「小さな島々・パラオと創る持続可能な未来」講演要旨(国際日本文化研究センター×読売Bizフォーラム東京)

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 国際日本文化研究センターの安井眞奈美教授は2026年2月13日、同センターと読売調査研究機構が共催するオンラインセミナーで、「小さな島々・パラオと創る持続可能な未来」と題して講演しました。安井教授は、長年にわたるパラオの人々との交流を基に、日本との関係性、母系社会の特徴、パラオ文化の魅力などついて説明し、後半のトークセッションでは、京都産業大学の三田貴教授とパラオの未来について意見を交わしました。

安井教授の講演要旨

 太平洋島嶼国は大きくポリネシア、メラネシア、ミクロネシアに分けられ、ミクロネシアの中でカロリン諸島の西端にあるのがパラオ共和国です。日本のほぼ真南に位置していますから、時差がありません。この広い太平洋を、パラオの人々をはじめオセアニアの人たちはカヌーを使って移り住んできました。方位磁石がなくても、星を読み、風を読み、自然を味方につけながら、離れた島々に移動することができたわけです。

 パラオ諸島は大小200以上の島々からなり、最も大きい島はバベルダオブ島で、日本統治時代のホントウ(本島)という呼び名が使われることもあります。最南のソンソロール州、ハトホべイ州を含め16の州があります。

 パラオ共和国は2025年の大阪・関西万博にも参加しました。4月下旬のナショナルデーにはスランゲル・ウィップス・ジュニア大統領が会場を訪れ、日本や世界に向けた力強いメッセージを伝えました。ソンソロール州の男性グループが伝統の踊りを披露しました。コモンズ館での展示は、パラオの自然環境や歴史、日本との関係を示すパネルのほか、伝統工芸品の「イタボリ」なども並び、連日大変な賑わいでした。イタボリというのはストーリーボードとも呼ばれ、かつて南洋庁の嘱託で公学校の木工教師だった土方久功(ひじかた・ひさかつ)が、パラオの子どもたちに教えた彫刻の「板彫り」が元になっています。土方はパラオで絵を描き、パラオの神話や伝説の調査を行い、パラオの民族誌を執筆しています。パラオにはイタボリの工房が幾つかあり、土産物や装飾品などの注文にこたえ、日々、制作をしています。

 パラオは、屋久島とほぼ同じ面積で、人口は1万7000人余。コロール州に人口が集中しており、一極集中を是正するために2006年に首都をマルキョク州に移転しました。日常で話されるのはパラオ語ですが、英語も公用語になっています。パラオ語の中に、いくつもの日本語が借用語として用いられています。例えば、ゲンカン(玄関)、ベンジョ(便所)、マド(窓)、スイドウ(水道)、花の名前では、ブッソウゲ(仏桑花)やイカダカズラ(筏葛)、野菜ではキュウリ、ナッパ(菜っ葉)、ダイコン(大根)、料理ではニツケ(煮つけ)、センギリ(千切り)といった具合です。ヤキュウ(野球)、ヨサン(予算)などの言葉のほか、アッテル(合っている)、ハラウ(払う)、ダイジョウブ(大丈夫)、ゴメン(ごめん)などの日常語もパラオ語の中にあるのです。

 現在の政治体制は、アメリカの大統領制をモデルにしています。パラオ共和国憲法は、各州の伝統的なチーフ(氏族長)が構成する全国首長協議会(チーフ会議)が、伝統的な法、慣習、憲法と法律との関係に関して大統領に助言する、と定めています。男性の集会所である「バイ」と、首都にある国会議事堂の外観は対照的ですが、伝統的な首長制と現代の大統領制が共存する形でパラオの政治が執り行われています。主な産業は観光業です。海には多種多様な生物が生息し、眺めるだけでも美しさを堪能できます。また、世界有数のダイビングスポットがあり、シュノーケルやカヤックを楽しむこともできます。熱帯性の気候の下、島には様々な植生があります。

 パラオにとって、アメリカ、日本、台湾、オーストラリアなど海外からの援助は重要です。バベルダオブ島とコロール島との間に「日本・パラオ友好の橋」が2002年に日本の援助で架けられました。両島をつないでいた橋が崩壊し、生活上の大きな支障となっていたため、日本政府が全面的に協力したのです。

