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悪役令嬢

聖女の代筆師は、最後の一行だけを書き換える

作者: くるみ
掲載日:2026/05/06

王都には、奇妙な仕事がある。

聖女の奇跡を、紙に残す仕事だ。

治した病、払った瘴気、救った村、祝福した婚姻。

それらはすべて羊皮紙に記され、王宮地下の「白い書庫」に納められる。


私はその代筆師だった。


名前はアマリア。爵位も魔力もない。

ただ、誰よりも早く、誰よりも正確に文字を書けるだけの女である。


「アマリア、今日の記録も頼むわね」

聖女アデリア様は、いつも柔らかく笑った。

銀の髪に、湖のような瞳。民は彼女を「神に愛された娘」と呼ぶ。


聖女が祈る。

私が記録する。

記録された奇跡は、王国の歴史となる。

問題は、その記録が時々、書き換えられることだった。


「アマリア、この村の救済は王太子殿下の指揮ということにしてくれ」

「ですが、現地に殿下はいらっしゃいませんでした」

「いたことにするんだ」

宰相はそう言って、羊皮紙に書いた。


“王太子殿下の御英断により、北の村は救われた。”


宰相が立ち去った後、最後に一行だけ足した。


“なお、現地において実際に祈りを捧げた者は、聖女アデリアである。”


宰相はそこまで読まない。

王太子も読まない。

彼らが見るのは、自分の名が大きく書かれた一行だけだ。


だから私は、十年間、最後の一行を書き続けた。

誰にも褒められない一行を。

誰にも読まれない一行を。

けれど、神だけは読んでいるかもしれない一行を。


ある春の日、王宮で婚約発表の夜会が開かれた。

王太子殿下は、聖女アデリア様との婚約を破棄すると宣言した。

理由は、彼女が奇跡を私物化し、王家の名誉を損なったから。

新たな婚約者は、男爵令嬢ミリア。

殿下いわく、彼女こそが真の聖女であり、アデリア様の奇跡は偽りだったという。


会場がざわめく中、アデリア様は黙っていた。

怒るでも、泣くでもない。

ただ、少し困ったように私を見た。

私は頷いた。

その夜、王太子殿下は私にも命じた。


「代筆師アマリア。今この場で記録せよ。旧聖女アデリアは偽りの聖女であり、その功績はすべて男爵令嬢ミリアのものであった、と」


「承知しました」


私は机に向かった。

会場中の視線が、私の手元に集まる。

羊皮紙にペンを置く。


“本日、王太子殿下は、聖女アデリアとの婚約破棄を宣言した。”


殿下が満足げに頷く。


“また、過去十年の奇跡について、その功績は男爵令嬢ミリアに帰属すると主張した。”


ミリア様が微笑む。


“よって、王国白書第七百十二巻から第九百八巻までの記録を照合する必要が生じた。”

宰相の顔色が変わった。


「待て、照合など必要ない」


「必要です。記録官規則第三条により、王族の公式発言が過去記録と矛盾する場合、代筆師は原本を開示できます」


「そんな規則は知らん!」


「最後の一行に書いてあります」


私は白い書庫の鍵を取り出した。

白い書庫は地下だけあるわけではない。

正確には、地下にもある。


だが本当の書庫は、すべての記録を読んだ者の中にある。

代筆師は、書いた記録を忘れない。

それがこの仕事に就く者の、唯一の祝福であり、呪いだった。


私は読み上げた。


北の村の瘴気を払った日、王太子は狩猟大会にいた。

東の孤児院を救った日、男爵令嬢ミリアはまだ王都に来ていなかった。

南の水害で堤を祝福した日、宰相は救援費の半分を自家の倉庫に流していた。

一つ読み上げるたびに、会場の空気が重くなる。

殿下は叫んだ。


「嘘だ! ただの代筆師の言葉だろう!」


「はい。だから、原本をご覧ください」


扉が開いた。

白い服を着た書庫番たちが、羊皮紙の束を運んでくる。

その先頭にいたのは、聖女アデリア様だった。


「アマリアが十年間、守ってくれた記録です」


彼女は静かに言った。


「私は奇跡を使えます。けれど、奇跡は証拠にはなりません。光は消えますし、傷は塞がれば見えなくなります。だから私は、この国でいちばん誠実に文字を書く人に、すべてを預けました」


殿下は後ずさった。


「アデリア、違う、私は……」


「はい。殿下も、最後まで読まない方でした」


その一言で、王太子の顔から血の気が引いた。

後日、王太子は廃嫡された。

宰相は横領で裁かれた。

男爵令嬢ミリアは、自分が聖女だと信じ込まされていただけだと分かり、修道院ではなく、地方の治療院で働くことになった。

そしてアデリア様は、聖女を辞めた。


「奇跡は十分働きました。今度は、私が私の人生を記録したいのです」


そう言って、彼女は王都の外れに小さな学校を開いた。

文字を知らない子どもたちに、読み書きを教えるための学校だ。


私は今も代筆師である。

ただし、王宮のためではない。

誰かに功績を奪われた人。

誰にも苦しみを信じてもらえなかった人。

自分の人生を、なかったことにされそうな人。

そういう人たちの話を聞き、紙に残す。

最後の一行には、いつも同じ言葉を書くことにしている。


“ここに記された人生は、誰の所有物でもない。”


その一行を読み終えるたび、依頼人は少しだけ背筋を伸ばす。

奇跡ほど派手ではない。

復讐ほど甘くもない。

けれど私は思う。

人が自分の物語を取り戻す瞬間こそ、この世界でいちばん静かな祝福なのだと。

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