68%に下がった日本の中東原油依存度が94%に戻った事情 小山堅
日本の原油輸入は長年、中東地域への依存が続いてきた。その背景には、戦後から続く歴史的・構造的な要因がある。
米国とイスラエルによる対イラン攻撃を受け、イランを巡る戦争とホルムズ海峡封鎖の帰趨(きすう)については、全く予断を許さない状況が続いている。日本をはじめ、世界のエネルギー消費国は、中東における重大な供給途絶に対応するため、石油備蓄の放出、代替供給源の確保など、必死の取り組み強化に乗り出している。日本では、ガソリン価格の高騰を抑えるための激変緩和措置も導入され、石油化学製品の原料となるナフサの供給不足対策も強化されている。今後は、事態の展開に応じて石油の節減対策に乗り出すことも考えられる。
日本の場合、ホルムズ海峡の事実上の封鎖とエネルギー市場の不安定化が発生した直後から、原油輸入の中東依存度が2025年時点で94%(24年は95%)と、世界の中でもひときわ高い状況にあることが指摘されてきた。万が一、ホルムズ海峡が封鎖されるような事態が発生した場合、甚大な負の影響が発生するであろうことは容易に想像されるのに、なぜ、これほど高い中東依存度が続いてきたのか、という問題意識である。
しかし、ここで、日本の原油輸入における高い中東依存度に関わる問題には、歴史的・構造的な原因があることを理解する必要がある。端的にいえば、日本にとって、中東原油は最も経済合理的な選択肢であり、競争力の高い供給源であるということになる。
メジャーに大きく依存
まず、第二次世界大戦後の日本の石油産業の復興・発展の歴史にさかのぼる必要がある。日本の石油産業は、日本経済全体と同様に「ゼロからの再出発」となった。戦前の精製能力は米軍の空襲によって完全に破壊されていたからである。当時の日本の石油産業は、製油所の再建・復興に当たって、欧米の「石油メジャー」の資本・技術・原油調達に大きく依存せざるを得なかった。石油メジャーとの連携の中で、石油産業の復興の歩みが始まったといっても過言ではない。
その石油メジャーは、戦後、中東において大油田の開発に取り組み、中東の原油生産量は飛躍的に拡大、その膨大な供給量が世界市場で販路を求めることになった。日本は、1950年代以降は経済復興そして高度成長期に入り、石炭から石油への切り替えが急速に進む「エネルギー流体革命」が進展していた。石油需要が大幅に増加する日本は、拡大する中東原油の販路としても重要な市場となった。
そのため、日本の製油所はその設備構成上、特定の中東原油を処理する設計で建設され、運営・操業されることとなった。日本の製油所にとって、中東原油は最も適合性の高い原油ということなのである。
また、中東からは巨大なタンカーで日本の製油所まで直接輸送されるなど、輸送の経済性の面でも優位性を持つようになった。こうして、日本にとって、中東原油は「自然の選択」となっていったのである。
こうして、日本の原油輸入における中東依存度は70年前後に一時9割に達したが、その後、公害対策で低硫黄のインドネシア原油などを輸入して発電所で直接燃焼させる「原油生焚(なまだき)」が拡大したことなどもあり、第1次石油危機発生の73年時点では、原油輸入の中東依存度は77%となっていた。
しかし、日本は第1次石油危機によって戦後初めてのマイナス成長に落ち込むなど、大きな打撃を被り、エネルギー安定供給確保の重要性を思い知らされることとなった。その結果、日本は原油輸入における中東依存度の低下に真剣に取り組み始めた。その対策は80年代に入ってから徐々に効果を表し、86~88年にかけて、中東依存度は68%まで低下することとなった。
一時は68%まで低下
その要因の第一は、原油輸入量そのものの削減であり、第二は、非中東の供給源からの輸入拡大である。
第一の原油輸入量の削減については、当時まで石油利用の中心であった発電用の消費を、原子力やLNG(液化天然ガス)、石炭火力などで代替したことが大きく寄与した。その結果、日本の原油輸入量は73年の2.7億キロリットルから、86年には1.8億キロリットルまで、31%も減少した。同時にこの間、日本政府がいわゆる「政府間取引」などを進め、中国原油、メキシコ原油などの輸入を増加させた。この二つの効果が相まって、中東依存度は68%まで低下したのである。
しかし、そこから日本の原油輸入の中東依存度は再び上昇に転じた。これは上述の二つの要因が共に「逆回転」に入ったためである。日本の原油輸入が再び増加し始め、97年には2.7億キロリットルと、73年当時の水準にまで戻った。これは、発電用の代替が一段落した中で、ガソリンや軽油など、交通用の需要が堅調に増加したためである。その後日本の原油輸入は、全体としての石油需要低下の中で漸減していくことになった。
また、中国やインドネシアなど、一時期は非中東の供給源として重要な役割を果たしたアジアの産油国では、内需の増加によって石油輸出余力を失い、いずれも石油の純輸入国に転じた。こうした中で、90年代以降は原油価格が低位安定していたこともあり、最も経済合理性に優れる中東原油への回帰が進んでいった。
原油輸入の中東依存度は、89年には7割に復帰し、90年代後半には8割を超え、第1次石油危機時の依存度を上回るに至った。そして、05年には原油輸入の中東依存度がついに90%に達した。当時、かつてのピーク時と同水準に戻ったことが注目を集める事態となった。
しかし、ここから20年代初めまでは、中東依存度は80~90%前後での推移となり、依存度上昇に一定の歯止めがかかる状況を迎える。この歯止め要因として最も重要であったのがロシア原油の輸入拡大であった。05年時点で輸入量の1%未満であったロシアからの原油輸入は急速に拡大し、15年には輸入量の11%を占めるに至った。ロシアから東アジア向けの原油輸出パイプラインなどが整備され、中東原油の代替供給源として注目を集めるに至ったのである。
しかし、この流れを逆転させたのがロシアによるウクライナ軍事侵攻であり、日本は西側諸国の一員として、対露経済制裁に参加し、ロシア原油の輸入を実質的に停止することとなった。この時、ロシア原油を代替する供給源としては中東しかなく、それが、今日の中東依存度94%という状況を招いているのである。
繰り返しになるが、日本の石油精製システムにとって、通常時であれば最も経済合理性の高い供給源が中東原油という事実が高い中東依存度の理由である。有効な代替供給源が利用可能でない限り、中東依存度を引き下げることは容易でない。中東原油と品質や性状が大きく異なる代替供給源の場合には、精製設備の変更・調整とそのための投資が必要である点にも留意する必要がある。
したがって、原油輸入における中東依存度にだけ着目するのではなく、石炭や天然ガスなどその他の自然界からのエネルギーを合わせた1次エネルギー全体における中東原油の比率を低下させる取り組みを加速することが重要である。1次エネルギー全体における中東原油の比率は、石油危機当時の58%から、24年度には28%まで低下した。エネルギー源の多様化と省エネを推進し、合わせて非中東の原油供給源の確保とそのための対策、そして石油備蓄の強化と活用を進める総合戦略が日本にとって最も重要であり続けよう。
(小山堅〈こやま・けん〉日本エネルギー経済研究所専務理事・首席研究員)
週刊エコノミスト2026年5月5・12日合併号掲載
エネルギーの盲点 盲点2 中東原油依存94%のなぜ 設備適合と輸送優位の帰結 ロシア原油途絶で調達回帰=小山堅











