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【コラム】金子達仁

”生真面目”故に苦戦は良薬になる

[ 2025年3月26日 12:00 ]

サウジアラビア戦に臨む中村(撮影・西海健太郎)
Photo By スポニチ

 あえて近視眼的にこの試合を見るならば、ホームで勝ち点2を取りこぼした最大の要因は、日本人の生真面目さにあったように思う。

 すでにW杯本大会出場は決めている。相手のサウジはもうあとがない。こっちは余裕であっちは必死。となれば、余裕を持つ側には、ノープレッシャーでのびのびとプレーする選手が出てくるのが普通。追い詰められた側からすれば、その奔放さがとんでもなく扱いにくいものとなる。

 だが、良くも悪くも、日本人はまったく気を緩めてはいなかった。彼らはいつものようにリスクとテイクのバランスを保ち、自分たちがコントロールできる範囲内での試合を続けた。引き分けという結果自体は必ずしもポジティブなものではないが、3年前にアルゼンチンを倒した監督とユニホームにただの一度も決定機を与えなかったこと、前回の対戦では相当に手を焼かされたS・ドサリをほぼ完全に封じ込めたことは、十分評価に値する。

 なにより、長期的な視野に立って考えた場合、予選突破後の試合をそれ以前と変わらぬテンションで戦えたことは、間違いなくプラスになる。重圧のかかる本番での再現性が期待できないノープレッシャー下での会心と、ガチに戦っての苦戦。どちらが良薬になるかはいうまでもない。

 注目したいのは、この引き分けを、サウジアラビア側がどう捉えているか、ということである。

 放ったシュートはたったの1本だった。枠内シュートはゼロだった。曲がりなりにもアルゼンチンを倒した国からすれば、屈辱的としかいいようのない内容を、もし彼らが勝ち点を獲得したという結果を理由に肯定的にとらえていたら、それは、彼らにとっての日本が、中立地(カタール)でアルゼンチンと戦うに匹敵する難敵だった、ということになる。

 W杯カタール大会以降の3年間で、対戦相手にとっての日本は、結果さえ拾えれば内容は黙認される相手、つまりは世界王者経験国並みの立場まで駆け上がったことになる。

 というわけで、基本的にはまずまず納得のいく引き分けではあったものの、歯がゆさを感じる部分がなかったわけではない。

 前半だけを見れば、サウジアラビアのワーストプレーヤーは右サイドバックのシャンキティだった。なぜか。対峙(たいじ)した中村に翻弄(ほんろう)されまくっていたからである。

 ところが、ほとんどミスマッチと言ってもいいほどの力量差を、日本は生かしきれなかった。もっと中村、中村、中村で行くもよし、相対的に警戒が薄くなる反対サイドの菅原の威力をチラつかせ、中村への警戒心をボカすのもよし。このあたりの“獲物の血をかぎつける嗅覚”の不足というか、明らかな弱みを見せた相手に対するまっとうすぎる対応は、抜け目のない世界王者たちに比べるとまったくもって物足りない。

 とはいえ、ポストを叩いた前田のシュートが決まっていれば、結果はまるで違ったものになっていたはずで、不満はありつつも、緩みを見せずに戦った選手たちを批判する気にはとてもなれない。この引き分けに憤慨している人がいたら、それはワールドクラスの辛口か、あるいは、オーストラリア人だろう。

 敵地で中国を下したオーストラリアは、埼玉で日本が勝利を収めていれば、3位サウジとの勝ち点差を4に広げているはずだった。オージーよ、申し訳ない。ただ、日本がやるべきことをやったことだけは間違いない。(金子達仁=スポーツライター)

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