 現在のオセアニア地域には、紀元前1500年頃にオーストロネシア語族の人々が住み始めたと推定されていますが、無文字社会であったため、パラオの歴史は、西欧との出会いの中で記述されていきます。1783年にイギリス・東インド会社のアンテロープ号が珊瑚礁で難破し、乗組員がコロール島の島民と接点を持ちます。1860年代には欧米の商社がミクロネシアに進出します。コプラ(ココヤシの乾燥果肉)の商品価値が高まっていくからです。スペインが、パラオを含むカロリン群島をスペイン領としてフィリピン総督の支配下に置きますが、スペインが米西戦争に敗れると、パラオはドイツに売却され、1899年以降はドイツによる近代化が進む中で、アンガウル島でのリン鉱石の採掘も始まりました。

 第一次世界大戦後、パラオを含む旧ドイツ領南洋群島の委任統治権を得た日本は、1922年に南洋庁をコロール島に設置。その後、多くの日本人移民が島にやってきました。

 現在もパラオには南洋庁の支庁庁舎が、コロール島の目抜き通りにパラオ最高裁判所庁舎として残っています。日本語教育は南洋群島全体として行われていましたが、南洋庁本庁が置かれていたパラオでは、子供たちの就学率が100%に迫るほどで、放課後には、日本人の家庭で「練習生」として働く子どももいました。公学校での日本語教育は8~14歳のパラオの子どもたちに行われました。

 太平洋戦争では、ペリリュー島、アンガウル島などで日本軍とアメリカ軍が激しく戦い、パラオの人々はバベルダオブ島(本島)に避難するなど大きな打撃を被ります。激戦の島には至る所に戦争遺跡があり、現代の生活の中にも近代史の傷痕が残されています。

 太平洋戦争の後、アメリカが戦略的国連信託統治領として統治しますが、1981年にパラオ共和国自治政府が発足し、パラオ共和国憲法(非核憲法)が施行されます。その後、1994年に独立し、アメリカとの間で自由連合盟約を結んでいます。

 社会の基盤となっているのが母系社会です。先ほど、パラオの政治体制は、伝統的な首長制と現代の大統領制が共存していると説明しましたが、母系社会の慣習を守るうえで重要な役割を果たすのが、男性首長と女性首長のペアによる首長制です。西を統括するアイバドール(男性首長)、ビルン(女性首長)、東を統括するルクライ(男性首長)、エビル・ルクライ(女性首長)。この男女がペアになって様々な活動を見守り、大統領に助言をしています。

 女性首長は、男性首長を選ぶ際の最終決定権を持っています。女性首長は様々な「シューカン」(冠婚葬祭などの行事・儀式)に参加し、社会がより良い方向へ進むように男性首長の補佐をしながら見守ります。

 パラオの母系社会では、地位や財産、土地が母から娘へと継承されます。母系親族集団にとって結婚は「ビジネス」とも分析されてきました。結婚を契機に、夫側の親族集団と妻側の親族集団に新しい関係が生まれます。夫側の親族集団の財貨が妻側の親族集団に渡され、妻側は、様々な労働力や料理の準備をする。様々なシューカンの時にそのような交換が成り立ち、交換を基に人々の結び付きが強まっていきます。

 パラオ社会を理解するためのキーワードである「シューカン」は、「習慣」や「癖」という意味のパラオ語ですが、元々は日本の統治時代に、交換を伴う様々な活動をまとめて示す言葉がなかったため、日本語で「習慣」と呼び始めたのが始まりです。

 母系社会の仕組みを、たとえば親子4人に注目した場合、母と子どもたちは同じ親族集団ですが、父だけは別で、彼の母親の親族集団に属しています。このため、父親は実の子どもの面倒はもちろん見ますが、一方で同じ親族集団に属する姉や妹の子どもたちの面倒も見るのです。

 第一子誕生儀礼は、第一子を出産した女性本人を祝う儀礼です。初めて出産した体を癒すために簡易サウナを作り、腰掛けた椅子の下に薬草を蒸したタライを入れ、蒸気で体を温めます。今後、母としてパラオのシューカンに関わっていくうえでの通過儀礼でもあります。この儀礼が行われている間にも、夫側の親族集団からは財貨が妻側の親族集団に支払われ、妻側の親族集団は食事の用意などの労働を提供します。

 葬送儀礼もシューカンの一つです。私は2015年にマルキョク州で行われた友人の葬儀に参列し、促されてスピーチをしました。葬儀であっても、何か気の利いたことやユーモアも交えつつ、集まった人たちへのメッセージを届けることが求められます。そして、この葬儀でいくらの現金が集まったかが、会場のアナウンスでただちに皆に知れ渡ります。葬儀で集める金額は一つの競争になっており、金額が年々上がる傾向といいますから、現代のパラオ社会の一端を映しているかもしれません。

