン、君・・・。ここに、いる?」
外から聞こえてきたのは、リンの知っている人物のようだった。
「アリスさん?」
「ハアー。良かった。リン君、助けて!」
リンは、混乱していた。なぜアリスがここにいて、そしてなぜ自分に助けを求めているのか。おそらく、アリスが一人でここに来たとは考えられない。そうなると、どうしても一緒に来た人物のことを考えてしまう。リンには、それはリュウしか考えられない。ということは、リュウが何かしらの危機に陥っているということだ。それだけわかれば十分だった。
「アリスさん!僕たちはこの部屋の中からはドアを開けることができません。そちら側に何か仕掛けのようなものはありませんか!?」
「えっ!?ちょ、ちょっと待って!探してみる!!」
アリスが外で動き回っているのがわかる。アリスが何かを見つけてくれることを辛抱強く待つ。おそらく、それほど時間はかかっていなかったのだろうが、その瞬間が来るのがリンにはとてつもなく長く感じた。
「あっ!これかも・・・」
その言葉が終わるや否や教室の中の空気が一瞬で変わった。それと同時にリンはドアに手をかけてそれを解き放つ。ドアのすぐ前にアリスがいた。
「アリスさん!リュウはどこですか!?」
「あっ、えっと、屋上ーーー」
その言葉を聞き終わるか終わらないかわからないタイミングで、すでにリンは走り出していた。リンにとって、リュウが窮地に陥ることなど決してないことだった。だけど、嫌な予感がぬぐえない。今までかいたことがないほどの冷や汗が背中を伝い落ちていく。あまりにも急きすぎて足が絡まり何度も転びそうになる。それでも、ただ少しでも早くリュウの元へと駆けつけたかった。それだけを考えて屋上へと向かった。