 1994年にベラウ女性会議が発足しました(ベラウはパラオ語の発音に即した呼び方)。翌年に北京で開かれた第4回世界女性会議にパラオ代表が参加するための準備でしたが、それ以降、毎年一回、女性首長二人がパラオ全州の女性を集め、パラオのシューカンを見直し、女性の力でより良い社会を作っていこうと会議を続けています。2003年の第10回ベラウ女性会議には、私も文化人類学者の山本真鳥さんと共にゲストスピーカーとして参加し、日本の介護保険や保育所が、働く女性のために大きな役割を果たしていることなどを伝え、パラオの方々とディスカッションをしました。

 パラオが直面している問題を見ていきましょう。

 主要産業は観光業です。1980年代から2000年代にかけて徐々に増えた観光客は、2011年に年間10万人を超え、そのうち約3割が日本人でした。2015年に16万人を超えましたが、中国からの観光客の急増が背景にあります。新型コロナウイルスによるロックダウン以降は大幅に減少し、まだ完全には戻っていない状態です。

 アメリカとの自由連合盟約により、パラオの人はアメリカですぐに就労することができるため、アメリカへの移住者が増えています。アメリカで教育を受け、生活の拠点もアメリカに移す若者世代も増えています。

 食生活の中心は魚やタロイモから、肉、米、麺に移り、これに伴い、肥満や高血圧、糖尿病が増えています。それでも、パラオに行けば、様々な伝統的な料理をレストランなどで楽しむことができます。タロイモには様々な食べ方があり、ロブスターやカニ、バナナのココナッツミルク和えなどもあります。

 現在、パラオの女性たちの日常生活の負担は増加しています。仕事とシューカン、育児、介護などをこなさなければなりません。

 こうした様々な問題があるものの、持続可能な社会に向けてのパラオの取り組みには注目すべき点があります。このパラオの美しい島々「南ラグーンのロックアイランド」は2012年にユネスコの世界遺産に登録されました。ラグーン(環礁に囲まれた浅い海)とマッシュルーム型の島(ロックアイランド)が特徴です。こんもりと浮き上がって見える石灰岩石の島は、海水面の辺りがだんだん溶けて、特徴ある形になっています。サンゴ、多様な植物、ジュゴンなど海洋生物もたくさん生息しています。

 環境保護での独自の取り組みも注目されます。パスポートに押印される「パラオ誓約」が2017年に導入されました。パラオを訪れる観光客らは、入国時にパラオ誓約にそれぞれサインして、島の保存・保護を誓うわけです。パラオ国立海洋保護区は、世界最大級の海洋保護区として2020年に発効しました。広大な海、様々な海洋生物、ユニークな地質学的特徴を保護区として守る取り組みです。

 芸術文化で太平洋島嶼国としての結束を高めようと、1972年から太平洋芸術文化祭が4年に一度、開催されてきました。パラオは2004年にミクロネシア初のホスト国となり、この大祭を成功させました。2024年にハワイで開催された太平洋芸術文化祭では、パラオの伝統的な踊りや現代のパフォーマンスを様々な年代の人たちが披露しました。

 2015年には、当時の天皇・皇后両陛下のご訪問を受け、大変な歓迎ムードに包まれました。

 母系の結びつきを基にした社会は、助け合い、分かち合い、年長者への尊敬の念が重視されています。親族集団の強いネットワークに加え、近隣の人々との助け合いも日常的に見られ、これらが社会全体のセーフティーネットとなり、「ホームレスが一人もいない社会」を実現しています。

 大阪・関西万博での展示は終わりましたが、それを基に、2026年9月下旬から10月初旬にかけて、兵庫県立兵庫津ミュージアムでパラオの文化とその魅力を伝える展示をします。パラオ・マルキョク州の州オフィスでも歴代女性首長のパネル展示を2026年11月に行う予定です。こうしたプロジェクトを通じて、パラオの文化を記録し、次世代に伝えていく活動を、今後もパラオの人々と一緒に進めていきたいと思っています。

「小さな島々・パラオと創る持続可能な未来」トークセッションは こちら から

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7833658 0 読売Biz フォーラム 2026/04/07 12:37:00 2026/04/07 12:37:00 /media/2026/04/20260407-GYT8I00010-T.jpg?type=thumbnail

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